昭和の日に、私の母校・昭和の森看護学校を想い出す。

今日は昭和の日。ふと、東京・昭和記念公園の近くにある昭和の森看護学校のことを思い出します。
 この学校は私の後に廃校になり、いまは東京医療保健大学に統合されてるようです。

国立病院機構の災害医療センター附属の学校で、その名の通り、災害医療に特色があったと思います。
 災害訓練では、近くの自衛隊駐屯地から救急車両で患者を搬送し、トリアージを行い、優先順位にもとづいて治療を行う、ということを行っていました。
 看護学生は患者役などで駆り出されましたね。創傷を再現するために、メイクアップアーティストまで招いてメイクを行ったり、手が込んでいたように思います。

学校生活の面では、たとえば座学の筆記試験。先輩からの申し送りで、“過去問”が非公式に配られていたので、それを暗記すればだいたい合格点がとれました。
 問題なのは、実習と記録物の多さでしょう。これに比べたら、国試のための試験勉強なんて“おまけ”みたいなものです。

近年は、看護師を目指す人は大学の看護系学部にいくと思うので、看護専門学校は少なくなっていると思う。
 専門にくるのは、貧乏な家庭の女の子とか私みたいな元社会人が多いのかな、と思いました。

世間では、北海道や千葉の看護学校でパワハラや中退率の高さが問題になったけれども、私がいた学校は厳しいけれども、そこまで脱落者が出るわけでもなく、いま思えばまともな看護学校だったように思います。
 しかし最近、国立病院機構では残業代の未払いがニュースで問題になったり、機構の幹部は厚労省からの天下りポストとされている。国立病院機構というところは結局、旧態依然の古い体質の組織なのかなぁと思います。

わたしは看護師として働くのをやめてしまったけど、学校の同期たちは今でも看護師を続けているのだろうか。もう久しく誰とも連絡を取っていないので、ふと思いました。