銃社会アメリカのなぞ、なぜ銃規制はすすまないのか。
毎日のようにとはいわないまでも、毎週のように銃乱射事件が起きては多くの市民が殺傷され、生涯癒えることのない傷を負う人々がいる、そんな国がある。アメリカである。
昔からいわれてきたのに、なんでいつまでたっても銃規制がすすまないのか? と疑問にも思う。これがどこか遠いアフリカとか中東のはなしではなく、先進国で頻発していることが驚きである。
以前、マイケル・ムーアという映画監督が銃規制の問題について、ドキュメンタリー番組を作っていたのを憶えている。タイトルは忘れてしまったが、そこでミシガン州兵が口にしたことばが日本人としては驚きだった。
たしか、こんなことを言っていた。「もし政府が専制化したら、私たちが武器をもって政府を打倒するんだ。そのために市民が銃を所持することは必要だ」と。
アメリカの地方などでは、連邦政府への不信感が根強い地域があるようで、政府に対抗して自由と独立を守るために自分たちが武装する、という発想を持っているようである。
ちょうど、大統領選でいえばトランプの支持者が多かったような地域だろうか。政治的には、全米ライフル協会という団体が強い影響力をもっているときいたこともある。
一方、日本では秀吉の時代の刀狩り以来、農民や町人が武装するなんて伝統はなくなっている。アメリカが武装する市民の国だとすれば、日本は非武装の市民の国である。しかし、ここまで政府に従順に唯唯諾諾として従っていていいのか、という疑念もまたあるのだが。
このような日本の環境において、昨年は山上容疑者が自作した銃によって、元総理を衆人環視の中で殺害する、という衝撃的な事件が起きた。銃乱射とはまた違う、明確なテロ行為である。
日本の警備警察の無能さへの驚きと、これほど銃規制が厳しい日本で、こういう事件を起こせてしまうという驚きと、社会に与えた影響は大きい。