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トランプの副大統領、J・D・ヴァンス著「ヒルビリー・エレジー」を読む

次期トランプ政権で、副大統領を務めることになるヴァンス氏による著書「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」(光文社未来ライブラリー)を読み終えた。出版年は2017年であるから、最近の本というわけではなく、ちょうど第一次トランプ政権成立時に執筆、出版されたのだろう。

この本は“ヒリビリー”と呼ばれる、貧しい地域で暮らす白人労働者階級の荒んだ暮らしぶりや、その苦境について自身の体験にもとづいて書かれたものである。ヴァンス氏の家族についての物語であり、読んでいてどうでもいいと思える箇所も多かったわけだが、ヴァンス一家は典型的なヒルビリーだったようである。

どこの家庭も混沌をきわめている。まるでフットボールの観客のように、父親と母親が互いに叫び声を上げ、ののしり合う。家族の少なくともひとりはドラッグをやっている。父親のときもあれば母親のときもあり、両方のこともあった。
 とくにストレスがたまっているときには、殴り合いが起きる。それも、小さな子どもも含めた家族みんなが見ているところで始まるのだ。



母親は薬物依存症で、彼氏をとっかえひっかえ替えては結婚と離婚を繰り返している。子どもへの当たりも強く、ときには児童虐待を疑われて警察の世話になることさえあった。そんなヴァンス少年にとっての心のより所は、祖父母の存在だった。問題の多い母親に代わって、とくに祖母の存在感が大きかったようなのだが、その祖母も気性の激しい性格で、ときには銃を持ってきて相手を撃ちかねないほどの剣幕になることもあったという。
 

1970年には、白人の子どもの25パーセントが、貧困率10パーセント以上の地域に住んでいた。それが2000年には白人の子どもの40パーセントにまで上昇した。いまは、ほぼ確実にさらに高くなっているだろう。

日本にも貧しい地域や家庭があるわけだが、アメリカではそれよりももっと上をいく貧しさ、という印象である。とくに食生活の貧しさ、加工食品や炭酸飲料への依存の問題が際立っているようだ。くわえて、ドラッグ蔓延の問題もある。世界の超大国アメリカのひとつの現実が見えてくるようである。
 そんなヴァンス少年は祖母の影響をうけて、「かつて民主党はアメリカの労働者階級を代弁していたはずだったのに、今では白人貧困層の現実を何も分かっちゃいない」と感じるようになっていったようだ。

そんな少年ヴァンスを大きく変えた人生経験が、海兵隊への入隊だった。

白人労働者層のどこを一番変えたいかと問われるたびに、私はこう答えてきた。「自分の選択なんて意味がないという思い込みを変えたいです」
海兵隊は、外科医が腫瘍を切除するように、その思い込みを私から取り除いてくれた。

海兵隊では、新兵がなにひとつ社会のことや生活習慣のことを知らない前提で教育をすすめるようである。
 はじめて車をローンを組んで買おうとしたときに、海兵隊からお目付け役が付いてきて、その人の助言のもとで相見積もりを取るようにいわれ、BMWではなく実用的な日本車を選んだという。
 また、体力検定の3マイル走ではまずまずのペースで走れたと思ったところ、練兵教官から「ゲロを吐くまで走らないのは全力を出してないからだ」と怒鳴られ、その後30分にわたってダッシュを繰り返しやらされたという。

海兵隊では一任期4年間を務め、航空部隊の広報を担当していたようだ。そして除隊後は、軍の奨学金制度を利用して、オハイオ州立大学に入学する。
 大学ではなにを専攻したのかは語っていないが、ダブルメジャー(専攻を同時に2つ)で、通常は4年間で卒業するところをわずか1年11ヶ月で卒業したのだという。かなり優秀な学生だったようだ。このあたりは、日本の教育と違ってアメリカの教育に柔軟性を感じさせます。
 本人によれば、それまで家庭内でのいざこざを心配しながら生活を送ってきたのに、そうした心配から開放されて、勉学に打ち込めるようになった、ということらしい。

大学卒業後は、ロースクールへの出願を考えていた。中でも、学生にゆとりをもって教育する方針をもっている名門校、イェール・ロースクールに入学することになる。ヴァンス氏の生まれ故郷では、大学に行く人間でさえめずらしいのに、ましてや東部名門の大学院に入学することなど前代未聞のことだった。
 イェールでは、他の学生たちはほとんど全員が中流以上の家庭の出身なのに、自分のような貧困層出身者が他にいないことで場違いな思いをしたらしく、そのことでアイデンティティ上の葛藤を経験したようである。いったい自分はどちらの階層に属しているのかと。一方、高額な学費については、所得に応じて学費が規定されるために、じつはそれほどお金がかからなかったようである。
 そして、このロースクールでの3年間に、さまざまな人脈を築きあげ、そうして得た社会関係資本を最大限に活用することでエリートへの仲間入りを果たした。また生涯の伴侶を見つけることにもなったようである。
 まるで、成功への道を駆け上がっていくような人生である。その一方で、自分の故郷の貧しい白人労働者階級の存在は、つねにヴァンス氏の頭に付きまとっており、次のように結んでもいる。

こうした問題は、政府によってつくり出されたものでもなければ、企業や誰かによってつくり出されたものでもない。私たち自身がつくり出したのだ。それを解決できるのは、自分たち以外にはいない。…
 それをどうしたら実現できるのか、私には完璧な答えはわからないが、オバマやブッシュや企業を非難することをやめ、事態を改善するために自分たちに何ができるのか、自問自答することからすべてが始まる。 

作品を読み終えて、J・D・ヴァンスという人物はしっかりした人格の持ち主に思える。また、民主党政権への幻滅もわかる。
 しかし、これだけ賢明な人物であれば、ドナルド・トランプのペテン師ぶりに気づくのは時間の問題ではないか、という気はします。トランプは正しいこともするだろう、しかし人格面ではやはり不安定さや不誠実なところが残る。副大統領としての次の4年間は、最後はおそらく失意と幻滅のうちに終わるのではないか。