全てが佐渡金銀山へ通ずる
佐渡を世界遺産にする会の総会後に佐渡出身で東京藝術大学の元学長 、前文化庁長官の宮田亮平先生が「佐渡金山への思い」と題し、ご講演されました。
宮田亮平HP
Miyata -金工 宮田家のはじまりから、その先へ-
日程:5/20~7/17、雪梁舎美術館(新潟市西区)
※金工作家集団・宮田家一門の作品が展示されています。
宮田先生は蝋型鋳金という、始めに蜜ロウで形を作り、それを土で覆い、乾燥した後に蜜ロウだけ溶かし、空洞になった所に銅合金を流し入れるという工法で作品を作っています。
幕末になると外国船が日本沿海に現れるようになり、佐渡奉行から依頼を受け、防衛のために鶴子銀山で蝋型鋳造した大砲が作られるようになった事が蝋型鋳金の始まりと言われています。
佐渡には人間国宝が3人います。蝋型鋳金の故・佐々木象堂さん、鉄分を多く含んだ佐渡金銀山から取れた赤土を使った無名異焼の故・三浦小平二さん、五代目伊藤赤水さん、そして、宮田亮平さんの技術は佐渡金銀山と深く結びついているのです。
沢根の鶴子銀山周辺から窪田・青野あたりまで歩くと、佐渡金銀山にまつわる様々なものが残されています。
健康増進を兼ねて町歩きをしてみると、佐渡金銀山をより楽しめるのではないかと思います。