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ルドルフ・コンプレックス ゼンティス編(29)

第3章 ゼンティス

プラハ フロレンツ

「クラーラ、朝早くからすまんが」
「サー・ジェフリー。どうしたんです、こんな時間に」
 電話に出た彼女はベッドから身を起こして棚の時計を見た。7時5分を指している。
「緊急事態なんでな。とにかくテレビをつけてくれ」
「なんですって?」
「いいからテレビをつけるんだ。一大事なんだ」
 クラーラはサー・ジェフリーの声にかつてない緊迫感を感じ、急いでガウンを羽織るとテレビのある部屋に向かった。
「なにごとですか、そんなにあわてて」
「テレビはつけたか、スイスのニュースチャンネルだ」
「今つけるところですよ。マエストロ、いったい何が…」彼女はリモコンのスイッチを押したが、その姿勢のまま固まってしまった。

――まだ生死は不明です。繰り返します。昨夜0時すぎ、ゼンティス山山頂の山小屋アルター・ゼンティスに爆破予告電話があり、宿泊客はテラスに避難していましたが、その時二名がテラス下の崖に転落しました。一名は山小屋のスタッフに救助されましたが、もう一名の行方がわからず、朝になって救助ヘリが現地に向かいました。遭難者は発見できましたが、強風のため救助は難航しています。なお、爆破予告については、悪質ないたずらと見て当局が犯人を捜索していますが、今朝から改めて専門チームによる爆発物の捜索が行われる予定です。

 映像はゼンティス山頂の山小屋から遭難者のアップに切り替わった。アップといっても性別や年齢がわかるほど大写しではなく、うつ伏せになった人影がわかる程度でしかなかった。
「サー・ジェフリー!」
「まさか。大丈夫だ。彼らは無茶はせんよ」
「ええ、そうですよね。彼はいつも慎重でした」
 マエストロはクラーラを思いやって明るく言った。「さあさあ、そんなに悲観するんじゃない。まだ彼らとは決まっておらん」
「そうですけど、そうですけど…」
「何かあったら連絡が入ることになっとるんだから、座って落ち着きなさい」
 だがクラーラはテレビの前に突っ立ったままだ。
「とはいえ、ちょうど彼らが行っとるはずだからな。知らせないわけにはいかんだろうと思ったんだ」
「連絡は取れないんですか」
「何度かけても、いまいましいテープが電源が入っていないと言いよる」
 そう言うマエストロの声も妙に上ずっている。クラーラは腹を決めたようだ。
「サー・ジェフリー。あたし、行きます」
「まだ遭難したのが誰なのかもわからんのだぞ」
「でも、ここでじっとしてられるわけないでしょう、こんなニュースを見せられて。ともあれ、ご連絡ありがとうございました」
「ちょっと待ちなさい。わしも行こう」
「マエストロまで行くことはありません。私は上司ですから」
「クラールカ、少し落ち着いてくれ。現地には若い者を行かせればいいだろう。あんたはオフィスから指示すればいい」
「お言葉ですがサー・ジェフリー、あなたは組織というものがおわかりになってない。上の者がデスクにふんぞり返ってたら、誰も動いてくれませんよ」
「確かにわしは組織で働いたことはない。だがなクラールカ、現地は爆弾騒ぎで立入禁止になっとるらしい、残念ながらな」
「そんな…」
「麓までしか行けないそうだ。だから、今はとにかく情報収集が先だろう。あと、情報統制もな。そっちは君の専門だと思ったんだが。彼らのやろうとしていることは、ちょっとおおっぴらにはできん類いのことだし」
「……はい。おっしゃる通りです…。そうですね、これからオフィスに向かいます」
「それがいい。わしの方でもなにかわかったらすぐに連絡する。なに、彼らは大丈夫さ」
「そう、そうですね。ありがとうございました」
 サー・ジェフリーは葉巻に火をつけ、凶悪な目つきでキッチンのテレビをにらみつけた。

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