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僕の吃音歴(小中学生編)【改】
※「僕の吃音歴(小中学生編)」の記事をUPしましたが、内容を膨らませたいと思ったので、加筆修正版をUPしました。既にご覧になられた方も、再度読んでいただけると嬉しいです。
僕の吃音歴(吃音の症状の変遷、吃音を絡めた生活史)について書いていこうと思います。
僕がはじめて吃音を意識したのは小学校2年生くらいのときだったと思います。話すときに思うように言葉が出ず、最初の音を何度も繰り返してしまうことに気がつきました。小さな子供ですし、「吃音」や「どもり」なんていう言葉も存在も知らなかったので、「何でうまく喋れないんだ??」 という大きな戸惑いを覚えました。
「なんでそんな喋り方なの?」と、ときどき同級生から聞かれました。中には笑わったり喋り方を真似したりしてくる意地悪な子もいましたが、ほとんどは単純に僕の喋り方について疑問に思っているというふうでした。
小学校低学年で吃音を意識したということは、おそらく実際はもっと前から吃音を発症していて、その原因は生まれつきのものだったろうと思います。いつから吃音があったか、親に詳しく聞いたことはありません。
学校では、吃音の当事者の多くがそうであるように、授業(とくに国語)での音読が大嫌いでした。一文ずつとか一段落ずつとか、席の順に一人ずつ教科書を読んでいきます。自分が読むのはどの文か、長い文か、言いづらそうな言葉はないか……。そんなことを、教科書と席の数とを見比べながらビクビク待っていました。
自分の番が来るのを待つ時間は、本当に生きた心地がしませんでした。「今隕石が学校に落ちて授業も音読も全て無くなればいいのに!」。そんな妄想さえしたりしました。そして、いざ自分が読む番になると、案の定どもって恥ずかしい思いをしました。どもるんじゃないか、と予期不安を持つと、たいていその通りにどもるものです。
(ここまで書いて、当時すでに言いづらい言葉を意識していたことに驚きました。それがどんな言葉だったかは全く覚えていませんが)
小学校4年生のとき、日直が帰りの会でその日にあったことを1分間話す「1分間スピーチ」というものがありました。今でこそ人前で1分間話すことはそれほど抵抗なくできますが、子供の頃の僕にはクラスみんなの前で話すなんて絶対に無理!でした。
スピーチがあまりに嫌すぎて、日直の日はお腹が痛いなどと理由をつけて毎回学校をズル休みしていました。なので、日直の1分間スピーチをした記憶はほとんどありません。
小学校4年生のときの担任は、体罰もしていたとても怖い男の先生でした。よくズル休みができたなと、今振り返ると思います。それほどスピーチが嫌だったのでしょう。吃音のある人にとっては、どもることを避けることが最重要事項になり得ます。
両親は、僕がどもることをもちろん分かっていました。「落ち着いて話しなさい」とか「ゆっくり喋ったら」とか、よく言われていました。ですが、それを治療しようとまでは思わなかったようで、病院へ連れていかれたことはありませんでした。
僕がどもることについて、家族内で話し合ったりしたこともありませんでした。僕がそもそも悩みを親に話したりする質ではありませんでしたし、親もどちらかというと子供に不干渉なほうだったからかもしれません。「吃音」という言葉自体も、僕が記憶している限り、子供の頃に家族の会話で出たことは一度もありませんでした。両親はおそらく「吃音」という言葉を知っていたでしょうが。
学校でも、音読でどもったりすることはありましたが、とくに配慮を求めたことはありませんでした。ことばの教室に通ったりしたこともありません。
(「ことばの教室」とは、学校の中に設置された、言語的な発達に遅れのある児童・生徒が通う教室です。ちなみに、僕がその存在を知ったのは社会人になり吃音に関わる活動を始めてからです。僕が子供のころはまだ普及していなかったのかもしれません)
中学校に上がってからも、吃音の症状は小学生の頃とそれほど変わりませんでした。ただ、卓球部に入って部活に打ち込んだり、後述のように勉強に励んだりしていたので、日々忙しくなったからか、相対的に吃音の悩みは小さくなっていたように思います。
それに、中学生になるといわゆる思春期に入り、吃音以外の悩みがたくさん出てきました。背が低いとか、くせ毛だとか、顔がどうとか……。主に容姿のことで毎日毎日悩んでいたので、吃音のことはあまり意識のうえに上りませんでした。吃音に悩む暇がなかった、とも言えるかもしれません。
(自分の中で吃音が占める割合を相対的に小さくすることは、吃音とうまく付き合って生きていくうえでとても重要なことだと考えます)
しかし、中学生時代にそれまでの人生で最大と言ってもいいほど吃音が悪化した時期がありました。3年生の高校受験シーズンです。小学生の頃は勉強とは無縁の生活を送っていましたが、中学生になるとなぜか勉強に励むようになりました。勉強をするにつれ成績が上がり、結果的には県内トップクラスの進学校に合格しました。
受験が近づくにしたがい、成績は伸びていったのですが、それと比例するように吃音の症状が重くなっていきました。受験のプレッシャーや過度な勉強によるストレスが原因だったのではと思います。
日常会話でも酷くどもるようになり、普段は吃音のことを指摘しない仲の良い友達からも、「なんでそんな喋り方なの?」と笑われたりしました。
また、吃音と同時にチック症も出ていました。チック症とは、体の一部を動かしたり、声を出してしまったりする症状にことです。もともと、目をパチパチさせたり口を鳴らしたりするチックがたまに出ることがあったのですが、受験期にはその症状もひどく出ました。
悪化した吃音とチックのダブルパンチはつらい日々でした。僕があまりにどもり、目を激しくつむったり顔をしかめたりするので、さすがに両親も心配しました。ある日の夜、僕の症状を少しでも落ち着かせようとして、母親が「大丈夫、大丈夫」と何度も言いながらぎゅっと僕を抱きしめてくれたことを覚えています。
はっきりとした時期は記憶にありませんが、受験が終わる頃には、吃音とチックの症状はこれまでのように落ち着きました。
以上のように、発吃(はつきつ:吃音の症状が出始めること)は小学校低学年の頃でしたが、幸い周りの人間や環境に恵まれていたからか、小中学生時代は吃音が原因でいじめにあったりするようなことはありませんでした(からかい程度はありましたが)。うまく喋れないという自覚を持ち、時には不便に感じたり恥ずかしい思いをしたりすることはありましたが、友達もそれなりにたくさんいて、遊び、部活、勉強に励み充実した生活を送っていたと思います。
――その後、第一志望の高校への入学、高校中退、美術予備校への入校、絵の道の挫折、浪人、東京の大学への進学……と僕の生活史と吃音歴は続いていきますが、それはまたの機会に書くことにします。