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三十代老人

こんにちは。ご無沙汰しております。
最近何をしているかというと、何もしていません。驚くほど何もしていない。

仕事のある日は、9-17時で働いたあとは、21時には就寝しています。
在宅ならまだしも出勤日だと移動時間もあるため、ほぼ仕事と睡眠以外何もしてません。

休みの日は、だいたい8時頃起床。近所の公園(ほぼ森)に行き、鳥のさえずりを聞いたり、池の鴨を眺めたりしながら、ぼんやり散歩。
その後、朝食を取り、3~4時間ほど昼寝。
午後は、窓を開けてベランダで育ててる色々な草木を眺めたり、図書館で借りた本を読みつつぼんやりし、夜になったら21時頃に寝ます。

ほぼ、食べてるか、寝てるか、ぼんやりしてるかの三択です。
以前「食べて、祈って、恋をして」という映画を見てなんて中身がないんだと思いましたが、いくら中身がないとはいえ、「食べて、寝て、ぼんやりして」よりは幾ばくかマシでは無いでしょうか。

ちなみに、元気な時は、秩父の山に行ってます。
登山ではなく、駅近の林道を歩いて帰ってくるだけの散歩です。
山の土地が欲しく現地調査を兼ねてはいるものの、ここでも、鳥を見たり山を見たり、やってることは近所の公園と変わりません。
唯一、違うのは、林道を歩いていると、車に乗ったその山に住んでる老夫婦などから「駅まで送りましょうか?」などと声をかけられてしまうくらいです。
平服で荷物も持たず(基本出かける時は手ぶら)歩き回るせいで、おそらく自殺者でないか警戒されてるんだと思います。
申し訳ございません。
ただ、考えても見ると、その老夫婦との会話は、私が9月中旬~11月中旬の間で、プライベートでリアルの人間と話した唯一の機会だったような気がします。

まるで年金生活の独居老人みたいなライフスタイルですが、何が恐ろしいかって、この生活になんの疑問もわかないんですよね。
さしもの私も、当初は1日10~16時間も寝るこんな生活まずいのではと思いましたが、「ネコ科の動物は1日18時間寝てる」ということを知って「猫よりは起きてるし別にいいか」と勇気づけられ今に至ります。
満たされてるからか物欲もなく、最近買った目新しいものといえば、庭に置く新しい苗木くらいですね。
生活の安定感、平穏感が強すぎて、ほかのことをやる気になりません。

コロナ自粛真っ只中の3月頃はあまり一人でいすぎるのはやばいのでは、認知の歪みが…等考えてもいましたけれど、あれも遠い昔のようです。
なんといっても、人生のストレスのほぼ全ては外部からもたらされる=外部を遮断すると人生の満足度が増すと気づいてしまったことや、一人でいると色んな病気を移される心配がないため、恐ろしく体調が良いこと(今年の医療費、ここ20年ほどで過去最低。点滴打った本数も直近10年で1番少ない。)を考えると、認知の歪みくらい、この平穏に比べたらさしたる問題でもないかな…、みたいな部分もあり。正直なところ。

こんな暮らししてたらダメになると思われるかもしれませんが、最近、ダメになるってどういうことなんだろうと思います。
つまり、ダメじゃないこと、つまり「社会的に良しとされること」って、経済が回ることで誰かが得することか、その行為により本人以外の誰かが得すること、いずれかに当てはまることが多いよなぁ、と。
本人の得より他者の得が優先される価値観なんですよね。
それを、一歩引いて考えると、それは本当に鵜呑みにしていい価値観なんだろうか?と。

これは、人生前半戦で、いわゆる、家族を支え、懸命に自己研鑽に励み、社会的地位や財産を築くという「社会的に良しとされること」を様々にやり込んだからこそ、こと更に感じるのかもしれません。
今になっては、人生という名の小川で、無為に湧いては沈む様々な飛沫の一切に、良いも悪いもないのではなかろうか。
そうぼんやりと思います。

そんなこんなで、今日は「生きることに意味は無いのに早期離脱も許されない、人生という名のハードゲーム」を、いかに無難にやり過ごすか考えた結果、社会から距離を置き、隠遁生活に励むようになった中年女性のご報告でした。

追記

読み返して思ったんですが、この隠遁生活って、金銭面や、住環境などの生活面で安定してることが前提の思考のような気がします。
心穏やかに生きましょう、暮らしましょう、と説く人や本は多いですが、果たして、その人が心穏やかに生きていられるのは、純粋に本人の心持ちの話なのか?ただ環境的に恵まれてるだけでは?
疑念はありますね。

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