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僕の吃音歴(学生時代編③)

今回は「僕の吃音歴」学生時代編の続きを書きます。



学生記者としての初取材を終え、記者活動に楽しさと喜びを見いだした僕は、それ以降毎号3、4本の取材を行い記事を書きました(広報誌は季節ごとに年4回発行されました)。 

記事の原稿はやはり編集長の手直しを受け赤字を貰っていましたが、手直しがわずかなときもあり、「今回のはよく書けている」と編集長から褒められることもあったりして、少しずつ記事を書く感触を掴んでいきました。

当時、学生記者は全員で20人ほどいました。たいてい一つの案件を1人の記者が取材して記事を書くのですが、案件によっては2、3人の記者が共同で取材をすることもありました。

学生記者になり三つ目の取材だったでしょうか。初めて他の記者と一緒になりました。緊張とわくわくで会場に着くと、編集長とともに2人の学生記者がいました(ホテルを会場に行われた大学主催のとある会合の取材でした)。

一人は僕と同じ一年生、もう一人は三年生、2人とも女子でした。一年生の子は僕と同じ頃に記者になったそうで、とても緊張した様子でした。世間慣れしていない雰囲気が自分と似ていて、勝手に親近感を持ちました。

取材の前後に3人で話をしました。今日の取材について、学生記者について、自分の学部や学生生活について……。軽い雑談程度でしたが、同年代と会話をするということが僕にとってはほとんど高校生以来のことで、とても新鮮でした

会話の中では何度も言葉につまりましたが、できるだけ頑張って喋りました。取材の場という非日常感のせいか、他の記者と初めて対面した高揚感からか、どもりながらも積極的に発言していたことを覚えています。

3人でメールアドレスを交換し、取材が終わって帰宅をしてから、「今日はお疲れさまでした」という内容のメールを送り合いました。事務的な内容ではなく個人間で連絡をし合うのも、高校をやめて以降初めてのことでした

こうして、取材を通じて少しずつ他の学生記者と知り合うようになっていきました。多くは取材時に一緒になったくらいで、その後は学内でたまたま会えば挨拶をする程度の関係性でしたが、ずっと一人きりで過ごしてきた僕にとっては大きな変化でした

それなりに親しくなれた学生記者もいて、とくに同じ学年学部のM君とは、共同の取材で知り合って以降、連絡を取り合ったり学食で一緒にご飯を食べたりするようになり、大学生活を通じて「友人」と呼べるような仲になりました。

M君もちょっと複雑な事情から2浪して大学に入っていたので、お互い相手に自分と似た匂いを感じ取ったのかもしれません。読書や文章を書くことが好きで学生記者の活動に意欲的なところも似ていました。彼とは社会人になった今でも年に一回くらい会っています。

共同で取材をする以外は学生記者同士の接点は基本ありませんでしたが、僕が二年生のときに行われた学生記者主催の講演会活動は、他の学生記者と知り合い距離が縮まる大きなイベントになりました。

広報誌の企画で、学生記者の有志が主催となり(実際は編集長が指揮を執るかたちでしたが)、著名なジャーナリストを招いての講演会を開催しました。講演会にぜひ関わりたいと考えた僕は、広報担当(学生たちへ講演会の宣伝をする)として携わりました。

10人を超える有志が集まり、講演会の準備を進めました。僕は他の記者たちと協力して、ビラ配りや授業での告知などの宣伝活動を行いました(授業での告知は、学生たちの前で喋る勇気がさすかに無かったので他の記者に任せました)。新歓の時期にサークルの立て看板がたくさん立つのにヒントを得て、講演会の立て看板を考案し、作成したりもしました。

毎日昼休みには記者同士の親睦も兼ねたランチミーティングが学食で開かれ、集まった記者たちと食事や談笑を楽しみました。大人数でご飯を食べたりだべったりするのも、もちろん初めての経験でした。講演会開催間近には、編集長とともに講演者の事務所がある新宿の高級マンションへ挨拶に行く、なんて普通の学生生活では味わえない体験もしました。

結果的には、集客は少なく成功とは言い難い講演会となったのですが、その準備をしたおよそ一か月間は、僕の学生生活の中でも最も濃く、得るものが多い期間でした。講演会活動については、いずれ詳しく記事にしたいと思っています。


取材と記事の執筆に勤しみつつ、広報室の人や編集長、他の学生記者たちとの関係を築いていく。そうして僕は、人間関係というもの、他者と関わりながら生きていくということを少しずつ学んでいきました。

……と、ここまで読まれた方の中には、僕はもうすっかり劣等感や対人恐怖症を克服したのかと思われる方がいらっしゃるかもしれません。が、もちろんそんなことはありませんでした

自分の過去を知られることへの恐怖は依然ありましたし、吃音や経験不足から、会話中に言葉に詰まったりしどろもどろになる状態に変わりはありませんでした。

だから、他の学生記者たちとの交流も、最初は恐る恐る、手探りの状態でした。例えば、年齢が高いことが知られたら、「いろいろあって遅れて大学に入ったんです……」と曖昧に答え、相手の様子や反応をみる。そんなふうに、無理をせず、 時間をかけて自己開示をしていきました。
 
自分について語ることに最初は強い抵抗がありましたが、話してみると、相手は意外と気にしないようで、「そうなんだね」という程度の反応でした。そして、変わらず僕との会話を続けてくれました。

触れ合う人が増えるうちに、

自分が気にしているほど相手は僕のことを気にしていない。他者は自分が思っている以上に優しく、寛容的だ。
 
ということが分かったのです。

学生記者の活動を始めて以降は、むしろ人とたくさん関わりたいという欲求が湧いてきて、それが、他人と接することへの恐怖やどもることへの不安を上回っていきました

「臆病で消極的な自分を変えたい」。そんな思いがありましたし、単純に、人と交わることの楽しさを知ったということもありました。学生記者の活動を頑張っているという自覚が、自信に繋がった面もあったかと思います――。


今回はこのあたりで筆をおきます。読んでくださりありがとうございました。学生記者の話がだいぶ長くなってしまったので、次回からは、サークルやゼミなどの他の話題について書いてきたいと思います。
また、読んでいただけると嬉しいです。

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