僕がなぜ講師をやっているのか。
こんにちは。
過去にnoteを始めようとツイートしてから少しばかり時間が空いてしまいましたが、ついにこの時が来ました。
皆さんお待たせしました!
今回は皆さんに僕がどんな想いでZeroPlusの講師をしているのかをお伝えしようと思います。完全に自己満で少々長いですが、もし興味があればお付き合いいただけると嬉しいです。
まず、僕が教育、講師というものに初めて興味を持ったのは、中学生の時に通っていた塾の先生との出会いがきっかけでした。
その先生の何が僕に刺さったのかというと、
僕たち生徒への「愛」が圧倒的に今まで出会った先生と違ったからです。
実際にどんなエピソードがあったのか。
僕には行きたい高校がありました。
偏差値は60弱くらいのまあ、自称進学校という感じです。
志望理由としてはサッカー部の顧問の先生が元Jリーガーで日本代表経験があったこと。アクセスも良く、自転車で15分ちょっと。雨でもバスで行けるという点ですね。
その先生は英語の先生だったのですが、
授業はとてもわかりやすく、おもしろい。
授業外でもたくさんコミュニケーションをとってくれました。
そして部活の試合とかも見にきてくれました。(よくよく考えたらこれすごいよね。)
だから、僕も含めてみんなその先生が大好きでした。
ただ、僕の偏差値は入試直前まで50くらいまでしか上がりませんでした。
受験前最後の模試も寝坊するし、教室でエアーガンをぶっ放してめちゃくちゃ怒られたこともあります。笑
もちろん模試では一番下の判定しか取ったことがありませんでした。
塾側からは志望校を下げようとずっと言われ続けていました。
正直僕も迷いました。
これは後から聞いた話なのですが、
当時僕が通っていた塾は生徒が行った学校のレベルによってランクづけがあるらしく、
その合計ポイントでその先生たちの評価が決まるという制度があったようです。(今は知りませんが、もう時効ということで。みんな内緒にしてね。)
そこで公立落ちて併願の私立だとポイントがないらしく志望校を下げさせることもあるという話を聞きました。
どこまで本当かは知らないですが。。。
恐ろしいですね。
ただそんな中でもその先生はずっと
絶対に志望校を下げるな。諦めるな。と
言い続けてくれていました。
そしてまだ卒業をしていないのに連絡先を交換して、一緒に模試の反省会をしたり、土日は朝早くから教室を開けてくれたり、
平日の塾までの時間は、車で家まで迎えにきてくれて一緒にファミレスで勉強したりしていました。(着いたら知らない別の塾の先生もいて教えてもらってた時もあります笑)
これらのことは決していいことではないと思いますが、お金にもならないし、バレたらクビになるのに僕のためにそこまでしてくれるんだ。
そんなに僕のことを思ってくれてたら諦めることなんて到底できないし、何がなんでも合格したい。
そんな思いで受けた志望校はなんと合格
試験会場にも、合格発表の時も来てくれたし、人生で初めて嬉し泣きをしました。
そんな先生が口癖で言っていたことがあります。
それは
俺は生徒のみんなが大好きだ。
と
生徒のことを想わない講師なんて講師じゃない。
です。
本当にしょっちゅう言っていました。
僕はこの体験から、講師というものはこうあるべきだ。と思い、そこから出会った先生をそういう篩にかけて見ていました。(生意気ですね。笑)
そして意外とそんな先生っていないものなのですね。
その頃から自然と言語化はできませんが理想の講師像みたいなのが確立されていきました。
そんな先生の影響か中学生の頃から人に教えることが好きでした。答えを直接教えず、ヒントを出しながらその子がしっかり理解できるように、中学生ながらに考えて教えていました。
そして、自分なりうまく説明ができたり、相手がめちゃくちゃ納得してそうな反応をしてたらすごい嬉しかったです。
薄々僕は人に何かを教える仕事が好きなんだなと当時感じていました。
高校生になっても自分が教えられることは積極的に教えに行ってました。ただ、基本的にはみんな自分より
頭が良くて教えられることがなかったり、部活でそれどころじゃなかったりで同級生にはあまり教えられることがなく、4つ下に妹がいるのでその妹に教えてました。(いいお兄ちゃんだ。)
そして大学生になり、アルバイトデビュー。
1番最初に応募したのは居酒屋でした。
そして1ヶ月で辞めました。
次に応募したのはモスバーガーでした。
それは4年間続けました。
え、塾講師とかやらないの…?
そう思った方、正解です。
僕は塾講師のバイトはしませんでした。
忘れていたのではなく、意図的にやらなかったです。
やらなかったというよりビビっていました。
教育者とあるもの人の人生を左右する人だと思っています。
教育って「教えて」「育てる」って書きますもんね。
当時の僕は飲兵衛ですし(それは今でもそうだけど。笑)、本当にだらしない大学生でした。
学校はサボるし、勉強も何もしない。頑張ったことも一つもない。本当にどうしようもない人でした。
もちろんそんな僕には人の人生を背負えるような覚悟はありませんでした。
そのまま大学生の4年間はダラダラと過ごして終わりました。(今思えば本当にもったいないです。)
そんな感じで右往左往し、エンジニア職に新卒で入社しました。(これはまた記事出そうと思ってるからちょっとまっててね。)
入社して3ヶ月は会社が提携しているプログラミングスクールでWebアプリについて学んでおりました。
言語はJavaです。(JavaScriptとは別だよ。)
全くの未経験にJavaはほんとーーーーーに難しく、何が何だか正直わからないまま3ヶ月過ぎました。
でも、Webというものの面白さだけは感じていて、将来はWeb系に携わりたいなとも同時に思えました。
いざ、3ヶ月が経ち、現場に配属されたのですが、それがまた独自すぎるシステムでそこでしか使えないような技術ばかりでした。
四半期くらいに1度上司と面談があり、自分は「Web系に携わりたい」と伝えたら、「うちにはないよ」と言われ、この会社を辞めることを決意します。
(今思えばもっと調べておけよ。って感じなんですけど、それくらい適当だったんですよ。。まあこの辺りも記事にできたらなと思ってます。)
そこでまずは独学でWeb系の言語の勉強をしました。
JavaScript、PHP、HTML/CSS、SQLなどですね。
一応、Twitter風の掲示板や、GPSを取得して天気予報のアプリなどは作れるようにはなったのですが、そこからどうしていいのかわからず、実費でプログラミングスクールに通うことにしました。
正直めちゃくちゃ怖かったです。
ただでさえ新卒の研修でスクールで学んで、なんもわからなかったのに別のスクールに入ってどうにかなるものなのかなと思ってました。
でも、入ったら後悔のないようにひたすらにコードを書き続けました。
授業が始まる前に追加課題は全部終わらせて、当時の受講生の誰よりもコードを書いていたと思います。(まあ自負ですけど。)
そんな中始まった初回授業。
講師の皆さんの雰囲気の良さや優しさに、忘れかけていた自分が思っていた「教育への想い」を思い出させられました。
もちろん潜在的になので、受講生中はひたすらに技術力の向上に努めておりました。
そんな中、運営の人が「講師やらない?」とふざけ半分で言ってくれた一言にビビっときます。
そこから、そのスクールが運営している会社のことや、設立時の話などめちゃくちゃに調べました。
自分が思っていたことがすごい綺麗に言語化されていて、「自分もここで働きたい」と思い、志願しました。
それが、ZeroPlusであり、TOMAPでした。
こんな経緯で僕は今講師をやっています。
途中で迷走して、当時あったことや思ったことをつらつら書いてしまいましたが、納期が近いのでこのまま納品させてください。笑(今6/6の23:50です。)
うまく言葉にまとめることはできませんでしたが、僕は「みんなの人生を変えるきっかけ」を届けたいです。
それはどんなことでもいいです。
正直プログラミングも関係なくてもいいです。
僕の中で今やっている講師の仕事は「みんなの夢を叶えるサポーター」だと思っています。
みんなの夢を叶えたい。
そのターニングポイントに自分がいたい。
だから今自分は目の前のことに全力でいれでるんだなととても感じます。
これは今まで出会ったZeroPlusの生徒さん皆さん、ZeroPlus関係者の皆様のおかげです。本当に感謝しています。
これからもたくさんの人に様々な「きっかけ」を与えていきます。
そして、皆さんの人生が少しでも幸せになるようにお手伝いさせて下さい。
長く、拙い文章でしたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?