見出し画像

わたしとHBOC#3

ちなみに私は自身と同じように遺伝子検査やリスク低減手術をしましょうと推すつもりはありません。
一人一人、その人の選んだ方向が最良であると考えているからです。
そこは誤解なきよう、心に留めて頂けると幸いです。
では続きをどうぞ
→→→
食べまくった次の日、忘れもしない11月の半ばのあの日だ。
私は関東でも遺伝性乳がん卵巣がんのパイオニアとも呼ばれている医師のいる大学病院の門を叩くことになった。
首都高で東京に向かう。隣県とはいえ、コロナも流行ってるので正直怖かった。ただ、『➕』を得た私は急がねばならないという思いに掻き立てられていた。
病院は想像以上に大きかった。紹介状を持ち、初診受付にも複数の患者さんが並んでいた。ここなら…という期待が一気に膨らむ。
乳腺外科のある階に案内され、呼び出しを待った。
セカンドオピニオン自体が初めてだった私は、緊張しながら、ペンと厚めのノートを開いていた。向かいに座るは有名な医師。
『トリネガの治療について聞きたかったんですが、昨日以前受けていたHBOC の検査結果が陽性と出まして…』
そこからは話はトントン拍子だった。ペンを握る暇もなかった。
医師はすぐに元の市立病院の主治医に手紙を書いてくれた。
元の主治医も『あちらの先生が診てくださるなら良かったです。』と送り出してくれ、次の週には遺伝性の専門医が私の主治医となった。
私はここで全部取るのだ!と決意を新たにした。
新しい主治医は年の頃は私とそこまで離れていなさそうな医師。
元の主治医には聞きにくかったことも割とすんなり話せた。
手術は1月中旬に決まり、術前検査がコンスタントに入っていった。
新しい主治医と対面した当日には、ちょうど再建についての説明会が入っていたので、それにも参加してみたら?とすすめてくれた。
再建は頭になかったけれど、知っておく価値はあると思い、参加してみた。
しかしながら、痛いのが極端に怖い私には、やはり再建はまだ考えられないと改めて思った。
『先生、私はやっぱりザクッと取ってもらうだけで精一杯です。』
それでも、様々な選択肢を提示してくれた主治医に感謝した。
→→→続
手術が1月中旬に決まっていたのに、3月に手術を終えたと言ってたよな!?
そこには『リスク低減手術』であるための迷いが生じるわけですよね。
それは続々と書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?