別役実「犯罪の見取図」子どもたちの残酷な戦術

そこで問題は、この種のルールである。どうしてこのような、奇妙な「文化」が彼らのうちにはびこることになったのであろうか。よく考えてみるとこれは、戦闘集団が直接まみえる肉弾戦が、電子制御された火器をリモートコントロールする「ボタン戦争」へ移行したいきさつと、よく似ている。他への「悪意」と「憎悪」がリモートコントロールされているのであり、それが引き受けてしかるべき人間のもとで効力を発揮したとき、発動者はそこにいないのである。そしてまたこれは、こちらの身分を一切明かさないままに電話攻撃をかける、いわゆる「電話魔」の戦術ともよく似ている。時限爆弾装置を利用し、犯行が行われた時には、既にその場から逃走してしまっている、「爆弾魔」の戦術ともよく似ている。

こうした過程を通じて、「悪意」や「憎悪」は個性を失い、無記名性のものとなり、それだけに不気味さを増すのであり、同時にそれはすでにそれを発動させた主体を欠いているから、引き受け手に反撃の手がかりを失わせ、全く一方的にその人間を攻撃するのである。しかもこの場合、その攻撃によって具体的に相手を傷つける必要はない。そこに誰のものともしれぬ没個性の「悪意」と「憎悪」が存在することを示すだけで、引き受け手が自らとめどなく傷つくのである。

巧妙な戦術というべきであろう。特にこの場合、「悪意」の発動者とその引き受け手が、或る抜き差しならぬ関係性の中に植えこまれ、共有する「場」の中に閉鎖されていたら、この戦術はかぎりない破壊力を持つことになる。鹿川君の担任の教諭が、こうした状況にあった彼に「転校すること」を勧めたのは、この意味で明らかに当を得たものであった、この種の「悪意」から逃れるためには、その関係性からはずれ、「場」を棲み変える以外に方法はないからである。これは決して「一時逃れの便法」などではない。そんなことをいう人間は、この戦術の巧妙さと、圧倒的な呪縛力を知らない人間である。

「葬式ごっこ」(朝日新聞社会部・著、TOKYOブックス)によると、教諭の勧告にもかかわらず鹿川くんは「転校にはまったく関心を示さな」かった。転校することで再び出来る新たな関係性と、新たな「場」に対して希望が持てなかったということもあったであろうが、同時に、現にある関係性と「場」をそのまま利用して、彼等の戦術を逆手にとった復讐を、彼はそのとき考えていたのではないかと、私は考える。当然、あってしかるべき反応であろう。彼は自殺し、その責任を負ってしかるべき人間を、遺書で特定してみせた。この「悪意」もまた、巧みにリモートコントロールされている。それを発動させた主体は死んでいるのであるから、「悪意」はそれ自体のものとして独立し、反撃するための手がかりを欠いており、極めて一方的に引き受け手を攻撃する。しかもこの場合、関係性からはずれ、「場」を棲み変えることも不可能である。発動者の方が死ぬことによって、その関係性と「場」を凍結してしまったからだ。

子供たちは今、このような戦術を通じて闘いはじめている。それぞれに相手を、一方的に抹殺しようとしているのである。このメカニズムを利用する限り彼等は、暴力を用いずに、更に残酷な傷を相手に負わすことができるのである。これを私は「ひとつの文化」と呼ぶのは、そのためだ。

つまり、恐らくそうなのである。彼等がこのような「文化」を創り出していかざるを得なかった背景には、彼等から「暴力」を奪い、「記名性の悪意」を禁止してきた歴史がある。最初の「いじめ」は「暴力」と「記名性の悪意」によるものだったと、私は考えている。ここにはまだ救いがあった。もし我々がこのとき、その「暴力」と「記名性の悪意」に論理を見出し、一つの方向性を見出すことが出来ていたら、それらを「いじめ」ではなく、対人関係を持続的に活性化させる動機とすることも、不可能ではなかったであろう。しかし我々は、「いじめ」に対する嫌悪感から、それをやみくもに圧殺することのみを目指し、彼らから「暴力」と「記名性の悪意」を奪い去ったのである。

彼等は「暴力を振るってはいけません」「人を憎んではいけません」という抑圧の下で、生きなければならなかった。これは抑圧か。抑圧である。人はすべて、「暴力」と「他人に対する憎悪」によってのみ、自分自身を解放し、同時に守り得るものだからである。「暴力」を振るうものにしか、「暴力」を振るわないでいることが出来ないのであり、「人を憎む」ことができるものにしか、「人を愛する」ことはできないのだ。

この抑圧の中で、彼らが工夫して創りあげたのが、この種の戦術である。つまり、「暴力」と「記名性の悪意」によらない「いじめ」の方法である。いうまでもなく、我々が彼らをそうするよう追い込んだのだということは、ほぼ間違いない。そして今、我々はこの戦術をも圧殺しようとしている。まもなく「葬式ごっこ」をしてはいけません、ということになるのだ。そうしたら、その次に彼等がどのようなことを考え出してくるか、私は想像する気にもなれない。

ともかく、この日この場所で行われた「葬式ごっこ」はひとつの「文化」であったことを、そしてその中で、その種のルールを通じて鹿川君も、そして彼等も、生命を賭して戦ったのだということを、我々は忘れるわけにはいかないだろう。この戦術は、戦術として余りに残酷であるが、そうせざるを得ない必然性が、彼等にはあったのである。


別役実 「犯罪の見取図」

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