倦怠
このようにして一生が流れていく。人は、いくつかの障害と戦うことによって安息を求める。そして、もしそれらを乗り越えると、安息は、それが生み出す倦怠のために堪えがたくなるので、そこから出て、激動を請い求めなければならなくなる。なぜなら、人は今ある悲惨のことを考えるか、われわれを脅かしている悲惨のことを考えるかのどちらかであるからである。そして、かりにあらゆる方面に対して十分保護されているように見えたところで、倦怠が自分かってに、それが自然に根を張っている心の底から出てきて、その毒で精神を満たさないではおかないだろう。
このように、人間というものは、倦怠の理由が何もないときでさえ、自分の気質の本来の状態によって倦怠に陥ってしまうほど、不幸な者である。しかも、倦怠に陥るべき無数の本質的原因に満ちているのに、玉突きとか彼の打つ玉とかいったつまらないものでも、十分気を紛らすことのできるほどむなしいものである。
パスカル 「パンセ」
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