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なぜ、アラジンと魔法のランプの通りにはならないのか?

ひろ健作です。

前回、こんな話をしました。

なぜ、引き寄せの法則どおりにはいかないのか?

これは、昔もいまも「願いごとは叶う」みたいなのはウケがよく、一定数のファンが生まれ、影響がある。

けれども実際にはそうとはならない、という意味です。


たとえば、Aという引き寄せマスターは多くのファンをつかみ、一定の影響力を持ちます。講演会をすれば、多くの人が集まり、熱狂します。

しかしだいたいにおいて、4年ぐらいすると何かのトラブルが起きます。


・ファンが騒ぎ過ぎ、ゴミを街に捨てているのが発覚した

・お金のトラブルが生じた

・ファンの一部が離脱し、悪口を言った


・同じムジナ(同じ引き寄せ共鳴者)との間で、トラブルが生じ、悪口を言い合う。

・突然別れる。

・・・・・・などです。


特にパートナー(結婚や事実婚の相手)との関係で、別れることが多いです。


ある「引き寄せパートナー」は、こうすれば愛される! こうすれば出逢える! とふたりで「引き寄せメッセージ」を届けていました。

本も出し、ふたりでメッセージを届け、多くのファンを獲得していました。


ところがある日突然、「悲しみの末、あたらしい道を選びました!」というメッセージが女性側から流されます。

(男性側からの場合もある)

何が起きたかと言うと、男性がほかの女性にうつつを抜かし、それまで言っていたことに破綻をきしてしまった、ということなのです。


「結婚」は引き寄せ通りにはいかない。


なぜ、そんなことが起きるのでしょうか。


なぜ、自分たちが教えている法則通りにはいかないのでしょうか。


ユーチューブなどで「引き寄せ」なるものや、「波動」とか、「次元」とかと「アセンション」などと言っている人たちは特に、あたかも違う世界が開けていくように言います。


たしかにそれは一面真理です。しかし実際にはそうは問屋が卸さない。


たとえばです。

好きな人は同じ【波動】で引き合う、みたいなことが言われます。

同じ、ヴァイブレーションは、求め合う――求めよ、さらば与えられん。

――みたいな。


逆に言えば、引き合わなければ縁がない、ということになります。


けれども私に言わせれば、

「縁があるとかないとか一概に言えない」というのが真の法則です。

というのも、縁とか、引き合うとか、ビビビときたとかいうのはたいてい、4年7年とか20年とか経って、別れてしまうからです。


「好きな人と結婚する」「ワクワクするから」「心地良い人とと結婚するのがいい」とか言っていても、も結局別れてしまうパターンが多いんです。


私が言っているのは、別れるのが悪い、と言っているのではないですよ。


引き寄せるとか出逢うとかスピリチュアルなメッセージというのは、一面真理だけど、一方では「見落としている面がある」と言いたいのです。


この、見落としている面がある点に気づいていないから、スピリチュアルメッセンジャー(占い師、宇宙人からのメッセージ、引き寄せマスター、コメンテーター)たちは、未来予測を外してしまうのです。


たとえば、私が結婚できたのは縁とかそういうものではありません。


20代半ばのとき、当たることで有名な占い師がいました。


雨の日でも数十人の女性たちがデパート前で並び、占ってもらっていました。

ある日のことです。職場にアルバイトできていたCさんが私のことを気に入って、その占い師に聴いたと言います。

そうしたらその占い師は、


「向こうもあなたのことが気に入っている。相思相愛になる」


と言ったそうです。


それを別のアルバイトの同僚の女性で、後に付き合うことになるMから聴かされ、「は!?」となりました。


あまりにその占い師が突拍子もない、根も葉もない読みだと言えます。


私はCさんを悪い人とは思ってはいませんでしたが、どこかピントがズレている(感覚が違う)印象を持っていました。


わかりやすく言えば、いまどきのファッションの女性ではなく、まるでフランスのビーチに日傘を差して現れる貴婦人みたいな格好をいつもしていました。


私が好きだったのは、そのことを教えてくれた別のアルバイト生Mでした。

Mは素朴でいま風でもあり、話していてドキドキしました。


けっして美人の部類ではないのですが、メイクが映えていて、ドキっと変身する姿に魅了され、またトークに独特のスパイスが効いていて、話していて飽きませんでした。


Mから、Cさんのエピソードを聴かされた私は、当時、


「占い師って当てにならないな~」


って想いました

(全部が全部ではないですよ)。


~占い師の予言したCではなく、同僚のMと付き合ったわけ


Mは、私を通勤時に見かけたと言います。


バスに乗ったMは私を観て「いいな、やさしそうで」と想ったようです。


そして、Cの働く職場の男性たちとコンパをしました。


4対4です。


Cはひそかに私と付き合うために仕組んだコンパだったのでした。


ところが、驚いたことに、そのコンパの催しの企画を聴かされていたMは、Cから私の印象を聴けば聴くほど「もしかして、バスに乗って朝いつも遭うあの人じゃないか」という気がしていました。


そしてようやく訪れたコンパ当日、私を目の前にしてMは、


「あぁ、この人だ!!!」


と唸ったと言います。


まさにそういう意味では「引き寄せた!」(シンクロニシティー:ユング心理学における、集合無意識が引き寄せる奇跡の出逢い)

だと言えるでしょう。


その後Mと付き合うことになりました。激しい性格の彼女は私に迎えにきて! と連絡をしてきます。


しかたないなぁ~と想いつつ、いままでとはまったく違うワガママな性格に翻弄されてしまうことに、ちょっとした快感を覚えていました。


従順な子よりも言いなりにならない部分、てこずる部分が魅力に映ったのです。


Mとはその後もしょっちゅうバトルをくり返していました。


逢えばちょっとしたことで大喧嘩。でも、それが心情を掻き立てられる気がして、何でも言うことを聴く女性よりも燃えたのです。


~我を忘れてしまうほど、初めてキレた自分


ところがです。

ある日のこと、我を忘れてしまうほどキレたことがありました。


車でドライブしていたときのことです。

夜景が観える小高い丘に登りました。

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私は異動になり、離れ離れになることになりました。

車で2時間はかかろうかという距離の転勤先です。


毎日のように「迎えきて!」と言われ、喜び勇んで迎えに行っていた私もそれができなくなります。


でも、いままで通り、付き合いは続けていくつもりでした。


ところが、一時の別れに際し、Mは私に言いました。

「離れ離れになったら続けていく自信がない」

それはそうでしょう。ご両親が離婚し、祖父母に育てられていたMは、すごくポジティブな性格な反面、失う恐怖を根っこに抱えていたからです。

まだ、教えをまったく知らない私ではありましたが、それなりに彼女の気持ちは理解していたつもりでした。


「うん」

ボソっと答えました。


すると彼女は突然、こんなことを言い出したのです。


「だから、何か”約束”がほしい」


「約束って何?」


「結婚を前提としたお付き合いってこと」


「・・・・・・」


私は、彼女の突然の要求に、返答に詰まります。


「それがないと続けられない。

私も年が年だから」


まだ20代半ばの年です。


男性にとってはこれから、というときです。


でも女性にとってはその後付き合って5年が過ぎるというのはとても大きい。


30を過ぎるからです。


30を過ぎてから、またイチから探すとなると、チャンスも減ってきます。

(いまの教えを知っている私たちからすれば、ぜんぜんチャンスは減っていないと言えるのですが。)


そうなるとMの言い分もわからなくもない。


けれども男性にとってはまだ少年っぽさが抜けていないときです。


そんなときに【決断】を迫られたのです。


あなただったらどう返事するでしょうか。


もちろん結婚のことは考えてはいました。

Mのことは大好きでした。


けれども結婚となると一大イベントです。すぐには答えは出せません。


けれど、考えていないと言ったら彼女はほかの男のところに行きます。


それは嫌だと想いました。


ほかの男の手に渡したくないと想ったのです。


そこで答えたのはこういう言葉でした。


「もちろん考えてはいるさ」


別れたくはない私は、とっさに思いついたことばを言いました。


もちろんウソではありません。内心彼女との結婚はうすうす考えてはいましたから。


みなさんだって、好きな人と付き合っていたら、失いたくないと想うばかり、「結婚のことは考えているよ」と言うのではないでしょうか。


考えて「は」いるからです。


けれども「考えている」ことと「するよ」と言うことは違います。


「(結婚)するよ」とひとたび言ってしまうと、後々話がややこしくなってくるのは目に見えています。


もしも気が変わりでもしたら、

「言ったじゃない!」と責められるに違いありません。


だからヘタに言えない。


ただ女性はウソでもいいからと言ったら語弊があるかもしれませんが、それほど想っていなくても、

「好きだよ。大切にするよ。結婚するよ」


と言ってほしいのではないでしょうか。


けれども男性は頭であれこれ考え、そういう言葉はすぐには出ません。


ではその後どうなって行ったかと言うと、

彼女は私が放った言葉を信じて

「わかった。じゃ“結婚前提”ということね」


と言い、私の約束を取り付け、安堵した表情を見せました。


~話はそれで終わらなかった


しかし話はそれで終わりませんでした。


Mはこんなことをボソっと言い出したのです。

「じつはね、私、ひろくんのこと占ってもらったの」


「は!?」


「ある、有名な当たるという占い師にね、写真を見せて」

さきほどのCさんとは違う占い師だと言います。

私は、Mが何を言い出すかと想いつつ、生返事をしました。


「うん」


「そうしたらね、こんな言われたの。

【この人は冷たい。あなたとは結婚しない】って」


いきなり私を値踏みするような発言をしてきました。


突然私は自分を試された気がして、激しい怒りが内側から噴き出してきました。


「なんでそんな人の言うこと信じるんだよっ!

結婚しようと想っているのに!」


いま想えば、当時の私はまだこういう教えを知らないときの自分で、どこか冷たい部分を根っこに持っていました(父への反抗)。


だからある意味その占い師の言い分は一部当たっていると言えます。


当時Mは、私の写真をその占い師に見せたそうです。占い師が当たるときというのは、大体こうです。


その人がかもし出している雰囲気からその人の持つ、本質的な性格をキャッチし、未来起きるであろうことを予想する――というものです。


だからある意味その占い師の感性は高いと言えます。


けれども別の観点から言えば、その読みからやってくる未来を、変える力まではない。


あくまでいまの観点から先を読んでいるだけ。


だから未来は変わらないのです。


Mはその占い師に言われた文脈で、話を続けます。


「私だって信じたくはないよ。この人はワガママで冷たい。だからあなたとは縁がないって」


私はそこまで言うかって気になりました。


なぜなら私のことを知っているのはほかでもなくM本人だからです。


それなのに、自分の判断を占い師に委ねるなんて、信じられないと想ったのです。


けれども女性って、どこか占い好きですよね。昔っから。


誰かに自分のことを占ってもらうなんていうのは、私だったら言葉に影響されるからしたくない。

だいたいそういうのってマイナスなほうの予言が多いから。


もとよりMは私の愛情を試すところがあって、そのことが私の心情をかき乱す原因にもなっていました。


「信じないんならいいよ、降りろよ」


私は、突然血の気がサーっと引き、刑務所の刑務官になったような気持ちに陥ります。


「いや」


「降りろって言っているんだ」


「いやっ」


押し問答が続きます。


あまりに腹が立った私は車から彼女を降ろそうとしました。


「い”やーーーーっ」


Mは抵抗して降りようとはしません。


外から引きずり降ろそうとするのですが、ものすごいバカ力で助手席のドアにしがみつきます。


<なんて力だ>


男顔負けの火事場のバカ力です。


結局押し問答の末、私を試すつもりで占い師の言葉を出しただけだったとわかった私は、落ち着きます。


その後も似たようなバトルがくり返されましたが、しばらくの間、お付き合いは続きました。


そこである日のこと、

”結婚前提” ということで、実家に彼女を連れていきます。


ところが、会わせたときはよかったのですが、後で父は結婚に反対だと言いました。


「あの人とお前は合ってないよ」


「そんなことないよっ」


私は反発してはいましたが、内心もしかしたら父の言うこともまんざら間違いじゃないかもしれないと想いました。


お父さんとお母さんがいないという境遇が自分とは違うと言うのです。


それが悪いというわけではないけれど、境遇の違う部分という溝はいずれ表に出てくると言うのです。


たしかに彼女の、愛情を疑う部分はうれしい反面、感情をかき乱される気がしていました。

だから父の言うことも、もしかしたら当たっているかもしれないと想ったのです(いまの教えを知っていれば、そういうことはあまり関係なくなる)。


そこで私は彼女に父の言ったことばを告げます。


占い師の言葉を信じたMと、父の言葉を信じた私、どちらも似てますね。


すると今度は彼女が怒ります。


そういうくり返しをしていました。


~人生を変えるセミナーに参加


ある日のこと、友だちから誘われたセミナーに参加した私は、自分がなぜ、そういう人生を歩んでいたのか、気づかされます。


人生が自作自演であり、縁とかそういうことではないこと。冷たいとか暖かいとかということも概念であること。


じっさいにはどんなふうに話しかけ、アプローチしていくしかないこと。


NOがYESに変わり、冷たい性格が暖かい性格に変わることもあること

などを気づかされました。


その後Mとは別れ、いまの妻のマダムれいこと再会します。


それもセミナーに呼んでです。


彼女は彼女で何度恋愛しても、#結婚 の二文字を匂わせたら男性が去っていくというトラウマ的体験を抱えていました。


いくら願い、信じても結婚は引き寄せられない


その事実に翻弄されていたのです。


たしかにその意味では、潜在意識(隠れている無意識の領域)が人生を牛耳っていることになります。


マダムれいこは「大切な人は去っていく」––––母と父のバトル、ケンカをすると父は外へ飛び出していた。


「想ってもいないことは約束できない」「父の言うことは正しい」––––厳しい父との関係性。


こういう、過去の幼い頃の体験が、その後の人生をずっと牛耳っていくのです。


だからこそ、トラウマ的体験が数十年も後にまで影響するのです。


その意味で、いくら「引き寄せた!」「出逢った!」と叫んでも、結局パートナー(結婚相手)というのは、想い通りにはならないため、どこかで破綻してしまう(教え通りにはいかない)ものなのです。


~引き寄せの法則を超えた法則「引き寄せの公式」を見つけた!


そんな私は彼女とも、M同様父の言葉に翻弄され、10年に渡って2回別れ、もう結婚はないと想っていました。


そしてセミナーに参加した後、最終的に彼女から逆プロポーズをされても、それでもなお「ぜったい結婚しない、ウソは付けないから」と言って避けたのです。


それは、セミナーに参加し、気づきを得ても、それでも影響を受けずにいられる部分があるという証。


ある意味正常です。


ですが別意味Mの占ってもらった占い師の言葉「この人は冷たい」は当たっていることになります。


しかし、人生というのは、自分で変えられる。現実は変えられると気づいたのもそのセミナーでです。


人生というのが幼い頃の体験に多くを根差し、両親との関係性にある⇔過去生とかアカシックレコード(インドのアガスティアの葉に書かれたメッセージ)とか宇宙人や超能力者のメッセージからではない とわかったのもそのセミナーでです。


そんな私が、「結婚してもいい」に変わった。


それはある決断からでした。


れいこのほうも過去、占い師に観てもらっており、言われていたのは、


「この人との相性は最悪。だから合わない」


というものでした(いま書いてて想い出した!!!)。


そこからすると、その占い師も、過去のアップデート前の私を読み、未来予測していたことになります。


しかしその占い師の読みを、くつがえす言葉を私は発しました。


「一生愛せるなんて約束はできないし、ずっとやっていけるかどうかはわかんないけど、結婚するよ」


れいこは突然の言葉にキョトンとします。


なぜなら結婚のことは諦めていたからです。


私は私で人生の師が言った言葉に、心が響きました。


「ひろくん。

結婚とはね。ひとつの儀式だ。


奥さんを持つというのは社会的に認めてもらう=大人になるということなんだよ。


もちろん結婚したから偉いとかしていないから偉くないということを言っているんじゃない。


そういうことじゃなく、結婚を宣言するというのは、社会に対してのひとつのメッセージなんだよ、人生の責任を取る(自分の人生を自分で決めていくということ)という意味においてね。


だからするもよし、しないもよし。どっちでもいい。


きみが決めていいんだよ。


だけどね、もし、結婚しないというのなら、れいこさんをそのまま束縛していてはいけない。


きみが結婚しないのだからね」


私は、それまで、結婚するということがマイナス(束縛、自由を奪われる。ひとりの女性に決めなければいけない。遊べない。お金が半分取られるといった)面ばかりに目が行っていました。


しかしその師が言うところのプラス(可能性、社会的に認められる、大人への入り口)面に目が行きはじめました。


さらに、その場で「しません」と断言してしまうと、れいこを手放す(ほかの男性にやってしまう)ことになります。


当時のれいこは、私が言うのも何ですが、セミナーに参加し、自分の可能性に目覚め、イキイキとし、輝いていました。


だから一緒に参加していた男性陣から引く手あまたの人気(一番人気)になっていたのです。


だから、一方で、女性陣から一番人気(突拍子もない行動をどんどんやっていく。人生を最高におもしろく生きる)だった私であっても、とりあえず、


<ほかに渡したくはない>


という心理が働きました。


セコイと言えば、セコイです。


けれども、人生けっこうそういうところで人間、動くのではないでしょうか。


引き寄せとかそういうことじゃなく――。


ただ、本質的な部分で言えば、人生に対して、自分がコントロールできるという確信めいたものがありました。


仮に占い師がそう言ったとしても、自分たちのトーク(定義)で変えることができると。


なにがそうさせたのでしょうか。


じつは妻も私と同じ教えを学び、自分がなぜ最愛の人とは結婚できないのか気づきました。


私は私で、人生を父という存在に牛耳られていることに、気づきました。


その後縁とか価値観とか関係なく、自分が結婚に対して躊躇していたことを、妻の言葉で一つひとつクリアしていったこと。負担やリスクを感じなくなっていったこと。その結果「結婚してもいいかな」って想えたんです。


~アラジンと魔法のランプの物語では


さて、話を本テーマに戻しましょう。


アラビアンナイト物語「アラジンと魔法のランプ」にはいくつかのバージョンがあるのをご存知でしょうか。


よく言う「引き寄せの法則」(シークレット)では、こんなふうに言っていますよね。


(ランプの精)ジニーに願いごとを言えば、叶えてくれる

と。


また引き寄せの宇宙人で人気のバシャールに言わせれば、

「私たちの星には結婚という概念がない。空気のようなもので、触れ合うだけで結婚になる」

なんて突拍子もないことを言っています。


けれども我々地球人にはさまざまなしがらみがあります。そんなカンタンに済ますわけにはいかないのです(信奉している人同志の結婚は別として)。


だから結婚するときは、さまざまなハードルを超えていかなければならないのです。

・籍を入れるか。

・結納をするか。

・親の承諾をもらうか。

・親戚に言うか。

・結婚式をするか。

・一緒に住むか。

そして何より、どうやって続けていくか――


古いしきたりも含めて、ひとスジ縄ではいかないんです。


さてアラジンの話で魔法のランプでは、ランプを魔法使いに再び取られるシーンがあります。

お姫様とお城で暮らすアラジンのいない間に、魔法使いが現れ、


「その古いランプと新しいランプを交換してさしあげますよ」


と言って、騙されたお姫様からまんまと魔法のランプを手に入れてしまうのです。


ランプを失ってしまったアラジンは、ランプを取り返そうと画策します。

そのときに頼むのが指輪の精なんです。

「頼む! ランプを取り返してくれ!」

そう言います。


~指輪の精よりランプの精のほうが上司(アラビア社会のしがらみ)


ふつうなら願いごとを言えば、叶えてくれそうですよね。想えば叶うのなら。


しかし指輪の精からすると、ランプの精は上の位に当たる。だから上司に盾突いてランプを取り返すことはできないため、やんわりと断るんです。


「アラジンさま、そこまではできません」


「だったらランプの場所まで連れてってくれ」


「それならできます」


世の中というのはしがらみが多くあります。宇宙にはないかもしれないけど、地球にはたくさんのしがらみがある。それを無視して結婚しようとしてもうまくいかないんです。


そのことをチャネラー(宇宙人との交信者)も、占い師も、気づいてはいないんです。


~ものごとの多くが、イメージ通りにはいかないわけ


世の中のものごとの多くが、想い通りにはいかないのはその点にあります。


自分がイメージしていても、いろんなしがらみが邪魔をしてそうは問屋が卸さないんです。


このことを押さえないまま、神さまがどうのこうの、宇宙人がどうのこうのという話だけで願望を叶えようとするから、肝心なところでひっくり返されるのです。


私の場合、父が最大の障壁でした。ぜったいに認めない人でした。


しかし父の疑念や先入観を取り除き、ふたりで父を乗せていくと、あれほど(10年)NOと言っていたのが、わずか15分でYESへの変わったのです。

「れいこさんと結婚しようと想っているんだ」


「アノ人かね、お父さんは賛成しないね。

アノ人は暗い。ひろとは合わないよ」


以前だったらそこでキレてヤケくそになるところです。ですがそのときの私は、セミナーで学んでいたことを活かしました。


「うん、昔はそうだったよね。けど彼女も変わったよ。

いっぺん逢ってみてほしいんだ」


「あんまし気が進まないね」


そう言ってれいこを連れて行ったときの話です。


以前だったら気後れしながらおそるおそる入っていくところが、以前のれいこではありません。


「お父さま、はじめまして」


「はいはい」(適当に相づち、期待はしていない)


「よろしくお願いします」(礼儀正しく、ハキハキ。以前とは違うさわやかさ)


「お父さんはね、いま、いろいろと活動してるんだよ」(私の言葉で少し変わった印象が、れいこのハキハキした言動でさらに変わる。自分の自慢話をしたくなっていく)


話好きな父は、自分の活動がいかに世の中で役に立っているか、自分が貢献しているかを述べました。


「すごいですね!」(とっさに感じた言葉を発する)


当時、れいこは純粋に想ったそうです。その言葉をそのまま言ったのです。

すると・・・・・・


「うんそうなんだよ。お父さんはスゴイんだよっ」


父にとって、一番言ってほしかったのでしょう。父の懐にズドンと響きました。


「お父さんもね、ひろがちゃんと言ってくれたら反対しなかったんだよ。だけどちゃんとは言わなかった。だから反対してたんだよ」


(ウソつけ~)って想いました。父は私のことをまず否定してかかるクセがずっとあったからです。ですがその父に私たちはまったく新しいアプローチをしています。


「じゃあ善は急げだ。さっそく結婚式場を下見に行こう。なんなら産婦人科も紹介するよ」


私は、目をぱちくりさせました。これがあの、何年もの間、苦しめられた確執のあった父の言うことばだろうか。

10年もの間、ずっと反対していた。誰を連れて行ってもすべて頭ごなしに否定していた。あの父だろうかと自分の目と耳を疑うほどだったのです。


けれどもそれは目の前の現実でした。

もちろん結婚してもうまくいくかどうかわからない。けれどもふたりで力を合わせて私の父を説得していこうと腹を決め前に進んだ。その結果奇跡とも想えるできごとが目の前で起きたのです。


願いは叶う、と言えば、話はカンタンだ。けれども多くはそうカンタンにはいかない。なぜなら人それぞれのしがらみがあるからだ。


だから私たちはそのしがらみを見つけて、しがらみから解放されていく一手を打っていく。そうすれば望む現実へのルートが次々と開かれ、道はひらけていく――そう気づいたのでした。

このくだりはこの本で紹介しています。

この本では、どうすれば願望が叶っていくのか、なぜ想い通りにものごとが進まないのか。ではどうすればいいかなども具体的に述べ、指南しています。

スポーツとか、仕事だったら自分が頑張ればそれなりに成果が出る。けれども恋愛や結婚は相手あってのもの。だから一筋縄ではいかないんです。


もし、あなたが、引き寄せとか好きで、ワクワクしてたらいいとかいろいろ想っていても、うまくいかないのなら、何か見落としがあるかもしれません。


そんなときに私たちの教えはきっと役に立つでしょう。なぜなら教えを死ぬほどやってもうまくいかなかった口だから。


イメージ通りにはいかない。しかし自分の意図(しがらみを考慮したうえでの斬新なアプローチ)で、いくらでも人生は変えられる。


誰にでも可能性がある(ひろ健作のテーマ)

人には愛される資格がある。愛されるために生まれてきた(マダムれいこのテーマ)


何年続くかわからないと想っていたのに、ずっとしあわせを続けていけるのは、日々、斬新な視点でものごとを観るようにしているから。毎回毎回あたらしい切り口で話し、お互いの想いを共有しているから。


だから、占い師が何と言おうと、トラウマがどうであろうと、ずっと続けていけるのです。


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