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『トイ・ストーリー4』(2019年) 映画評【後編】

『トイ・ストーリー4』映画評の後編です。前半をおさらいすると、これまでのシリーズ3作で積み上げてきたものを解体したことで物語の設定やこれまでの哲学が全否定されたことに怒っている人が一定数いること、具体的にどこに怒っているかを推測してみました。


【若槻千夏さん騒動にみる、教育者側の人生の問題】

しかし本当にこの破壊はダメダメなのでしょうか。僕は本作を見終わったとき、最近日本で起きたある騒動のことを思い出しました。それはタレントの若槻千夏さんが教職員の働き方改革に異議を唱えたことで炎上したことです。参院選や吉本興業の会見もあったせいで大炎上というよりプチ炎上程度でしたが、翌日に若槻さんが自身のインスタグラムで謝罪文を掲載する対応に追われました。

今の日本の何か起きるたびに魔女狩り・言葉狩りで誰かを徹底的に追い込む風潮には大いに違和感を覚えます。とはいえ若槻さんの発言を見ると、教職員の過重労働という問題の根の深さを改めて考えざるを得ません。

僕の友人や知り合いにも教師が何人かいますが、全員もれなく大変そうです。自分の子どもの子育てもしながら生徒たちの面倒を見ている人や、逆に過労のせいで時間に追われて歳を重ねていくことに焦る人もいます。普通の企業なら残業代や代休がつく業務もそうでなかったり…それでも「子どもが好き」という気持ちで日々教育の現場に立つ彼ら・彼女らは尊い存在だと心から思います。だから教職員がもっと業務をスクラップして過重労働を緩和することは必要だし、彼らには彼らの生活があるのだから、地域・コミュニティで包括的に子育てすることが求められるだろうというのが私見です。

話が逸れましたが、今作でボー・ピープを筆頭とする野良おもちゃ達は「自分の実人生を大切にしたい」ということを主張しています。これも「彼らには彼らの人生がある」ということだと思います。まさに教育現場の働き方改革も映画の大きなテーマになっていると感じました。

【これまでの悪役の理論が正当化される】

『トイ・ストーリー』の世界において、おもちゃは人間がどんなに身勝手でも彼らについていくしかないし、結局は商品と消費者でしかないという残酷さに怯えながら常に生きています。

それっておかしくない?理不尽じゃない?可哀想じゃない?

『トイ・ストーリー2』の悪役プロスペクターと『トイ・ストーリー3』の悪役ロッツォが抱くこの根源的な不満はもっともだと思います。ただそれを突き詰めてしまうと、悪役の方がむしろヒーロー的になってしまうため、彼らは過激な思想に走り極端な行動を取るわけです。そうすることで、「いま目の前の子どもと精一杯向き合う」というウッディのプロ意識の方が説得力を感じられたのです。

ところが今作のヒロインのボー・ピープは、これまでの悪役と同じ価値観を持って登場します。元々僕は最初の頃のおしとやかなボーも結構好きでした。ウッディに恋心を抱いてる感じが良かったし、まさにマドンナ的存在で可愛いと思ってました。

なので『トイ・ストーリー2』でジュディが登場した時は、

ヤバい!女の新キャラとか、ボーのマドンナ枠が脅かされる

と危機感を抱きましたし、『トイ・ストーリー3』でボーが出なかった時は

なんでボー出ないんだよ!ってかジュディとバズはどーでもいーよ!

と思いました。だからボーが別人みたいな姿で登場した時は大いに驚きました。ドレスをベリっと剥がすとパンツルックで、杖を武器にして堂々と立ち回る。ハツラツとしたバリバリの格闘派という非常に現代的なヒロインに設定されています。

このヒロインの180度ともいえる転換、人生のやり直し、再出発は今まさに放送中のTBSドラマ『凪のお暇』なんかにも通じると思うのですが、見ていて非常に痛快です。

ボーはもともと、ウッディのようにモリーの1番のお気に入りでした。「誰かにとってのNo.1でありたい」とか「このコミュニティにおいて、私が特別な存在でありたい」という思いは誰にだってあると思います。ボーはモリーの家にいた時にその承認欲求を満たしていたとは思いますが、だからこそ人気者であるためにどこか無理をしていたのかもしれません。

ところが、ある日あっさりと彼女は捨てられます。そのショックは相当なものだったと思います。コツコツと築いてきたものが理不尽に取り上げられた瞬間、全てが馬鹿らしくなったのかもしれません。動きづらいドレスを脱ぎ捨ててデニムで颯爽と歩き出す場面、僕は『ローマの休日』だなと思いました。この映画の冒頭では女王という立場やしがらみに縛られたアンの閉塞感を表現するために、彼女がドレスの中で靴を脱ぐカットが挿入されます。衣装という小道具でキャラクターの心情や変化を描く巧みな演出です。

【ウッディに中年の危機】

話を主人公のウッディに移します。彼はアンディという持ち主の元ではスタメンで、常に主演俳優でした。舞台裏のおもちゃ達もリーダーとして束ねる、言うなれば職場で一番仕事が出来る人です。
ところがボニーの家にきた瞬間、彼はスタメン落ちしてしまう。舞台袖のクローゼットを温める日々が続き、保安官のバッジすら取り上げられてしまいます。これに限らず今作ではウッディは数々の苦汁をなめることになるのですが、これは完全にミドルエイジクライシス(中年の危機)をさしています。仕事一筋だった人が会社を辞めた瞬間に、自分は無価値なのではないかと思ってしまったり、人生の指針を見失ってしまう状態です。一般にミドルエイジクライシスは男性の方が陥りやすいと言われており、ボーがパッと180度違う人生に舵を切ることが出来たのに対してウッディはいつまでももがき苦しむことになります。

厄介なことにボニーはウッディに何の関心もありません。アンディから彼を譲り受けた時に大切にすると約束してましたが、でもそんなこと子どもが覚えているはずもありません。『トイ・ストーリー4』は人間の描き方が所々どうかと思う部分がありますが、この子どもの「どうしようもなさ」の描き方は過去最も誠意があると思います。子どもがおもちゃを失くすことも、時に壊すことも、飽きていらなくなってしまうことも仕方のないことです。

【なぜウッディはフォーキーに固執するのか】

ウッディはしかし、自分の仕事論とか人生哲学を今さら変えることができません。自分にスポットライトが当たらなくともボニーの成長のために何か貢献出来ることがあるはずだ。その結果、彼が見出したのがフォーキーを立派なおもちゃにすること。彼は勝手にフォーキーの指導役を買って出て、脱走するフォーキーを何度も何度も何度も捕まえては引き戻すのです。

一方のフォーキーはかなり合理的で、自分のことをゴミだと割り切っています。使い捨てのプラスチックの先割れフォークであるフォーキーは、「自分はフォークとして使われるために生まれてきた。その目的を果たしてゴミとなったのだから、ゴミはゴミらしくゴミ箱に行くべきだ」と言います。

非常に哲学的だなと感心しました。実際のところ人間もそうですよね。僕たちはみんな死ぬために生まれてきている。もう少し言い方を換えると繁殖して子孫を残すために生まれて、その目的を果たしたものは死んで土に還るのが自然なことだと。身も蓋もないですが、全ての生物がそうやって命の輪を紡いでいます。

だけど現代において人間はそこまで割り切れませんよね。子どもを産んである程度成長して巣立ったら、じゃあ死のうというわけには行きません。それ子どもを作らない選択肢を取る人もいるし、作りたくても作れない人もいる。フォーキーの理論だと、そういう人には生きてる価値がないということになってしまいます。

そしてフォーキーの理論は現状でおもちゃとしての役目を果たしてないウッディの人生も否定します。ゴミ、ゴミ、と連呼するフォーキーの言葉でおそらくウッディは『トイ・ストーリー3』のゴミ焼却炉の炎が脳裏に浮かんだのではないかと思います。ゴミの行き着く果てーそれは永遠の死です。だからこそウッディはフォーキーにこだわらなければならなかった。彼を生まれ変わらせることが、そのまま自分の人生を肯定することに繋がるのです。

さらに面白いのは、ウッディはゴミとしての生を一度は全うしたフォーキーのセカンドライフを考えるのには必死なのに、自分のセカンドライフについては微塵も考えられない。自分のことが一番見えていないというのも、何ともリアルだなと笑いました。

【ウッディとボーの夫婦漫才】

笑ったといえば今作は笑えるところがいくつもあるのですが、僕が一番面白かったのはアンティークショップの潜入捜査でウッディがトチったことをボーに説教されるシーンです。元々の2人の関係性は職場で一番仕事がデキる人気者と、彼に憧れる女の子でした。しかし時の流れが立場を逆転させます。職場以外のことには全く無知で、目まぐるしく変わっていく世界についていけないウッディはオロオロしている。対してボーはテキパキと行動し、不満を堂々と口に出す。それに対していちいちウッディが「ごめんなさい」とションボリする姿、サイコーでした。

僕も子どもが産まれてから、今まで妻に任せきりだった家事をするようになったのですが、

「これちゃんとここに干してって言ったよね?」
「これ燃えるゴミに出しちゃダメでしょ、今まで知らなかったの?」
「もう私がやるから何もしないで」

と言われるたび、「ごめんなさい」と謝っています。なのでここは感情移入がハンパなかったし、ここでのウッディとボーは定年退職後に海外旅行先に訪れた熟年夫婦のようでした。

【今作の白眉は”もう1人のウッディ” ギャビー・ギャビー】

 今回の悪役はウッディと同じく50年代に製造されたギャビー・ギャビーという人形です。彼女は声を出す装置が壊れていて、そのせいで子どもに引き取ってもらえないという思い込みに囚われています。それは奇しくもフォーキーが側にいればボニーが幸せになれると盲信しているウッディのよう。子どもの愛に飢えているという点でもギャビーはウッディと鏡像関係にあり、彼のダークサイドそのものです。


 彼女にシンパシーを感じたウッディは自らのボイスボックスを差し出します。声を手に入れることが出来たギャビーは、しかしアンティークショップの老婆の孫娘のハーモニーに拒絶されてしまう。ここで物語は『トイ・ストーリー』第1作に原点回帰します。ギャビーは自分の存在を決定的に否定されてしまうわけですが、これはかつてバズに主役の座を奪われたウッディや、自分がスペースレンジャーだと信じ込んでいてバズがただの人形だったことを知ってしまう絶望に通じます。

 じゃあそこでどうするのかー自分が特別でなくとも、世界が望み通りではないとしても、その中でベストを尽くす。それしかない。ウッディ達の目の前に迷子で泣いている女の子が現れる。ギャビーは葛藤します。また拒絶されたらどうしよう…だけど彼女は思い切って一歩踏み出します。

ここで1度目の大号泣でした

 誰にも必要とされないという挫折は、ある意味でいちばん困難な悩みかもしれません。でも間違いなくそれで困っている人はいます。シリーズ4作目にして初めてそんな人(おもちゃ)が救われる展開が生まれたのです。しかもギャビーの選択はボーの選択とも違います。持ち主の顔色を伺って、また捨てられるかもしれないという恐怖を抱え続けて生きなければいけない。でもそれは彼女が選んだ道で、この物語は決してそんな彼女を否定しません。

 ちょくちょく『トイ・ストーリー』シリーズが『ブレードランナー』っぽいと書いてきましたが、物語はいよいよここに来てシンクロします。自分の存在意義が完全に否定される出来事に絶望しつつ、それでも生きる意味を模索してチャレンジするーこれは『ブレードランナー2049』の主人公Kです。

そしてギャビーの行動に感化されて、ついにウッディは大きな大きな決断に踏み切ります。これもロイ・バッティの命がけのメッセージを胸に刻んでレイチェルと逃げるデッカードに重なる。

『トイ・ストーリー4』ほぼ『ブレードランナー』説の完成です笑。

【これはアップデートの物語なんだ】

僕の2つ目の号泣ポイントはウッディと友人達のお別れの場面で、その理由は前編にたっぷり書きましたので割愛します。しかしこのウッディの決断が納得出来ないとか、間違ってるという批判の声もあるようです。

僕が思うに本作の最大のメッセージは「アップデート」ということではないかと思うんです。ボーは20年かけてヒロイン像をアップデートさせました。作中のウッディは凝り固まった人生観のせいで、時代の流れについていけずにミドルエイジクライシスに陥りかけています。ボーは彼の頭の中をほぐすことで、「いまを生きろ」と訴えかけているのです。

ディズニーは現在、様々なリブートを行ってます。今年だけでも『ダンボ』『アラジン』『ライオンキング』など、過去の名作アニメを実写化しています。正直僕はこのプロジェクトが全面的にいいとは思いません。ってかオリジナルを再上映してくれよと思います。アニメーションであれをやったから偉大だったわけで、実写化してどーすんだよとも思います。


ただ今焼き直す意味として、物語をアップデートし続けるという意義はあるでしょう。ディズニーは常にその時代のモラル、その時代のテーマ性、その時代のメッセージをアップデートすることで支持を受けているからです。ピクサーだってそうです。第1作を監督したジョン・ラセターは社内でのセクハラが問題になって会社を去りました。それは社内で働く人達の価値観がアップデートされ続けている結果に他なりません。

 ラストのウッディの決断が正しいか間違っているか、それはどっちでもいいと思います。もしかしたら10年後、20年後には間違ってると言われるかもしれない。でも現時点で最良と思える道を選ぶーその姿勢こそが本作のメッセージだと僕は思います。

その証拠に映画の本編では使われませんでしたが、予告編のBGMでビーチ・ボーイズのGod Only Knowsが使われています。この曲は


I may not always love you
いつも君を愛すると約束出来ないかもしれない
But long as there are stars above you
でもあの空に星が輝くあいだは
You never need to doubt it
決して疑わないでほしい
I'll make you so sure about it
僕の愛は確かなものだから
God only knows what I'd be without you
君がいないと僕はどうなるか、それは神のみぞ知る

という歌詞です。ボニーの元を去るウッディの気持ちが代弁されているのです。この決断が良かったのか悪かったのかなんて分からない、でもだからこその人生じゃないかと。


【終わりに】

ということで前後編の長文になりましたが『トイ・ストーリー4』の感想はこんな感じです。当たり前すぎてほぼ触れなかったですが、アニメーション技術の進化が凄かったです。(冒頭の雨の質感とか)

あとギャビー・ギャビーの吹き替えをした新木優子さん、彼女の演技は超良かったです。あの若さでこの読解力は本当に上から目線で超失礼ですが、「これから来るな」と確信しました笑。

本当は字幕版でキアヌ・リーヴスの声でデューク・カブーン観たかったなとかありますが、ソフト化を待ちたいと思います。今回はNGシーンはありませんでしたが、最後の最後でアイツがハイタッチ出来て良かったです笑。

前編にも書きましたが、今年観た新作映画の中では今のとことトップ級。1位はちょっと別格なのですが、『愛がなんだ』と『スパイダーマン:スパイダーバース』と今作が熾烈な2位争いを続けている状況。今月末にはタランティーノの新作も公開されるし、灼熱の夏より熱い映画の夏はまだまだ続きそうです。


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