障害というのはある特殊な限られた関係においてのみ発生するという話を聞いた。
アスペルガーの姉は、学生時代ずっと通常学級と呼ばれる場所で過ごした。(対して特別支援学級というのがある)
母の「いつかは自分で生きていくのだから、普通と同じように過ごせるようにならないといけない」という立派そうな意向があったから。
母も今ほど発達障害が認知されるようになるとは思わなかっただろう。
母自身も障害ではないけど、知名度のない難病を抱えた人間だったので、周囲になんとかしてもらうのではなく自分自身をどうにかする他、生き方を教えられないと思ったのかもしれない。
当時は今よりアスペルガーの認知が全然なかったし、アスペルガーは外見で分からない。
家族や先生にはパニック時の対処法の説明があったけど。
今思えばパニック時の対処法って、すでに姉の中で我慢ならない問題が起こったあとの話よね。
同室の姉は毎晩のように手の甲を噛むから手は荒れまくってたし、時折すすり泣く声も聞こえてきて怖かった。
ストレスなんだろうけど、わたしにはそれがストレスだった。(不毛)
そんな姉が結婚して、家族の元から離れて2人子育てしているというのは、割とハードモードなのでは?と思っていたが、最近ネット上でイキイキしている姉を見かける。
どうやら姉には現実の対人関係下では障害があるが、ネット上の対人関係下ではそうでもないようだった。
イキイキどころかネット上の方が自己表現が豊かだった。
姉の旦那には親族が少なく、実家からは離れてくらしているから、さぞかし大変だろうというのも、もしかしたら、勝手な思い込みかもしれない。
現実において姉に必要なのはたくさんの人手より、自分に理解ある限られた対人関係で十分なのかもしれない。
後半は憶測だけど、とにかく、自分の障害が発生するのはある特殊な限られた関係下においての話なので、自分自身の能力を責めたくなったら、おかれた関係を見直す方にシフトした方がコスパいいよね。
(病院で診断を受けているに関わらず広域での障害の意味で)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?