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2015年エカテリンブルク+カザン+イスタンブール旅行(4)

 この日は、深夜の2時発の飛行機でイスタンブールへ移動するが、それまではフリータイム、というスケジュール。ホテルをもう1泊してもよかったし、半年前のイランでは実際にそのようにしてチェックアウトまで夜寝して真夜中の移動に備えた。しかし今回はホテル代が安くないので、それはやめておいた。よって市内でできるだけ長い間ふらふらしていないといけない。
 ホテルのチェックアウトタイムは12時。できるだけ部屋の中で居座っておくべきだったが、天気がいいのにいつまでも引きこもってもいられない。結局10時半ぐらいでチェックアウト。
 ホテルの部屋の中に、2013年にカザンで開催されたユニバーシアード開催を記念したカップがあった。ところで、名古屋大学の陸上の選手で、このユニバーシアードに出場する選手(鈴木亜由子選手のことです)がいて、日本の最高峰学府の一つである名古屋大学にスーパーアスリートが現れたということで、名大(明大ではありません。念のため)のグラウンドには長い間応援横断幕が掲げられていた。その横断幕には大会開催地であるカザンの名も記されていたが、いかに名大とはいえ、カザンという地を知っている名大生が一体どれだけいるのだろうか。ちなみに私は名大ではなく、愛知大すなわち愛大生である。海外で愛大生を名乗ると、結構高い割合で「・・・(数秒間沈黙)・・・愛大って、・・・(数秒間沈黙)・・・国立(こくりつ)ですか?」と訊かれたものである。中日の岩瀬仁紀投手万歳!
 それにしても、2013年のユニバーシアード、2015年世界水泳、そして2018年のワールドカップロシア大会開催都市の一つとなるなど、なかなか活動的なカザンである。

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 ホテルを一旦チェックアウトし、クレムリン入口の反対側にあるタタールスタン共和国博物館に行く。もともとあまりこういうものに関心はないのだが、ロシア革命時の展示もあるとのことなので行ってみた。ここには、私がカザンという街を知るきっかけになったタタール人革命家のスルタンガリエフに関する展示がないものかと注意深く見たつもりだったが、見つけることはできなかった。ソ連末期に一応名誉回復はされたものの、まだ歴史的に評価が定まらないのかもしれない。
 クレムリンから、ホテルの反対側の坂道を下りると、地下鉄駅「クレムリョーフスカヤ駅」の入口がある。カザン市民ご自慢の地下鉄に、折角だから乗って移動してみようと思い、中に入る。
 駅の構造や利用の仕方は、他のロシアの街にある地下鉄と変わらない。ただしここがタタールスタン共和国だからなのか、駅名の表示がロシアのほかにタタール語と思われる表記もある。
 クレムリンからカザンカ川の対岸を見ると、いろいろな建築物が見える。そこら辺りに行ってみることにする。

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 地下鉄で1駅だけ北側に移動。そこからカザンアリーナまで歩いて行こうと企んだが、すぐに挫折。タクシーを捕まえていけばよかったが、この時はなぜか歩くことにこだわっていた。
 歩く方向を南に向け、カザンカ川方面へ歩いているとなぜか「イスタンブール」の看板が。ご丁寧にもイスタンブール市の市章入りだ。イスタンブール通りなのか。
 クレムリンから見えるカザンカ川対岸の建築物の一つに、巨大な鍋のようなブツが見える。これについて地○の歩き方に説明はない。「カザン」をトルコ語の言葉だとして日本語に直訳すると「鍋」である。カザンという名称もなにか鍋に由来するのかもしれないがまだわからないらしい。しかしながらこの鍋のようなブツが「カザン(鍋)」にちなんでいるのは間違いないのではないか。ここでカザンという言葉についてのオスマン帝国での小話を引用。
 「1826年5月、マフムト二世は新式軍の編成を勅した。…(略)しかし、スルタンの予想通り、イェニチェリは君命に従わず、新式軍への公然たる反対をあらわにした。
 ここでイェニチェリは、奇妙なしぐさをしている。それは、スープ用の大なべをひっくり返して営庭にならべたことである。これは不平不満を公然と表す際に、イェニチェリが慣行としたしぐさである。
 16世紀後半以降、イェニチェリはイスラーム暦で年に四回、3カ月分をまとめて俸給としてトプカプ宮殿で受け取った。支払いに満足したときは中庭に出されたスープの大なべとピラフを入れた器で料理を賞味するのが恒例であった。不満足なときは、このスープを「飲めるものか」とあらわに拒否したものだった。もっと不平不満が募ると、自分たちの部隊のシンボルでもあり、スープを実際に作っていた大鍋をひっくりかえして「もう我慢ならぬ」と反旗をひるがえしたのである。イェニチェリの将兵が黙ってスープをすするのを見て、大宰相たちはようやく安堵したという。そこで、トルコ語で「大鍋をひっくりかえす」(カザン・カルドゥルマ)といえば、反乱を起こすことを意味するようになった。」世界の歴史〈20〉近代イスラームの挑戦 (中公文庫)
 この鍋、間近で見るとかなり巨大。そして周りにやたら新婚さんが目立つ。で、入り口から中に入ると、守衛のようなおじさんが何か声をかけてくるが、決して私の来場を歓迎しているような口調ではない。どうも自分は招かざる客のようだ。小心者なので早々にこの場を立ち去る。結局これが何なのかは不明だが、結婚式のコースとして回るところの一つ、というのが正しい利用の仕方のようだ。

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 カザンカ川の対岸からのクレムリン。

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 地下鉄クレムリョーフスカヤ駅まで戻り、今度は南側へ。一駅先のプローシャチ・トゥカイ駅へ。
 どこか一人で気楽に食事できるところがないか探していたら結局バウマン通りに出てしまった。ところが今日は人通り多く、マクドも混雑していて言葉のできない自分を構ってくれそうにないので退散。
 それなら旧タタール人居住区へ行こうとすると、またもやガラクタ博物館を見つけた。こちらの方がネットで見つけた方の博物館のようだ。たぶん前と同じような展示品かもしれなかったが、時間は有り余っているので見てみることにする。
 こちらはタバコや酒の展示が多い。こういうパッケージのタバコが欲しいのだが、街中で売っているのはその点に関しては面白味のないタバコ。その横に、子供が怖い顔して「не курить(禁煙)」ってな絵があるのに何か深い意味があるのだろうか。

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 旧タタール人居住地区へ向かう途中にあるニージニー・カバン湖。ここら辺りがカザンで一番日常生活的に賑やかな所か。ここで休憩。

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 休憩にもいい加減飽きたので、ぼちぼち腰を上げて、旧タタール人居住地区へ向かう。モスクのミナーレ(塔)が見えるので、そこを目印とする。
 途中団体をいくつか見かける。ロシア人っぽいが、ここも主要な観光コースに入っているのだろう。
 このモスク、アリ・マルジャニ・モスクは、この地区で一番古いとのことだが、あまり古さは感じない。マルジャニという名を聞くと、19世紀のタタールスタンにおけるヴォルガ・タタール人の文化的復興に尽くしたメルジャーニーという人物を思い出す。その名とこのモスクの名が関係あるのかどうかはわからないが、ロシアという国に覆いかぶさられて見えなかったタタール人及びタタールスタンの歴史に少し興味を抱いた中で知った人物である。山内昌之著「スルタンガリエフの夢」(東京大学出版会)によると、メルジャーニーは「ヴォルガイスラーム共同体を指す名称として、それまで慣用だった「ムスリム」や「ブルガール」または「テルキ」(törkiチュルク)に代えて「タタール」を最初に用いた人物」とのこと。
 このエリア、なんというかちょっと綺麗過ぎる。汚いのが良いというのではない。あまりに整備されていて、取って付けた感、わざとらしさ感を多分に感じる。もう少し奥に行けばまた違ったものが見られるのかもしれないが、疲れるのでやめた。

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 こちらは、タタールスタン通りを挟んでカバン湖の反対側にある、ヌルッラ・モスク。建物はやや大きいものの、特に特徴があるわけではない。というよりごく普通のモスク。どうやらイスタンブールやイスファハン、サマルカンド、ブハラのモスクを見てきて、モスクというものは、やたら大きい天井ドームや、幾何学模様のタイル壁画やらがあるものと思い込んでいたようである。もしくは、中央アジアと違って早い時期にロシアに征服されたカザンではイスラームはかなり弾圧されたので、そのような建築物が残っていないのか。ソ連時代という荒波を経験してきたことも関係あるのかもしれない。

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 ここら辺りも旧タタール居住地区とのことだが、カバン湖あたりとは違って、普通に人々が生活している雰囲気が感じられる。
 ここで現地人のおじさんから話しかけられる。ロシアでは、街角で普通に話しかけられることはままある。ただしロシア語だ。自分から見てタタール人とロシア人は見分けがつかないが、この人はムスリムの特徴である白色の縁なし帽子を被っているので、おそらくタタール人だと思い、ロシア語はわからないと言ったあと、ムスリム風に「アッサラーム・アライクム」であいさつしてみた。だけどそんなことどうでもいいのか、アライクム云々とは言われたものの、特段な反応はなかった。ロシア語とトルコ語で「ワタシは日本人です」と言ったが、おじさんはお構いなくロシア語で話し続ける。そのうちに、歩速がおじさんの方が早いのでおいてかれた。こんなものか。

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 中央市場にて。何かのチェーン店なのかもしれないが、それにしてはちっともかわいくない、むしろ子供が泣き出しそうなくらい恐ろしげなスズメバチらしきキャラクター。これがタタールだ!

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 すっかり空腹感を忘れていた。中央市場は随分庶民的な雰囲気。やや小汚くてやや乱雑なところがアジアっぽい。もっともカザンは地理上はどちらかというとヨーロッパだけど。で、別に見どころがあるわけでもなさそうな感じなので中に入らずに通りを歩いていると、これまたアジア、しかも中国っぽい「食堂」があった。出す料理にはラグマンがあるらしい。それだけ確認して中に入る。
 タタール人の店なのか、それとも中央アジア人の店なのかはわからない。しかし少なくともロシアっぽくない。やはり雰囲気はカフェではなくアジアの大衆食堂だ。ラグマンを注文。出てきたのは汁ありタイプ。フォークではなくスプーンが出された。どうやって麺をつかめばいいのかと思ったが、麺にはコシがほとんどないので、スプーンで容易に救い上げることができた。そういうわけで、讃岐うどんとは対照的な麺であり、格別うまいわけでもまずいわけでもないが、中央アジアの料理が好きじゃーな私にとっては、こういうのが食べられるだけで満足だ。

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 カザン駅に着いた。2階建て列車が停まっているのが見える。
 ここから空港までは電車があるとのこと。空港まではタクシーで行くつもりだった。荷物を背負ってホテルから駅まで行くのが面倒だから。だけど時刻表を見て、何時にここから空港行き列車が出発するのかがわかったので、列車で行ってみようかという気になる。

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 カザン駅からクレムリン方面へ上がっていく途中にある水路、ブラク運河。

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 バウマン通りからクレムリンへ行く途中にある教会から突然鐘が鳴りだした。

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 こんな感じです。カトリック教会とは趣が違います。

 最後にもう一度クレムリンへ。

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 クレムリンからヴォルガ川やカザンアリーナを眺め、「もういいかな」という気になったのでホテルに戻る。
 ホテルのグラウンドフロアの奥、朝食会場の所でなにやらパーティーのようなイベントをやっている模様。ドアは閉めているが音がかなり漏れてきている。一応ここは高級ホテルなので、もしかしたら結婚披露宴のようなものをしているのかもしれない。ときどきドレスやスーツを着た若い衆が出入りしている。まあお幸せに。
 結局タクシーではなく電車で空港に行くことにする。荷物を背負って昨日ここに来た時とほぼ同じルートで駅に向かう。
 切符売場は、駅の右側にある。X線検査を受けて中に入る。空港行きを含む近郊電車の切符は自販機で購入する。モスクワの空港列車とほぼ同じ要領で、英語の説明があるのでそれほど難しくない。そして地面に「空港行きはあっち」という表示があるので、素直にそのとおりに進む。日本の感覚だと、これくらいの案内があるのは当然のことと思うだろうが、ここはロシア、この国でこのような「わかりやすさ」などあまり期待していないだけに、このようなことは意外に感じる。カザン市としては世界水泳やサッカーワールドカップがあるので、外国人の受け入れのためにそれなりに対応しているということなのであろう。
 ホームに出ると、反対側にモスクワ行きの列車が停まっている。空港行き電車の乗客はまばらだ。電車の出発間隔が不規則で、なぜか間隔がかなり空いている時間帯もあるので、みなバスやタクシーを使うのかもしれない。
 日が沈んだ頃に出発。外は真っ暗なので車窓はほとんど楽しめない。それでもタクシーで空港に行くよりも随分時間をつぶすことができた。Yaxshi!

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 電車は、随分でかそうな空港ターミナルを横に眺めた後に駅に到着。
 空港はかなりきれいだが、通路と思っていたところが実は通路兼待ち合い場所であるように、そんなに大きいわけではないようだ。同じ内陸部であるエカテリンブルク空港の3分の1ぐらいの規模か。カザンはモスクワから割と近い所にあるからなのか、出発便も思ったほど多くない。
 それでも世界水泳開催中だからなのか、ゆる(くない)キャラのネコの看板があったり、そろいの服を着た大学生らしきボランティアらしきスタッフらしき若い衆が、特に到着便があるわけでもないのにやたらたむろしていたりという具合に、それなりに活気らしきものはある。
 ロシア人は、とうよりロシア人に限らずなのだが、この時期は皆南のリゾート地に行きたがる。お金のない人は知らないが、ちょっとある人はソチのような黒海沿岸へ、まあまあある人はトルコやギリシャの地中海岸へ行くのだろう。だからなのか、深夜の時間帯にもかかわらずトルコのアンタルヤ行きの便が3つもある。航空会社の2レターコードも知らないものが多い。4G(ガスプロムアビア)とか。
 やっとこさボーディング。飛行機は今年の元旦以来のトルコ航空。前回はイランのイスファハンからイスタンブールへのフライトだったが、出発は同じような時間帯。眠い

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