唐木順三 酒談義

ひとまず私自身のことは棚にあげておいて、いわしてもらうことにしよう。信州の先生方は実によく飲む。飲む機会も多いであろうし、また飲む量も多い。まことにもって結構といえるが、しかし、どうも飲み方になると、結構とばかりはいえないようなところがある。

第一、ひとにむやみに盃をささげるのは、どうかと思う。私など信州へでかけて、宴会になると、まあひとつ、という盃がおしよせてくる。嫌いではないので、迷惑とばかりはいえないが、自分の席の前に、七つも八つも盃がたまってしまうのは憂鬱である。どうもあの献杯というやつは、ほどほどにしてもらいたい。第一、あの献杯や、お流れ頂戴は、封建の遺風らしい。民主社会の飲み方ではないらしい。第二には、あまり清潔ではない。

これは戦時中からのことであるが、酒の飲み方がひどくなってきた。浅酌低唱などという趣はもうどこかへ消えてしまっている。私はかつてこのことを酸いも甘いも心得た信州の一先生に話したところ、「この頃の先生は、安酒しか飲めないからね」といった。いきな料亭で美酒を飲めないからかどうかしらないが、とにかく酒の席が荒い。なにも怒号したり、荒い議論をしたりすることを指すのではない。酒の飲み方そのものがすさんでいるようにみえるのである。酒に対して相すまないようなところがないでもない。

私はいつの日か、酒にのまれるような酒ののみようになってみたいと思っている。酒をのんでも、のまれるな、ではない。酒さまのいう通りになるような飲みっぷりになってみたいと、かねがね思っているのだが、そこまでの修業ができていないのである。いいかえれば、私は酒を尊敬しているのである。酒を手段や道具にしたくないのである。酒を利用して、酒の上で相手をやっつけたり、自分を弁解したり、またふだんは頼めないようなことを頼んだりしたくないのである。

酒はよくしたもので、飲んでいるうちに、もうこのへんでおやめにしなさい、と徳利の方からいいだしてくる時機がある。その時機にこちらが、はいそうですか、では、というくらいになりたいのだが、なかなかそうはできないのだが、さもしさというものであろう。

こと、ここにいたると、棚にあげておいた私自身を、ひきずりおろすより外にしかたがないのだが、私の信州での酒の飲みようは、ことの外に悪い。では東京ではいいのか、といわれれば、これも決していいとはいえない次第だが、まあまあ信州出張のときよりはましな方である。第一、私には、大勢の前で講演したあとの後味がどうもよくないことがままある。そういう公演の後での酒はよくない。早く忘れてしまいたいための酒のような、そういう傾きがある。また、酒がはいると、割合に口が軽く早く動く。そして相手の酒をみていると、その人がわかってしまったような気になる。悪口雑言、我ながら始末におえない場合もでてくる。そうして、その後味はいっそう悪い。しかたがない。また酒という悪循環にたちいたって、酒さまのいうことをきくどころではなくなってしまう。

(中略)

酒のかたじけなさについて書くことは、ここでははばかるが、このごろ、酒飲みの一人として気にかかることをひとつ書いておきたい。ことしもまた夏には、海や山にたくさんの人がでるだろう。バンガローもいたるところ満員ということになるだろう。去年の夏は17,8歳の若者たちが、酒をのんで騒ぎ廻り、補導されたのも多かったという。自分の経験からいっても、若い者が酒をのんで騒ぐことを、頭から悪いともいえないが、海水偽一枚で若い男女が酒をあおったり、山のキャンプで、山をおそれないふるまいをしたりするのをきくと、酒が悪い方だけに利用されてしまっていて、酒さまに相済まないような気になる。奥野信太郎といえば、これは音にきこえた酒の大家だが、その随筆集『かじけ猫』のなかで、このごろの逸楽を「寂寥のない逸楽」といっている。どうもこの頃は、寂寥のない酒になる加速度にはブレーキの賭けようがない。法律と課長罰という無粋なものが、せっかくの酒席に泥足でふみこむのを待つより外に手がないとすれば、酒道徳も今や地におちたというべきであろう。

酒はうまく、楽しく飲みたいものである。しかし、この旨さ、楽しさの背後に、にがさ、痛さの心がないと、のっぺらぼうの味になってしまう。単に酒ばかりではなく、いまの世は、影のない明るさ、ふくみのないあらわさ、がめだっている。


唐木順三 「朴の木」(昭和35年発刊)

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