わたしは薄毛・脱毛症と、どう向き合ってきたか。
今回は、自分でもあまり語りたくない、極めてデリケートな記事を書きたいと思う。薄毛、とくに男性型脱毛症についてである。
わたしは20代の前半から、毛髪が薄くなったのを自覚するようになった。それも飲み会の席で、人にからかわれるように指摘されて、はじめて意識するようになった。
鏡に向かい合って、自分の頭部をよく見る。AGA(男性型脱毛症)の特徴である、前頭部から頭頂部にかけて、明らかに毛髪数が減少して弱々しくなり、地肌がうっすらと見えるようになったのだ。
たいていの男性は40代とか50代とか、あるいはそれ以上の年齢で現れると思うが、わたしの場合は明らかに若い年齢からそういう症状が現れたのだ。
当時は自衛隊にいて、集団生活のストレスやヘルメットで頭が蒸れやすい環境もあっただろうが、一番大きいのは遺伝的なものだろう。
もちろん、頭髪の減少はそれ自体が生活に困るものではないが、精神的にはかなりつらいものがある。日本の若者をみればわかるとおり、過剰なルッキズムというか、異様に外見を気にする人が多いという社会だから、若禿の男性にはなおさら精神的に苦しい社会といえる。
最初の頃、わたしもたいていの男性が考えるように、薄毛治療のプロペシアとかミノキシジルとか、そういう薬に頼ってなんとかしようと考えた。
現代は残念ながら、そうした薬物療法が主流になっており、AGAクリニックの広告をしばしば見かける。もちろんそれで根本的に直せるものではないし、一生薬を飲み続けなければならず、副作用の危険も当然考えられる。
その後、とくに治療などは行わなかったが、20代後半のときに看護学校に入校することになり、それで自分の外見を気に病むようになった。そして2012年の12月に、ある施術を受けることを決めたのだった。
その施術というのは、いってみれば「頭のアートメイク」みたいなものだ。頭部に小さな針で特殊なインクのドットを打ち込んでいく、それも日をおいて何回か繰り返すことで、インクが定着して毛根が生えているように見えるというもので、MHT(マイクロ・ヘアー・テクニック)とよばれている。クリニックによっては、SMP(スカルプ・マイクロ・ピグメンテーション)と呼んでいるが、原理は同じである。
当時はいまとは違って、そういうクリニックは日本にはなかった。しかし、イギリスのクリニックでMHTの施術を学んできたという日本人がいて、札幌でひっそりと開業して施術を行っているという話を聞き、わたしは治療をうけることに決めたのだった。
事前の説明と入念な打ち合わせを行い、計3回ほどの施術をうけた。一回あたり2時間程度だろうか。麻酔は使わず、最初のころはチクチクするような感じで、それも時間とともにつらく感じられる。体力を消耗するため、長時間はできない上に、時間とともに出血がしやすくなり、そうなるとインクが定着しにくくなってしまう。
施術後は、頭全体が赤く腫れたのを憶えており、当時は学生で冬休み中だったことが幸いしたと思った。しかし、そのときにうけた施術は結局、定着することはなく、2〜3ヶ月でほとんどドッドは落ちてしまった。しかし、その後の施術の“基礎固め”にはなったと思う。
その翌年、春休みにふたたび施術を受けに札幌までいき、そこで一連の施術を再び受けたのだが、今度はしっかりとドットが定着した。おそらく、前回の施術で頭部の皮膚がなじんでインクに適応したため、きちんと定着したのだろう。そして、数カ月後に、施術者の人が東京まで出張施術にくる機会があったため、ふたたび施術を受け、それでようやく一通り施術は完成したのだった。
この施術を受けて以来、わたしは頭をバリカンで短く0.8mmに刈り上げ、それも5日〜6日おきに刈り上げている。薄毛を少しでもごまかせればいいと思ってうけた施術だが、誰もわたしのことを薄毛だと思わないらしい。傍から見たらまるで“僧侶”だろう。ただ、視力がいい人のなかには、頭になにか入れてるの?と訊いてくる女性はいた。頭を坊主にしているのに「イケメン」といってくれる女性もいたので、うれしいと思った。
いまでも、外を歩くときには帽子がかかせない。しかし、精神的にはだいぶ楽になったと思う。ちなみに、わたしの頭の施術をしてくれた人はのちに、薄毛治療のために「SPJクリニック」を創設して、現在も東京の浜松町などで開業しているようである。
世界を見渡せば、白人や黒人の男性(なかには女性も)のなかには、頭をスキンヘッドにする人も珍しくないし、それが社会のなかで受け入れられているように見える。
一方、アジアの国々、とくに日本のような」社会では、薄毛の人には最悪の環境で、とくに「男も女も頭髪こそ命」といわんばかりの風潮があって、どこか違和感を感じています。もっと薄毛や脱毛症の人が社会のなかに受け入れられて、精神的に苦しむことがない社会になればいいと願う。