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衝撃。コロナ陽性が判明したようです。

9月27日午後から、なんか喉に違和感を感じるようになった。念のため熱を測ってみるが、平熱である。問題は、その日の夜から急激に悪化していったことだ。
 まったく眠れず、体温がぐんぐん上昇してるのを感じた。測ってみると37.7℃。朝の起床時には38.4℃まで上昇していた。

これはただごとではなかった。急いで抗原検査キットをひったくって検査をしてみる、すると見てはならないものを見てしまった気分になった。あろうことか、コロナ陽性だったのだ。
 気が重く連絡したくなかったけれども、職場に状況を説明して、しばらく療養する羽目になった。
 症状としては、頭が割れるようにジンジン痛み、喉がひりひりするのと、足の付根に鉛が付いたかのように重く倦怠感をおぼえた。初日は地獄のような苦しみで、まあインフルエンザやノロウィルスと同レベルにはつらい症状だと思う。

いったいなんでこんなことになった? 自分の生活になにか落ち度があったのか? 腹立たしさと絶望感とがないまぜになった感情にとらわれる。
 いま実家で暮らしているが、数日前から父親も体調をくずしていることは知っていた。きくと、父もコロナ陽性だったと。そのことを告げずに今まで
黙ってたのか。父親は「あれだけワクチンを打ってきたのだから、おれがコロナにかかるはずがない」と豪語していたが、結果はこのザマである。ワクチンって、ほんと無意味だよね。
 これで感染経路は明白になり、わたしは父に逆恨みの感情をおぼえた。同時に、実家で人と暮らすことには限界があることを痛感した。

発熱外来を受診したかったが、気になるのはどんな治療をうけられるのかということ。先にクリニックを受診していた父に尋ねると、カロナール(解熱鎮痛薬)とあとは喀痰を吐き出しやすくなるような薬しか処方されなかっと。
 もちろんそれらは対症療法で、ウィルスを根絶できるわけではない。そのレベルの医療を受けるためだけに、体が死にそうなほどつらいのに、わざわざ医療機関を受診する価値はあるのか?? はだはだ疑問だった。外を歩いたところで、数百メートルも歩けそうにはなかった。

あてにならない現代医療の代わりにわたしが心がけたのは、休養と、水分、栄養をしっかり摂ることだった。また、生活リズムをつけるために、日に2回くらいは短時間でも外出して、陽の光を浴びるようにしている。
 今みたいな危機的な状況だからこそ、日頃の食養生が試されるところだった。ふだんから、色いろな種類の野菜、果物をはじめ、スピルリナ、はちみつ、ナッツ類、しょうが、大麦若葉の粉末(いわゆる青汁)を積極的に摂るようにしていた。
 とくに、抗酸化作用の強いワイルドブルーベリーとか、抗ウィルス作用のあるブロッコリーなんかを重視して摂るようにしていた。

そうした自分の食生活が奏功したのか知らないが、初日に39.4℃(MAX) →   二日目には37.2℃と、大幅に解熱することに成功した。
 当たり前の話だが、薬は一切服用していない。カロナールさえ飲んでいない。つーか、外から侵入したウィルスを殺すために身体は発熱して免疫力を高めようとしているのに、(薬などで)無理やり体温を下げるのは間違いなんじゃないのか。こうしたまともで自明な理屈が、なぜか多くの日本人には理解されないらしい。お医者さんが出す薬なら正しい、そういう発想なんですかね(笑)
 このようにコロナ陽性から二日目にして、コロナウィルスとの戦いに勝利を収めつつあるようです。少なくとも、こうしてブログを書けるくらいには体力も回復して頭も働いてるわけだからね。

いま介護の仕事をしていてべつに大した職業ではないと思ってるし、とくにいまの職場は嫌いである。しかし、同僚には迷惑をかけたくなかった。それが急に仕事を休むことになり、それも一日や二日で済む話ではなく、少なくても一週間も欠勤することになったのだ。
 当然「みんなに申し訳ない」という感情ばかりが先行するが、これはネガティブな感情である。そうした負の感情は、身体の免疫力を下げる結果にしかならない。むしろ、この体験をポジティブに捉えて、「予期せず一週間も休暇を取得できた」くらいに考えておくべきかもしれない。
 もっとも、派遣職員のわたしにはその間無給になってしまうわけだけど。