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北京オリンピックフィギュアスケート
北京オリンピックもクライマックス。アスリートの躍動とそこにある様々なドラマを見る毎日は非日常で心が躍る。
僕は現在大学院に通っているのだが、そこでの研究発表もひと段落つき、少し晴れやかな気持ちで観戦している。
フィギュアスケートでは、羽生選手の挑戦と、勝てなかった後のコメントには胸を打たれた。
彼のこれからの人生で、これまでやってきた事に加えて、今回得た経験がどんな財産になっていくのか、新たな羽生選手がどのようになっていくのかとても興味深い。
有名になったアスリートが抱える、良い部分と難しい部分についてはよく考えることがあるが、彼に関してはメディアにめっちゃ注目され、背負いすぎていたのかもしれないと感じていた。
ここからまだ競技を続けるのであれば、もう少し解き放たれた彼のパフォーマンスを見ることができたら嬉しい。
鍵山・宇野両選手は緊張もあったと思うが、素晴らしかった。
鍵山選手はフリーの演技の直前に、これで結果が決まると思ったそうだが、結果を気にしたことによって緊張感が増したのかもしれない。ショートは、そのプレッシャーが少なかったから楽しめたのではないか。
宇野選手は、試合を練習のために。というマインドがユニークであった。つまり質の高い練習をするために、試合で挑戦することを意識する。試合も競技レベルを上げるための、線の一つであるという考えなのではないかと思う。
試合のためにやってきた。これで負けたら全てが終わる。ということではない。
だからこそ、変に背負いすぎずにできたのではないかと思った。
news zero で両選手にインタビューをする機会をいただき
「人として、どうなりたい?どうありたいですか?」と質問をした。
鍵山選手は「アスリートとして人としても憧れの存在になりたい」と仰っていた。
18歳にして、人としての魅力を意識して生きながら、競技を続けている姿勢に感銘を受けた。
宇野選手は「自分自身に正直にありたい」と仰っていた。こちらもまたええなーと思った。色々な人に色々なことを言われて、それこそ競技自体を楽しめない時期もあったのかもしれない。行き着いた先が“自分らしさ”。
好対照な二人を見ていて、なんだか微笑ましくなった。
そして、この二人がなぜここまでの選手になれたのか。
その一つの要因は羽生選手であることは間違いない。
羽生選手がフィギュアスケート界にのこしたものの素晴らしさを改めて感じることになった。フィギュアを応援していくことが益々楽しみだ!