『鳩はなぜ平和の象徴なのか』 〜青春
ルール
自分の言葉で書くこと
記事を書いているときに何も調べてはいけない
外部の情報を引用してはならない
賢いふりをしない
書いた後に大幅に修正しない
誤字脱字の修正はOK
従って事実と異なることが書いてあります。創作としてお楽しみください。
そこらにいる鳩
鳩はそこら中にいて、レア感がなくて微妙だなと思った。
しかし平和の象徴としての鳩は多分白いやつなはずで、そちらはあまり見かけたことがない。平和の象徴がレアである必要はまったくなくて、むしろどこにでもいたほうが平和を感じやすくていいのかもしれないけれど、「平和はそう簡単に実現しない」というメッセージなのかもしれないとちょっと考えた。
平和を実感するもの
平和だなぁと感じるものって他に何があるだろうか。
子供が無邪気に遊んでいる姿
酔っ払って肩組んでる人たち
暖かい春の陽気
平和を実感するものはいくつかありそうだ。象徴となると抽象度をひとつあげないといけないから難しい。恐らく鳩にはなにか平和を象徴するにふさわしい意味やら歴史があるはずだ。
“自分”の象徴
では自分を象徴するものはなんだろうか。自分らしさの代表みたいなものを考えればいいのだろうか。なかなか難しそうである。
幼い頃、よく親に「なんで〜なの?」とあらゆることによく質問していたと聞いたことを思い出した。この文章のテーマである「疑問」もそういうところからきているのかもしれない。なぜ雪は降るのか。なぜ唇は赤いのか。なぜ働くのか。疑問はほぼ無限に沸いてくる。
なぜ理由や真実、原因を求めるのだろうか。なんかこのシリーズのエンディングみたいになってしまったので、これに触れるのは今度にしよう。
…となると自分の象徴(仮)は好奇心とかそういうものなのかもしれない。仮としたのは、どうにも自分に好奇心があるとは思えないからである。ベースは人に無頓着で、むしろ人を心の底では恐れている。
でも小さい頃からあるこの恐れが、少しずつ興味に変わってきているのかもしれない。あのころ得られなかったものを取り戻そうとしているのかもしれない。好奇心もなかなか悪くないかも。
まとめ
青春をとりもどせ!