読了:『対岸の彼女』角田光代著、友達とは?が学べる
こんにちは!
先日、角田光代さんの『対岸の彼女』を読み終わった時、たまたま、一橋大学ビジネススクールの競争戦略の楠木建先生の友達に関するコラムを読んだ。このコラムほど、友達ができにくい理由を明確に文章化されているものをみたことがない。非常に感心し、投稿したのが以下の記事
あらためて思う。『対岸の彼女』は、「友達」と「成長(もしくは変化)」がメインのテーマなのではないかと思う。この小説には、3人の同い年の女性が出てくる。ナナコと葵、葵と小夜子の関係だ。
以下、ネタバレに繋がる記載含む。
ナナコと葵は、いじめの対象になりがちなタイプだが、高校生の時に親友になる。ふたりとも、他の同級生のように、クラス内の階級争いや、影響力のあるグループと仲良くすることなどに関心がない。学生時代の親友によくあるように、二人はいつも連絡を取り、一緒に過ごすようになる。学生ということで時間もあるから。それでも、クラス内での孤立は耐え難い。
ある事件をきっかけにふたりは離れ離れになる。小説にはないが、ナナコが葵のことを思い離れていったのだと思う。その後の葵は、ナナコと知り合う前のように、大学でも真の友人は見つからない。就職する代わりに自らの会社を起こす。学生時代のノリの延長で30代半ばまで、独身で過ごす。
小夜子も、同じく、友達が出来ないタイプだ。結婚し、子供が出来て、働きに出る際、葵と知り合う。葵はナナコの代わりを小夜子に求める。まるで学生時代のように。
小夜子には家族がいる。葵と比べると、真面目で、しっかりした小夜子は、企業での勤務経験もあり、自身の仕事に対する責任感、プライドを持っている。自由人のような葵とは折り合えずぶつかってしまう。
社交的な性格ではない小夜子は、今までの人生で、派閥やグループ間のいざこざにうんざりしてきた。葵との関係がこじれ、清掃業を指導してくれた女性か、破天荒で無計画に見える葵のどちらに着くべきか。
歳を重ねる中に、意味を見出そうとする小夜子。清掃業を選べば、何も変わらないかも知れない。あえて、気になる葵を選択する。それは、自身の「変わるチャンス」を得るためであろう。小夜子にとっては、はじめての親友になり得る葵。分かり会える関係になれるかもしれない。その可能性も求めたのではないかと思う。
感想:この小説の時代設定は、私の年代でもある。高校時代のクラスでの、仲間はずれ、派閥、イケている組とイケていない組の区別など、つまらない記憶がある。結果的には、高校時代の友人とは、もはや誰とも連絡を取り合っていない。
自分には真の友人はいるのか?大学時代の友人とは連絡を取り合っているが、距離もあり、会うことはほとんどない。親友と言う関係とは言えないと思う。寂しさもあり、一生懸命、友達と言える存在を求めている。
楠木先生の言う通り、大人になればなるほど、友人と過ごす時間は限られる。仕事や家庭が重くのしかかる。友人と過ごす時間も最優先には出来ない。新たな出会いがあっても、多少、趣味が異なると、我慢して合わせるのも難しい。大人になって、新たに友人をつくるよりは、共通の趣味の仲良しグループのようなものを作り、グループ活動のようなことをする方が、うまくいくのかもしれないと思っている。
そんなようなことを考える切っかけになった本だ。
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