夏目漱石「坑夫」 幸な人
旅費は無論ない。一厘たりとも金気は肌に着いていない。のたれ死にを覚悟の前でも、金は持っている方が心丈夫だ。況(ま)して慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭でも大切である。帰ると事が決まりさえすれば、頭を地に摺り附けても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉耻(れんち)も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁な貰い方でもする。・・・・・・大抵の人がそうなるだろう。又そうなって然るべきである。・・・・・・しかし決して褒められた始末じゃない。自分がこんなことを露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地はこれだから、これで差支ないと結論するのは、練羊羹の生地は小豆だから、羊羹の代りに生小豆を噛んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有り様を思い出す度に、なんで、あんな、さもしい料簡になったものかと、吾ながら愛想が尽きる。こう云う下卑た料簡を起こさずに、一生を暮らす事の出来る人は、経験の足りない人かもしれないが、幸(さいわい)な人である。又自分等よりも遥(はるか)に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯練羊羹ばかり味わっている結構な人である。
夏目漱石 「抗夫」