永瀬清子 詩は自分自身のものであり
詩は自分自身のものであり、だから思うままに抒情できると、自分の感情のままにほとばしれると、思うことほど高慢なものはない。私たちは絶対に自由ではない。
植物の中を通る水の流れと我々の血の流れは、又、植物と人間とは、大したちがいのあるものではない。
やがては人間のすべての行為も考えも、分解し証明される時が来るだろう。我々は種々の原因によって組み合わされた素材であるだろう。私たちは眼に見えぬ理由によって制約され、根を土によって押えられているものと何一つちがいはない。
オーエンからはじめて、マルクスからはじめて、フロイトからはじめて、人はさまざまに網の目の一部を解き明かした。人はそれを進歩だと思っている。ところがそれらはすべて人間の不自由に対する証明なのだ。
人は段階がすすむにつれて謙虚になるほかはない。
「素材的なる」 永瀬清子