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2014~2015年イラン旅行(5)
トルコ航空の飛行機がイスタンブールに近づくにつれて、だんだん夜が明けてきます。今回のイラン遠征は、ネットでイスタンブールからイスファハーンへの直行便を発見したことから企画が始まりました。イスファハーンは、行きたかったもののたぶん行くことはない街かなと思っていましたが、一旦行くことに決めたらこのように実現してしまいました。ちょっとした達成感を味わっています。
イスタンブールに着陸する頃にはすっかり明るくなっていましたが、外は雨が降っているようです。
通いなれたイスタンブール。いつものように、地下鉄、トラムを乗り継いで、スルタンアフメット地区まで行きます。そしてイスタンブールの定宿「キベレホテル」にチェックインします。
まだ早い時刻なので部屋には入れないとのこと。それならばということで、街散歩に出かけます。何べんもイスタンブールに行っているのに、これをやらないと気が済まないというものがあって、今回もそれをしに行きます。
まず最初にアヤソフィアに行きます。ここくらいのクラスになると入場料は安くないのですが、ここのドームやモザイクを見ないと気が済まないのです。またここはずっと長い間なんらかの修繕っぽい工事をしているのですが、今回は何をしているのか、あるいは今回はなにか新たに見えるようになったものがないかをチェックするのも楽しみの一つです。
次に、トプカプ宮殿に行きます。宮殿に入ると、ここで有名な宝石や陶磁器、ハーレムには目もくれず、一直線に岬の先端に向かいます。ボスフォラス海峡と、そこを行き交う船、金角湾と湾沿いに見えるモスクやガラタ塔、イスタンブールで一番好きな景色でありビュースポットです。
私はイスタンブールに耳を傾ける、目を閉じて
小鳥たちがさっと通り過ぎた
と思うと高いところから群々をなして、さえずり騒ぐ
やなでは網が引かれる
一本の婦人の足が水にふれる
私はイスタンブールに耳を傾ける、目を閉じて
ひえびえとしたカパル・チャルシュ
雑踏のマフムート・パシャ
鳩で一杯の中庭
ハンマーの音がドックから響きわたる
Orhan Veli「私はイスタンブールに耳をかたむける」
ヤマンラール水野美奈子訳
『イスタンブル 海峡はコスモポリタン』 PARCO出版より
こんな詩からイメージするイスタンブールは、観光シーズン真っ盛りの夏より、ちょうど今のようなちょっともの寂しさを感じる冬景色の方が合う気がします。特に岬の先端に立って、そこから見える街の雑踏を眺めていると。
トプカプ宮殿を見終えると、トラム側の道に向かって丘を下りていきます。ギュルハネ公園の前を通りながら、シルケジへと進みます。途中の食堂街で昼食をとります。メニューは決まってキョフテという肉団子とピラフ。1年ぶりの(トルコでの)トルコ料理を食べたら、シルケジ駅の地下駅に向かいます。そこはマルマライというボスフォラス海峡トンネルを通る地下鉄の駅です。今回は海底トンネルとは反対側行きの列車に乗ります。そして次のイェニカプ駅で下ります。
今回のイスタンブール旅行の目的は、ここから金角湾(ハリーチ Haliç)上を通る地下鉄に乗って金角湾を眺めることです。1年前の時点では橋は出来上がっていたようですがまだ開通はしていなくて、地下鉄は新市街側のシシャネ駅止まりでした。それから1ヵ月後の2月に開通したようです。地下鉄とはいえ、金角湾に出る直前で地上に出て、湾上は橋を渡ります。途中に橋上駅があり、その名もずばりハリーチ駅。ここが目的地です。
イスタンブールは、千年どころか、二千年以上の歴史を持つ街で、歴史的建造物や遺跡がてんこ盛りです。地下に埋もれた遺跡も数多くあると思われ、トンネルを掘ると何かに当たるようです。ちょうど京都と同じような状況かと思います。
イェニカプ駅でタクスィム方面に乗り換えです。開業してまだ1年たっていないこちら側の駅は、なんだか意味不明レベルの近未来的建造物の様相を呈しています。スレイマニエモスクやイスタンブール大学に近いヴェズネジレル駅を出発してしばらくするとトンネルを抜けて地上に出ます。そしてハリーチ駅で下車します。
橋は、金角湾にかかるガラタ橋とアタテュルク橋の間の、アタテュルク橋寄りにあります。金角湾は海上交通ルートでもありますので、船が通れるように海面から高いところに線路はあります。いつもはガラタ塔から金角湾の景色を眺めていたのを、今回は金角湾からガラタ塔を含めた湾口の景色を眺めます。旧市街側と新市街側も、丘の中腹部分にトンネルの出口があります。イスタンブールは平地が少なく坂の多い街であることがわかります。ここで長い時間写真撮影をしていました。橋は、お国によっては大事な国防施設と位置づけられ、撮影禁止であったりもするのですが、トルコはそんなことはないようです。トルコは自由だ!
橋のスタイルは、好みによって評価が分かれるところですが、私自身は、新興国にありがちな、周りから浮きまくった趣味の悪い成金趣味的な建造物というようには感じられませんでしたので、悪くないのでは思います。
いいかげん寒くなってきたので、地下鉄にのって移動します。
再び地下鉄に乗り、オスマンベイ駅で降りました。ここから少し戻ったハルビエというところに軍事博物館があり、トルコ民族が中央アジアで騎馬民族をしていたころからの歴史を博物館形式で展示説明したものですが、なんといってもここの見ものは、オスマン帝国時代の軍楽隊によるコンサートです。午後3時から1時間、途中休憩をはさんで、泣く子も黙る「イェニチェリ」の恰好をして生演奏を聴かせてくれます。私はこれが本当に大好きで、イスタンブールに来たら必ずこれを聴きにここに行きます。一番日本人に有名な曲は「ジェッディン・デデンCeddin Deden(祖先も父も)」ですが、私が一番好きな曲は「メフテル・マルシュ Mehter Marşı(軍楽(軍隊?)行進曲)」です。あと「ゲンチ・オスマン Genç Osman(若きオスマン)」もなかなかヨいです。好きな曲がかかると内心拍手喝采です。
軍事博物館の前にやってきましたが、閉まっています。今日はホリデイだから休館とのこと。去年もしまっていました。昔は正月でもやっていたと記憶していましたが、仕方ありません。引き返すことにします。
ここからタクスィム広場まで歩いて行きます。ここの通りは「ジュムフリエット(共和国)通り」といって、旅行会社や航空会社の事務所がたくさんあります。まだインターネットがほぼなかった90年代には、中央アジアやコーカサスといった旧ソ連の国の航空会社の事務所に行って時刻表をもらったものです。またリビアやボスニア・ヘルツェゴビナといった日本にはなさそうな国の航空会社の事務所があったりして、そういった事務所を「発見」しながら歩くというのもなかなか楽しいものです。
タクスィムは新市街側の中心地です。ここから「イスティクラル(独立)通り」へ進みます。この通りは銀座に例えられるらしく、といっても私自身は銀座に行ったことはないのですが、イスタンブールで一番賑やかなところでしょう。車は進入禁止で、道の中央をノスタルジックトラムが鐘を鳴らしながらゆっくりと走っています。昔はこの通りにあるCD屋でセゼン・アクスSezen Aksuなどお気に入りのアーティストのアルバムを買いあさるのが恒例行事でしたが、いつのまにか家電商店となり、今は店自体がもうないようです。
イスティクラル通りは、文明開化時代の日本のような雰囲気があります。実際このような姿になったのは、オスマン帝国が「瀕死の病人」となった頃で、ここに西欧列強は租界を作り上げました。そこの中間地点あたりに「チチェッキ・パサージュ(花の小路)」というところがあります。なかなか雰囲気のあるレストラン街ですが、いつもケチな一人旅の私は、いまだここで飲み食いしたことはありません。その横にあるのが「バルック・バザール(魚市場)」です。なぜ海沿いでもないこんなところにそれがあるのかはわかりませんが、ここで必ずミディエ・ドルマス(ムール貝のピラフ」をつまみます。
来るたびに毎回同じことをしていますが、これをしないと気が済まないので仕方がありません。
チチェッキ・パサージュの反対側には「ガラタサライ・リセ(高校)」という学校があります。ここはトルコでも屈指の由緒ある超名門校です。ちなみに「ガラタサライ」という、サッカーでも有名なクラブチームは、もともとはこの高校のクラブがルーツとのことです。
イスティクラール通りの中間地点にある交差点を右に曲がってしばらく進むと「ペラ・パラス」というなホテルがあり、ここは昔、オリエント急行でイスタンブールにやってきた西欧人の定宿で、今も営業していますが、さまざまな著名人が利用した部屋が博物館のように公開されています。ここに泊まったことはありませんが、初めてトルコに行ったとき、なりゆきでここよりもう少し先にあるとあるホテルに泊まっていました。ちょうどこのホテルのそばにアメリカ総領事館があり、パナマのノリエガ将軍騒動でデモ隊が押しかけてきたのをホテルから見たこともありました。いまやアメリカ大使館や総領事館前は世界各国共通の危険スポットです。
イスティクラール通りも中間地点を過ぎるとだいぶ人通りも少なくなってきます。通りの終点はテュネルというところで、ここにはユーラシア大陸初の地下鉄とも言われている地下ケーブルカーの駅もあります。テュネルとはトンネルという意味のトルコ語です。
この先から道は細く急な下り坂となりますが、下り坂となる手前の左手にあるのが「ガラタ・メヴラーナ博物館」です。ここはもともとは、スーフィズムとも呼ばれるイスラム神秘主義教団「メヴレヴィー教団」の修行の道場です。メヴラーナ・ジェラールッディーン・ルーミーを開祖とするその教団の修行スタイルは、くるくると回転することで神との合一を図るというもので「旋舞教団」として知られています。いわば正統イスラムではないのですが、シャーマニズムの影響が強かったトルコ系民族への布教にあたってはイスラム神秘主義がピタッとはまったというところでしょうか。第一次世界大戦終了後に成立したトルコ共和国は宗教勢力を徹底的に排除したため、このような道場も閉鎖されてしまいましたが、今は「博物館」という位置づけで修行の舞いが公開されています。この教団の存在を知ったのは、トルコ研究家の大島直政さんの著作で、この旋舞を見たくてトルコに行きました。たまたまトルコに行く直前に、NHKのテレビ番組でその旋舞が放映され、ナマで見たいという気持ちがますます強くなりました。のにもかかわらずいろいろうまくいかないことがあって結局見ることはできなかったのですが、それから二十数年たって1年前にここで旋舞を見ることができました。たまたま博物館の前を通ったら、この日に旋舞が行われることがわかり、結構高いチケット代だったものの、永年の願望を遂げることができました。そして1年後の今ここの前に来たら、今日も旋舞を行うとのこと。ガイドブックによると旋舞の日は不定期と聞いていましたが、ここの教団、ではなくて博物館はなかなか商売熱心のようです。親方日の丸ならぬ「親方新月旗」の軍事博物館も見習ってほしいものです。やっぱりチケット代は安くないので、どうしようかと悩みましたが、夜はヒマなので見に行くことにしました。ひょっとしたらまたなにか新たな発見があるかもしれません。
さらに坂道を下っていきます。
ここの坂道はけっこう勾配が急です。今は坂を下りているのですが、逆にここをさかのぼるのは相当きついです。地下ケーブルカーが必要なわけです。ここはイスティクラール通りからそんなに離れていないのに、一昔はちょっとさびしく、周囲の建物が空き家と化してホームレスが住みつくような、ちょっと治安の悪そうなところと言われていました。かつてここらあたりには公娼があり、見に行ったこともあります。周囲は人気がないのにそこだけなぜか明るく、トルコ演歌がBGMで流れてきて、なんだか異様な雰囲気を醸し出しています。ゲートでパスポートをチェックされて中に入ると、トルコ男が初詣状態で大勢屯していますが、誰もおネエさまのいる建物の中に入りません。お気に入りが見つからないのか、それとも中に入ると冷やかされそうで恥ずかしいのか。たぶん両方でしょう。はたしてここは今も健在なのでしょうか。
右手にガラタ塔が見えてきます。今日は時々雨ですが、この時間晴れていたら、きれいな夕日を拝めます。写真だとあまり高そうには見えませんが、ここはもともとビザンティン帝国の晩年に、イタリアのジェノヴァが旧市街側への見張りのために建てたものです。昔ジャポンの女の子とここを訪れて、最上階のベランダから夕景色を一緒に眺めたことがありますが、ものすごくいい景色でした。いい雰囲気のような気もしたので、肩を抱いても拒絶されなかったかなと思いますが、ヘタレの私はただ黙って隣で突っ立っていただけでした。塔に上ろうとしている人の列の長さが尋常でないので、今回はスルーしました。
坂道を下りきったところはカラキョイというところで、アジア方面への連絡船の桟橋もあります。ここから旧市街側へはガラタ橋を渡って行きます。この橋は初めて架橋されてから何回かつけかわっていますが、今の橋を建設する際に建設費が枯渇し、折よく元の橋で火事がおき、その時に支払われた保険金で資金を調達したなどという話を聞いたことがあります。また、今は知りませんが、先代の橋の道路の下部分で営業していた魚レストランはぼったくりで有名でした。橋の両脇は歩道ですが、大勢の釣り人が釣りをしています。これははたして趣味なのか本業なのか。たぶん両方なのでしょうね。
対岸の旧市街側エミノニュは、市バスのターミナルや、アジア側や海峡クルーズの桟橋もあるなど交通の要所であり、モスクやバザールもあるなど、日常的に賑わっています。ここにあるムスルチャルシュス(エジプトバザール)という屋根付のバザールに行きます。ここは別名スパイスバザールとも呼ばれ、中に入ると香辛料の匂いが漂ってきて、下痢の時にここの匂いを嗅ぐとたちまち腹を下しそうな感じがします。かつては比較的庶民的なバザールだったのですが、最近は観光客相手の商品を扱う店が増えてきました。私はいつもここでキャビアとカラスミを買ってきます。「CENNET えどまっちゃんのみせ」が買い付け先で、縁があっていつもここで買っています。ここのシャチョー(たぶん)のエドさん(エルドアン)とセズギン君は日本語ができ、いろいろよくしてもらっています。やはりこういうところは一見さんもいますが、誰かの紹介で来る人やリピーターが多いようです。1年前この店の地下でエドと会話していた時、私は当分イスタンブールに来ることはないような気がして、それがエドにも伝わったのか、なんとなくしんみりとした空気になっていたのを思い出しました。しかしながらイランからの「寄り道」ではありますが結局1年後にまたイスタンブールにやってきたわけで、全てはアッラーの思し召しということにしておきます。
ここでしばらくの間お茶を飲んで時間をつぶします。博物館の施舞の開始は7時ですが、いい席を確保するために早めに行くことにします。言い忘れていましたが、今回のイスタンブールは昨年と比べてかなり寒いです。震えながら再び新市街側へ行きます。
再び新市街側にわたり、カラキョイの地下ケーブル駅に向かいました。ケーブルカーに乗るためにジェトン(コイン)を買おうとしましたが、ここはプリペイドカードでしか乗れないのか、自販機が見当たりません。係員に、どこで買えばいいんだと尋ねたら、改札を通るように言われました。なんて親切なんだろうと喜んでいいのかわかりませんが、深く考えないことにします。
テュネル駅でケーブルカーを降りて博物館に向かいます。奥の方にテッケという道場があり、道場の真ん中が板張りの修行場、その周囲に椅子が並べられています。最前列の椅子が一つだけ空いていたので、そこに座って開始を待ちます。
内容は、当然かもしれませんが昨年と同じ内容です。これはコンサートではないのですから。内容は、導師が見守る中を修行者がひたすら回転するものです。普通なら目が回ってしまうのですが、そうならないコツがあるとのことです。いわば宗教にありがちな苦行の一種でしょう。回転は地球の自転を意味し、一心不乱に回転することで邪念が消え去り、それが極まるとトランス状態となりいわゆる「神がかり」状態となります。それが修行者が求める「神との合一」なのでしょう。まるでシャーマニズム化したイスラムです。このようなスーフィズムと呼ばれるイスラム神秘主義は、預言者マホメット(ムハンマド)でさえただの「神の使い」であり神性を認めない「正統」イスラム(スンニー派)とはとても同じイスラム教とは思えませんが、アラビアの周辺部やイラン、トルコ、中央アジアでのイスラム教の普及に大いに貢献しました。メヴレヴィー教団の開祖メヴラーナ・ジェラールッディーン・ルーミーの名はトルコ人なら皆知っているとのことです。
それでは、写真をご覧ください。
ガラタ・メヴラーナ博物館を出て、再び歩いて急坂を下りていきます。
ガラタ塔は、夜はナイトクラブとなり、ベリーダンスなどのショーを見ることができます。そういえばもう長いことナマのベリーダンスを見ていません。昔は同じところに泊まっている連中とつるんでいろんなところに行ったりしていたものです。大晦日にどこかのYHでベリーダンスを見れるということで、そこは白人率の高いアウェイなところなのですが、構わずに乗り込んで年越しまで飲んだくれました。スタッフがちょこっと選曲を誤った時、自分がブーイングしたら、周りもそれにならって一斉にブーイングし始めたなんてこともありました。でももうそういう時代じゃないのかなという気がします。今でもいわゆるバッグパッカー宿というのはありますが、そこはなんだか合宿所のイメージです。そういうところの食事は自炊が多いです。これは意外と物価が高いので、お金を浮かすためにしている面もあるのですが、自分はこういう類の共同作業が苦手で、しかしながら自炊グループに入らないと輪に入れなくなってしまうので、だったらあえてそんなところに泊まっても仕方ないかと思い、今はこぎれいなところを定宿としています。今泊まっているところも、わりかし宿泊者の日本人率が高いところなのですが、みな自分と違って上品ななりで、他人に声をかける雰囲気じゃないので、部屋に引きこもりがちです。
坂を下りきって、ガラタ橋を歩いて渡ります。この時間でもまだ釣り人はいます。傘をさすほどの雨ではありませんが、空気が冷たいのでかなり寒いのですが、みな雨具を身に着けています。やはり生活がかかっている釣りなのでしょうか。
エミノニュからトラムに乗り、スルタンアフメットで降ります。夕食はどこで摂ってもよかったのですが、「プディング・ショップ」というレストランに入りました。ここは若干高級なのか、隣に同じような形式のロカンタ(カフェレストラン?)がありますが、そこは安いけどそれなりの味だし種類が少ない、ついでにいうといつも厨房のオヤジは新聞を読んでいてやる気もない。これは若干大袈裟ですが、そんなイメージです。少なくとも味に関してはそういう印象を持っていたので、いつもだったらその隣のやる気なしロカンタに行くところを、たまにはということで今回はそこへ行きました。
ここは、沢木耕太郎の「深夜特急」でも紹介されているところで、それ以外のネタは特にないのでうんちくはこれ以上は述べませんが、正直味は「こんなものか?」でした。久しぶりのエフェスビールはおいしかったですが。また5年ぐらいたったら行ってみたいと思います、インシャッラー。
今日は日本へ帰る日です。休みは長いようであっという間です。
ところで、歳をとると時差に対応できなくなりつつあるような気がします。西行きは東行きに比べて時差ぼけがおきにくいと言われています。西行きの時差ぼけ対応法は、眠くなっても寝ないで起きていること、現地時間に合わせて寝起きすることです。しかしながら体がいうことを聞かなくなってきたのか、深夜までこらえることができずに寝てしまい、ニワトリがまだ鳴く気配のない時間帯に目覚めてしまいます。今回もそうです。好きで早寝早起きをしているわけではありません。しかたないのでしばらくの間文庫本を読んで朝を待ちます。
ようやく夜が明けてきました。朝ごはんを食べて、出発までの時間どうしようかと考えますが、暇なときはアヤソフィアの前で人間観察をすることにしていますので、今回もそこへ行ってみます。今日は雨は降っていません。
そこはイスタンブールに観光に来るひとが必ず寄るところです。ですので観光客相手のいろんなあやしい人間もそこに集まってきます。そういうのを見るのが地味におもしろかったりするのですが、どうもみなおとなしいというか、まともです。つまらないので、ここを引き上げて広場をはさんで反対側の巨大建造物スルタンアフメットジャミー、通称ブルーモスクに行きます。
ここは現役のモスクです。入場料は無料ですので時間つぶしにはもってこいです。ただしモスクへの寄付は大歓迎です。よく帰国前にここを訪れ、中に敷き詰められている絨毯の上で胡坐をかいて物思いにふけったものです。ところが建物に近づいてみると中に入れない様子です。看板があって、今日は聖なる金曜日(イスラム世界では金曜日が休日なのが本来です)なので、昼過ぎから開くとのことです。残念。今日は最後にエジプトバザールで買い物をしますが、それまでまだ時間があります。そこで、今回はまだガラタ塔に登っていませんのでそこへ行くことにします。この時間ならまだそれほど混んでいないはずです。
ホテルに一旦帰り、チェックアウトします。荷物は預かってもらい再び出かけます。スルタンアフメット駅でトラムに乗り、グランドバザールを過ぎたところにあるラーレリ駅で降ります。ここで少し歩いて地下鉄のヴェズネジレル駅へ向かいます。そして昨日も乗った地下鉄で金角湾を渡り、シシャネ駅で降ります。去年この駅で降りて、地上にでるためにエスカレーターをえんえんと乗り継いで行くと、地下ケーブルのテュネル駅の辺りに出て、こんなところと繋がっていたのかと驚いたことがありました。しかしながら今回は別の出口にでてしまったようでした。ここからテュネルまでは結構きつい坂道を登らねばならないのでやれやれと思っていると、途中でガラタ塔への案内看板がありました。これに従っていくと、坂を登らなくてもたどり着けそうです。たまにはいいこともおきます。
朝のガラタ塔は、すいているわけではありませんが、それほど待たずに入ることができました。
エレベーターで上に上がり、さらに狭い階段を上がっていくと、ベランダに出ることができます。塔は、下から見上げるとそれほど高い建物のようには見えませんが、上からの景色は写真のとおりです。かなりいい眺めです。ビザンティン帝国末期は、金角湾の向こう側が帝国領という名の街でしたが、その街側の様子がよく見えます。塔の立ち位置は、ビザンティン帝国防衛の援助はしたものの、宗派の違いからか帝国とは微妙な関係だったイタリア都市国家の立場をよく表しています。ジェノヴァはビザンティン帝国からはどちらかというと厚遇されたようですが、そのジェノヴァにしてこのような塔を作るのです。腹の中はお互い不信感の塊だったのでしょう。塩野七海著『コンスタンティノープルの陥落』がこの件について、小説形式ながらも詳しくて面白いです。
このあと、エジプトバザールに向かい、予定通りキャビアとカラスミを買います。トルコでキャビアがとれるわけではないのになにゆえにキャビアを売っているのかと思いますが、売っているから仕方がありません。3種類ぐらい味見させてもらいます。今回は「ベルーガ」「インペリアル」「セブルーガ」でしたが、買うのは大抵「インペリアル」です。食べ方ですが、よく黒パンとかクラッカーの上に載せて食べるとか聞きますが、やはり海の民族たる日本人は、そのままスプーンですくって食べるのが一番なのではないかと思います。あと、お茶漬けで食べたこともあります。罰当たりな行為でしょうか。テヘランにはキャビアの軍艦巻きがあると聞いたことがありますが、今もあるのでしょうか。
おみやげの評判としてはキャビアよりもカラスミの方がよいです。パッと見はたらこや辛子明太子のようなものですが、味はずばり言うと珍味系です。これをサラミのように薄くスライスして、辛口の日本酒を熱燗で飲みながら食べると、舌の上でカラスミが溶けるようで本当においしいです。あと、私は作ったことはありませんが、カラスミスパゲティーにしてもかなりヨいらしいです。このように「このようにして食べるとおいしい」という形があるのがキャビアとの大きな違いです。カラスミにも黒海産と地中海産があるとのことで、今回は地中海産を買いました。だいたい日本の相場の半額程度で買えるのではないかと思いますが、基本的にはどの店も一見さんには安く売らないので、安く買うには、店員との値引き交渉もいいですが、「誰それの紹介」ならばそれなりのトモダチ価格で売ってくれるでしょう。
余談ながら、大量に余ったイランリヤルをなんとかしたいと、この店のセズギン君に相談したら、リヤルを扱ってくれる両替商をさがしてくれました。おかげさまで、日本に持ち帰っても記念品にしかならない大量のイランリヤルをアメリカドルに換えることができました。困ったことがあればとりあえず相談してみることです。
これですべての日程が終了しました。最後のトルコ料理を食べてホテルに帰り、荷物を受け取って再度お土産をしまうためにパッキングをしたら出発です。Allah ısmarladık!
ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取ったら空港に向けて出発です。スルタンアフメット駅からトラムに乗り、ゼイティンブルヌ駅で地下鉄に乗り換えます。地下鉄の終点がアタテュルク空港です。所要は約1時間弱。
今回のスケジュールは、アシアナ航空でソウル仁川空港へ飛び、数時間待ちで同じくアシアナで大阪関西空港まで、というものです。アシアナ航空のチェックインカウンターは既に開いていて、あまり並ばずにカウンターにたどり着きました。
窓口にいるのは現地のトルコ人らしき女性です。Eチケット控えを渡し、荷物を預けるために台に載せてボーディングパスの発券を待ちます。ところがなぜかこの係員、なにか勝手が違うのか、発券されたボーディングパスらしきものを持ってカウンターから出ていきうろうろしたり、誰かに何かを聞きに回ったりしています。一体なんでしょう。そんなことがあったものの、やがてボーディングパスが2枚渡されました。ところが私が内容を確認しようとパスに目を向けようとしたとたん、係員はさかんに「ノープロブレム」と言い出しました。時間がかかったことをノープロブレムという言葉でごまかそうとしているのかはわかりませんが、「ノープロブレム」というのは実は「ビッグプロブレム」という意味であることが多いというのが海外旅行の常識です。で、チケットに目をやると、ソウル行きのパスの方の座席の印字が「SBY」となっています。「SBY」…。素直に読むと「スタンバイ」と読み取れます。どういうことでしょうか。私の荷物は預けたままです。係員は、ボーディングカウンターに出向いてくれとも言っているような気がします。詳細な説明を求めようにも、私の英語力では荷が重いし、逆に詳細な説明を英語でされてもたぶん意味が分かりません。仕方がありません。なにが待ちうけているのかはわかりませんが、ともかく搭乗手続きをすすめることにします。ひょっとしたらビジネスクラスにアップグレードかもしれません。最近1年に1回はアシアナ航空を使っていますし、といっても名古屋ソウル間という短距離ですが。あとアシアナのマイレージクラブにも入っていますし。朕は得意様であるぞ、えっへん。
出国審査などを済ませて、待合室に移動します。ソウル行きは大型機なのに、待合室はあまり大きくなく、椅子が足りていません。ボーディングカウンターの近くで床に腰を下ろして搭乗開始を待ちます。去年の大韓航空イスタンブール発ソウル行もそうでしたが、日本人の姿もちらほら見かけます。そのうちに二人組の日本人女性がボーディングカウンターにやってきて、ボーディングパスを提示しました。すると別のボーディングパスと交換されたようです。私もそうしなければならないようですが、しばらくそのまま放っておきました。しかしながら何もすることがないので、こちらもカウンターに出向きました。すると係員は、待ってましたというような表情で別のパスに交換されました。座席欄を見ると、若干若い番号がふられています。これは期待できるかどうか。
搭乗開始となりました。列が短くなったころで私も列に並び、ボーディングブリッジを渡って機内に入ります。入口でCAにパスを提示すると、奥に進んで右に曲がるように言われます。右に曲がるとそこはいきなりエコノミークラスでした。そして私の席がありました。ああやっぱり、そうだろうなと思いつつも、期待していただけにすごく残念です。
結局「SBY」はスタンバイのことで、もしかしたら私は早くチェックインしてしまった迷惑客で、仕方がないので後から来る団体のために、とりあえず席の決定はあとにして、団体のチェックインが終わって残った席を割り当てる、ということだったのかもしれません。しかし私といい、別の日本人女性二人組といい、なんで日本人を無慈悲な標的とするのか。全く気分が良くありません。これに比べたら、某航空会社の機内でナッツが正しい方法で提供されなかったことなどかわいいものです。
今後アシアナ航空に対する経済制裁の是非について検討せざるをえません。といっても名古屋ソウル線はアシアナが一番安いので、制裁は見送りの公算が大ですが。くやしいです!
「SBY」の客にも席を融通してくださる誠に慈悲深いアシアナ航空の飛行機は、何事もなくソウルへ飛んでいきました。機内食のビビンバはおいしかったですが、たかが食い物ぐらいで私を懐柔できるとは思わないことだ。って、別に思っていないか。
現地時間の朝にソウルに到着しました。ソウル市内に出る時間はあるにはありますが、ほとんどうろうろすることはできませんし、これ以上買い物して荷物を増やしたくありません。今回はセントレアではなく関西到着なので。あと、アベノミクスの恩恵で円が安く、イランに行く前にソウルで一泊した時のウォンの残りがかなりありません。おまけに外は寒いです。街に出るのはやめにして、空港で引きこもり決定です。
持ち込んだ最後の文庫本を読んで搭乗開始を待っていると、大阪行きの機材が変更になったので、ボーディングカウンターで席を確認をしてくださいとのアナウンスが流れました。私は約半日前にボーディングパスを受け取っているので、ひょっとして私のことを指しているのか、今度こそビジネスクラスに変更してくれるのかと懲りずに期待してしまいましたが、カウンターには出向かないでそのまま待機します。
やがてボーディングです。ボーディングパスを係員に渡すと、ごく普通に半券を渡されました。私の席に変更はないようです。さらに飛行機の中に入ると、私の席は左側の3列の真ん中の席で、当然両側は埋まっています。ビジネスクラスどころか、エコノミークラスの中でも最もエコノミーな席です。こんな無慈悲な仕打ちは初めてです。臥薪嘗胆という言葉にちなんで、薪の上に眠らなくても痛む腰痛に耐えつつ、イランの高級キャビアを舐めることでこの屈辱を忘れずに、次回の旅行計画をじっくり練っていきたいと思います。完。