宗教の事件 56 西尾幹二「現代について」
●常識に還れ・・・・・・オウム裁判「人権派」法律家たちへ
一
どう考えても普通の人間の常識では理解できない、ということが世には少くない。妙だと思いつつ、筋道をつけて考える材料がこちらにはなく、半ばあきらめてしまうという事例にわれわれはしばしば遭遇している。ことに専門的知識を必要とするケースに対しては大抵は手も足も出ない。専門家集団が強い調子で声高に語ると、常識からみて少し奇妙だなと思っても、素人のかなしさで、彼らの言い分の方にむしろ道理があるように思えてきてしまうのである。
オウム真理教と破防法をめぐる状況は、法律の素人である一般市民に、まさにそのような「確信の喪失」を引き起こしているケースの一つではないだろうか。
オウムは前代未聞のテロリズムを起こした団体である以上、二度と同じことをされてはたまらないから、解散命令を可能にする法律を適用するのは当り前のことで、と常識は判断している。ところが、破防法は憲法違反すれすれの危険極まりない法律であって、治安維持法という「歴史的悪法」(と耳に胼胝ができるほど聞かされている)の再来を思わせる、と、専門家集団は声高に警告する。更にオウム被害対策救済弁護団とやらが、いままではオウムの犯罪を憎むようなことを言っていたくせに、破防法ときくとまるで条件反射のように、民主主義の敵だとかなんだとか言いだして、一斉に同じ反対の声をあげる。常識家はこれを見ていると、不思議にも思うし、おかしくも思う。しかるにマスコミは全体として靄がかかったようで、サリンの脅威に怯えていた日々のことを忘れてしまったのか、オウムの犯罪を憎むことと破防法適用反対とは両立する、などというたぐいの妄言まで言い出す始末だ。つまりマスコミは例によってはぐらかしとぼやかしで浮き足立ち、オウム教団は今や事実上つぶれてしまったも同然で、心配はもうない、破防法のような大鉈を振り上げる相手ではもはやない、などという科白を何人もの人にあちこちでしたりげに囁かせる。
しかし普通の常識の持ち主は破防法を擁護したいのではなく、若者の軽快な凶暴性とおよそテロリストらしからぬ子どもっぽい遊戯性とを伴ったあの、人類未曾有のテロリスト集団をともかく解散させ、二度と活動させないようにしなくてはならないと考えているだけである。これはし損じることの絶対に許されない社会的要請である。そう考えるのが常識であろう。破防法以外に有効な手段があるなら、それでもかまわない。しかし宗教法人法で教団の財産を差し押さえても、宗教団体としての活動は防ぎ得ない。もしかりにオウムの名を冠した組織が再び国境の外へ出て行ったら、国際社会はなんというだろう。今は国連で化学薬品を使ったテロへの対応策が熱心に討議され、先ごろのリヨン・サミットでも今度団体解散の手続きに失敗したら、日本は“テロ支援国”に指定されるだろう。これは大げさな心配でもなんでもない。そういう可能性を想定しながら、世界を恐れつつ生きるのが、繰り返し言うが、常識というものである。
しかしながら、破防法の適用反対を叫ぶ人は、テロ活動を阻止するという最重要の目的よりも、破防法危険を指摘し、法を無効にすることに、より直接的な目的を置いているようにみえる。つまり本末転倒である。オウム被害対策救済弁護団のなかからは、教団が解散されると末端の信者たちの社会復帰が妨げられる、だから破防法適用には反対だというような考えを述べる人がいるようだが、これはおかしな理屈である。教団が存続し、そこから信者たちにとって気になる信号が休みなく発せられていることが彼らを心理的に呪縛し、社会復帰を遅らせることにつながるのではないだろうか。話がそもそも逆ではないか。
憲法学者奥平康弘氏の、「破防法は、制定時の経緯で明らかなように、共産主義取締りを本当の狙いとして来た。したがって、政治上の目的を持った政治活動を取り締まるという政治的性格の強い法律である。オウム真理教のようなカルト集団はまったく念頭に置かれていない。」(『朝日新聞』平成7年12月15日)も、法律家の言葉とは思えぬじつにおかしな理窟である。そもそもすべての法は過去に成立し、現在に適用される。原理的に行って、新たな事態を想定していないし、想定しないでいてもよい。新たな事態が生じたら、昔の解釈は役に立たず、新たな解釈で対処しなくてはならない。当り前な話である。サリンを撒き散らすカルト集団の出現は、人類史上例のない新たな事態である。この事態をぴったり想定した法が準備されているはずはない。既成の法の運用で対応する以外に方法はない。それとも奥平氏は、カルトをぴったり狙い討ちした法でなければ、カルトに適用してはならず、手を拱いて社会を破壊にまかせる以外にないというのだろうか。
さらにおかしな物言いは、破防法は「共産主義取り締まりを狙いとする」法だというのだが、あの法のどこを読んでもそんなことは書かれていない。逆に同法第四条に示される「暴力主義的破壊活動」の内容は、オウムの破壊活動の内容に一致し、カルトは必ずしも「新たな事態」ではないといってもよい。百歩譲って、奥平氏の言うように、制定時の経緯で暗黙に共産主義取り締まりのみを狙った法だとしても、法はいったん抽象的方式となれば、普遍化し、あり得る各種の事態に適用されてしかるべきものであろう。外為法は外国為替を管理する目的の法であって、総理大臣を逮捕する目的の法ではない。しかるに田中角栄がこれで逮捕されたのである。
(つづく)
西尾幹二 「現代について」