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ひろゆきの自己紹介
「モテなかった」
「誰にも認められなかった」
「死にたいと思い続けた」
「挫折して何度も今の仕事をやめたいと思った」
仕事柄キラキラしていて順調そうな生き方をしている自分ですが、こんな事を思い続けてきた過去があった。
有益な情報などは何もない今回の記事ですが、改めて自分という人間についてこの記事にてまとめさせていただきます。
自分の醜い過去をさらす事になりますが、こんな自分の人生が、誰かの勇気となるキッカケになってもらえたら。
モテないとか、誰にも認められないとか、死にたいと思っているとか、今生きる事に挫折しそうになっているとか、そんな過去の自分に通ずる痛みを持っている方がいたら、ぜひ読み進めてもらえたら嬉しいです。
【目次】
・暗闇を彷徨い続けた中学時代
・過酷な労働環境に挫折した工場時代
・レディース服への挫折
・フリーランス駆け出しに訪れた絶望
・積み上げた自信の崩壊
・自分はこれから何のために生きるのか
暗闇を彷徨い続けた中学時代
自分は振り返ると、小学校時代はそこそこに明るく活発な人間だった。
元気に外で友達と遊んだりスマブラをみんなでしたり、気ままに明るく小学生時代は生きる事ができていた。
なんだけど、中学から、うまくクラスに馴染む事に失敗した。
元々小学生時代は外交的な人間だったが、ここで人とコミュニケーションを取ることがまともに出来なくなり、心を塞ぎ込んでしまうことになる。
気づいたら小学校時代にはそこそこいた友達も1人もいなくなり、クラスの居場所もなくなり、完全に中1の秋頃には学校での居場所が無くなった。
そしてそれと同時期に、家庭内での父と母の喧嘩は絶えなくなった。
家に帰れば常にケンカをしているし、兄にもいじめられ虐げられる。
兄は中学でバスケ部、学校では人気者になっていたので、自分とは真逆の立ち位置にいた存在だ。
だからこそ、陰キャみたいな自分がキモかったんだろう。
明るく毎日を楽しく生きている兄貴が心底羨ましかった。
どこで自分は、道を踏み外したんだろう。
学校にも。
家にも。
居場所がなかった。
中1の冬には母が出て行き、母がいなくなり父の元に残ることになった。
一番自分に唯一優しくしてくれた母という存在もいなくなり、本当に居場所がなくなった。
クラスメイトから、父から、兄から、向けられるあの虐げられる目線が脳裏に焼き付いていた。
学校に行くふりをして、自分の家があった団地の階段の片隅で隠れて一日を終わらせる日々を何日も、何週間も、何ヶ月も過ごしていた。
何度も何度も死にたくなって、当時5階の団地に住んでいた所からエレベーター最上階の8階までのぼり、飛び降りようとした事が何度もあった。
生きる楽しみも意味もないのに、死ぬという事だけはどうしても怖くて、勇気が振り切れなかった。
そんな葛藤を繰り返す日々を過ごす中で、たまたまとあるネットゲームに出会った。
メイプルストーリーという、オンラインゲーム。
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人とコミュニケーションを取りながらボスに挑んだりが出来るアクションゲームだった。
自分の容姿も、性格も、現実世界にある全てを偽って参加できたこのゲームの中だけは、自分を認めてくれる人が沢山いた。
現実世界では虐げられた自分も、このゲームの中では生きている実感を持つことができた。
このゲームがあったおかげで死にたいとかそういう気持ちは消えたけど、ただそれでも現実世界の自分はまともな扱いを受けなかった。
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中2の時の国語の先生から、中2のクラスの集合写真の裏書にもらったこんなメッセージがある。
学校に行かずに階段で過ごすという事をやりすぎて流石にバレてしまい、週1ぐらいのペースで学校には通っていた。
相変わらず友達はいなかったので、学校では笑顔になる事などどうにも出来ず、クラスのみんなを明るく見守ってくれていた国語の先生からはこんな風に言われた。
もっとたくさんの笑顔が見たかった!
見つけたかったなぁ。
世の中 そんなに悪いもんじゃないで…!
視野を少し広げてみよう。
新しい発見をする中で、本当の笑顔を見つけてください。
応援してるよ!
自分みたいな死んだ目をしていた人間にもずっと気をかけてくれた先生だったけど、笑顔を見せてあげる事は、あの時の自分にはどうにも出来なかった。
そんな平行線のまま中3になり、卒業式を迎えた。
周りのみんなは泣いていたけど、自分にはその感情が全く持てなかった。
何が寂しいのか、何が泣けるのか、全く分からなかった。
だから、誰とも話す事なく卒業式の会場を跡にした。
服の感動に目覚めた高校時代
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相変わらず自分の居場所は、高校に入ってもオンラインゲームの中にしかなかった。
高校生になってもクラスに馴染まず、ずっとネットゲームの中で現実逃避をしていた。
ネットゲームだけが、自分を認めてくれる友達がいて、自分が活躍できるステージがあって、自分が明るく振る舞える場所があって、唯一の大切な居場所だった。
だがそんな日々に、急に終わりを告げられる。
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アカウントが停止させられた。
それまで積み上げた全てもなくなり、現実世界に居場所がなかった自分が、2次元の世界の居場所すらもなくなった。
本当に、目の前が真っ暗になった。
唯一の居場所だったネトゲも奪われ、どうにもならない日々をずっと過ごしていた。
唯一の居場所が、唯一の友達が、唯一自分が活躍できるステージが、全て、なくなってしまったのだから、とてつもない喪失感に襲われた。
そんな日々を過ごす中で、自分の心の中にある未練と向き合った。
学歴もない。外見も風呂にあんまり入ってなかったのでボロボロ。人とまともに会話もできない。小遣いなど一切なかったのでお金も全く持ってない。
限りなく何もない0の人間だった自分に、人生にあった未練。
「恋愛がしたい」
ということだった。
見た目もボロボロだったし、ネトゲに住んでいたから現実世界で人と喋ることも出来ないし、そんな自分が彼女が出来ることなどありえなかった。
でも、どうにもならなくてもやれる事はやりきってみようと奮い立った。
何もない0の人間の自分だ。
誰に後ろ指を刺されようが
「何頑張ってんの」とクラスメイトに、兄貴にバカにされようが
もう関係なかった。
「誰にどれだけバカにされようが、そんなモノ関係ない」と自分を奮い立たせ、思い立った。
タウンワークにあるアルバイトに片っ端から応募の電話をかけ、面接を受けては落とされ、それが6件程繰り返されて諦めようと思った。
当たり前だ。過去の自分みたいなゴミを誰が採りたいと思うのだろうか。
ただ、高校に唯一と言っていいほど少ない友人がいたので、その友人が働いていたスーパーに頼み込んで働かせてもらうことに成功した。
そして初任給をもらった。
このお金で服を買いに行った。
ジャージしか私服を持っていなかったので、ジャージを着て服屋へ。
キラキラした街のキラキラした服屋にジャージでかつ汚い身なりで足を踏み入れ、バカにされるのではないかと冷や汗をかきながら、ガクガク足を震わせながら、服を見ていた。
はじめて買ったのは今はダサいアイテムの代表とされる、7部丈の折り返しチェックのパンツだった。
そしてそれに合わせる何の変哲もない、ただの長袖の白シャツを買った。
その当時はそれがオシャレなアイテムの扱いを受けていた。
今思えばそのアイテムはダサかったかもしれないのだけど、当時それに身を包んだ時に
「自分もこんなにもカッコよくなれるんだ」
という生まれ変わるような高揚感に身を包まれた。
はじめて自分で頑張って稼いだお金で、はじめてオシャレな服を買う。そしてカッコ良い自分になる。
ダサかった自分でも、オシャレになっていいんだ
カッコよくなっていいんだ
自分を認めていいんだ
はじめてオシャレな服に身を包んで、自分を褒めて認めてあげる事ができた。
生まれて初めて自分を肯定してあげることができた日だったと思う。
あの時の自分の感動を。
自分に自信が持てない男性に届けたい。
自信を持っていきてほしい。
という
服を好きになった、スタイリストになるきっかけになった最初の原体験だった。
そこからは毎月雑誌を3種類ぐらい買って読み込みファッションにのめり込んで行った。
クラスメイトからもオシャレの相談をされたりする事もあり、ファッションをキッカケにそんな輪が増えていった。
そして迎えた高校3年。自分を変えたキッカケになったファッションにもっと携わりたいと思って服飾の専門を志す。親に相談すると
「そんなお金どこにあるん?」
という。確かに。
恵まれた家庭環境でなく自分も全くお金を貯めたりしていなかったし、金銭的な面がどうにもならなかった。
一度働いてお金を貯めよう!という事で、工場への勤務をすることとなった。
過酷な労働環境に挫折した工場時代
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お金のために、ということで働いたものの、めちゃくちゃに過酷な環境だった。
作業着に身を包みヘルメットを被り、真夏は室内温度が35度を超えるような所で冷房なく長袖を着てひたすら勤務をする。
40kgぐらいの鉄製品を担いで運ぶ。
鉄製品を扱う作業でテーブルで鉄で挟み、何度も爪を割ったり骨にヒビが入るケガをする。
職業柄キレイな手でいたかったけど、どうしても当時負った傷で手はそこそこにボロボロになっている。
繁忙期の11月〜2月には毎月100時間近くの残業が入る。
朝5時半に起き7時に仕事開始、夜9時に仕事が終わり、帰ってすぐ寝ては早朝にまた出勤する。
学費を貯めるため!
と思い入社をするも、過酷な労働に何度も気が滅入った。
何のためにこんな働いてんだ、、と日も出てない中の朝5時過ぎにチャリを漕ぎながら出勤し、何度も毎日辞めたいと思いながらも出勤し続けた。
そんな気が滅入る日々を乗り越えながらも3年働き、そんな会社を跡に、服飾の専門学校に入学をした。
レディース服への挫折
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専門学校で服飾の専門知識を3年間みっちり学び、そこから自分は当初の夢であったアパレル関係の仕事へ就職をする事ができた。
「大好きなファッションの仕事をするために、この仕事を辞めたいです」
と工場を辞めるときに言葉に出したけど、それはしっかりと体現が出来た。
そんな中で、最初の1年半はメンズファッションの店頭販売員としてみっちり働き、中性的な自分のビジュアルも相まって
「レディースの販売員に異動してほしい」
ということを打診される。
自分はやった事ないことを何でもやってみたがるタイプだったので、深く考えずに承諾をしてレディース販売員に。
ここでぶち当たった壁が
「レディースファッションまじで分からん」
という事だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1692670877205-ncEOZyqpQ0.png)
どれだけ雑誌を読んでも、どれだけ先輩にマネキンの組み方を聞いても、どれだけコーディネートの組み方を聞いても、出てくる言葉が
「これが可愛い」
「これがイマドキ」
「これがこなれている」
という、男性には全く理解が不能な抽象的すぎる表現。
良く分からないから自信を持って接客も出来ないし、自信を持てないからお客さんに不安がられるし、それが故にあまり接客されたいと思われない店員になってしまった。
メンズファッションではそこそこに出来ていたものが全てこの異動で失われ、そこそこに積み上げた自信が全て崩れ落ちた。
「可愛い」
「センス」
「こなれ感」
「イマドキ」
レディースに異動してから、こういう抽象的すぎる言葉に激しい怒りを覚えた。
「男にそんなん分かる訳ないやろ」
と常に思っていた。
どうにかならないかとネットをひたすら漁り続けて
「理論的にファッションを理解する事ができる」
という講座にたどり着く事ができた。
それが、パーソナルカラー診断であり、骨格診断であり、顔タイプ診断だった。
当時仕事をしながら休日に転売をし続けていたので、貯金が100万ぐらいには貯まっていた。
このお金を使うならここしかない!と思いその100万をその3つの講座に全てフルベッドした。
全ての資格のアドバイザーの資格をとり、少しずつロジカルな方面から理解を深めていく事で、レディースファッションへの理解度を深めていく事ができた。
そんな働き方をする中で、男性の知人に「自分もパーソナルカラー診断とか骨格診断を見てほしい」と依頼を受ける。
その人に非常に喜んでもらえた事をキッカケに、SNS上で受けたい人の募集を募る。そこそこに受けたいと言ってくださる方がいた。
これなら自分も、この仕事でうまくやれるかもしれない、と思った。
本当に自分の力で人を喜ばせる事ができる、人生を変える事ができる
そう思い、この仕事をやり抜きたいと思った。
そういう思いを抱いてから数ヶ月経ち、上司にその旨を相談する事になる。
「パーソナルスタイリストとして仕事をしていきたい」
という事を言った。
「そんな仕事で稼げるわけがない」
「すぐに食えなくなる」
「そんなんでうまくいくわけないでしょ?考え直したら?」
どの上司にも、誰に相談しても、誰にも肯定されなかった。
バカにされた。
当たり前だ。自分が販売員の上司だとして、「パーソナルスタイリストになりたい」なんて言い出したら、「夢見ない方がいいよ」って、余程緻密な戦略が練られていない人であったなら言ってしまう。
でも、自分はやってみたかった。
そのチャレンジへの欲望に逆らう事ができなかった。
そして、退職届を出す。
と同時に、最悪の世界情勢が訪れる。
退職をすると同時に、コロナが訪れた。
フリーランス駆け出しに訪れた絶望
コロナの訪れと同時にフリーランスになった。
6月に正式に仕事をスタートさせた。
スタート当初は、ある種の初回ボーナスがあった。
受けたいと思って下さっていたから続々と問い合わせがあり、仕事も埋まり、そここそに仕事ができた。
会社員と同じぐらいには稼ぐことができた。
ただ、そんな日々も長くは続かない。
3~4ヶ月ぐらいが経った頃には、週1回ぐらいにしか仕事がない状況が訪れてしまった。
話の時間軸がズレるが、会社員の時代から付き合っていた彼女がいた。
12月頃に街コンを通じて知り合い、意気投合して付き合った彼女だ。
それなりにうまくいっていたが、付き合って数ヶ月後にコロナが訪れる。
そして、当時の彼女の会社がコロナの打撃を受け、会社の業績が悪化してしまった。
コロナ第一波があけ、何度か彼女に会う機会があった。
ただ、業績悪化によるブラック労働と今後の不安から彼女は精神的にどこか疲弊していた。
そんな彼女を横目にしつつ、自分も決して仕事がうまくいっていなかった。
会社員を辞めて数ヶ月が経つ頃には、会社員の稼ぎよりも少なくなってしまっていたのだから。
その稼ぎの少なさが、とある事をキッカケに彼女にバレてしまう。
そして
「まともに稼げないあなたと将来いる未来が考えられないから、別れてほしい」
と言われた。
真っ当に稼ぎがしっかりある自分であったなら
「お金は俺がなんとかするから大丈夫だよ。心配しないで」
とでも言えたのだろうか。
まともに稼ぐ事ができないということは、大切な人1人も守ることすら出来ないのか。と絶望した。
本当に好きだった彼女を、真っ当に守れる稼ぎがあったなら、どんなに良かったのだろうか。
仕事もまともにない。
彼女もいなくなった。
当時の稼ぎが生活費すら稼げなかったので貯金も底を尽きた。
仕事も
お金も
大切な人も
あの日、全てを失った。
そこそこに大の大人が崩れ落ちた。
しばらくは再起不能なレベルに落ち込んでしまった。
これからどうして生きていけばいいのか、もう分からなかった。
集客のためにSNSを動かさないといけなかったけども、それすらも出来なかった。
そんな日々を過ごす中で、ある美容インフルエンサーから声をかけられます。
「彼氏の診断してほしい!レポートブログ書くから!」
ということだった。昔所属していたコミュニティの女性だった。
診断をして、レポートを書いてもらった。
非常にアクセスの多いブロガーの方だったので、どうにもならなかった自分の仕事に一気に仕事にブーストがかかった。
ここで、この勢いに乗らないともう今後どうにもならない、と思ったので、やれる事は全てやった。
・Twitterを毎日更新する
・インスタをやる
・ブログをひたすら書き続ける
・顧客満足度を上げる施策を考え続ける
そこから一気に波に乗り、どんどんお客様が増えて、月の予約が100%埋まる月も出てきた。
この波を殺してたまるか、と毎日が必死だった。
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![](https://assets.st-note.com/img/1692343291669-iFQYCw6nUM.png?width=1200)
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そこからビフォーアフターのコーディネートを投稿したり、という事を必死にやり続けたことでうまくいき、ツイッターのフォロワーも1.5万人を超えインフルエンサーとなることもできた。
あの日あの時、あのブログを書いてくださらなかったら。
今の自分はなかった。
奈月さんという方だが、一生自分はこの方に感謝し続けるであろう。
積み上げた自信の崩壊
そんな風に自分なりにビジネスを構築していき、集客もうまくいき、順調にやっていた。
そんな日常を積み重ねる中で、とあるキッカケがありamiさん(男性の方です)というメンズファッションコンサルタントの方と会うことになる。
自分なりに診断を通して、顧客を満足させ、幸せにできている、と思っていた。
そこでamiさんに言われた言葉があった。
「ひろゆきさんの診断というコンテンツは、本当に顧客の方を幸せに出来ていますか?」
ということだった。
しっかり考えてみた。
ただその結果出てきたのはやはり、タイプ診断を伝えるという事で顧客が満足しただ自分も満足しているだけという、ただの自分のマスターベーションだった事に気づいた。
すがけんさんというマーケターの方が言っている言葉で
「価値は顧客の変化量」
という言葉がある。
・診断タイプを通して、顧客の方は本当に変化しているのだろうか?
・外見が変わって、幸せになっているのだろうか?
・モテているのだろうか?
そう考えた時に、その自らの問いに、自信を持ってYESと言えなかったのだ。
自己流でやってきた自信が全て崩れ落ちた。
自分の提供しているサービスは、本質的な価値を届けるモノでなかった事に、ここでようやく気づく事が出来た。
このままじゃ、ただのこのビジネスは虚構に終わると思った。
だから、amiさんの元で本気で学ぶ事を決意した。
男性が本質的に求めるモテる外見の構築を学ぶという事を本気で学んだ。
美容の講師の方に頼み込んで、スキンケアに関する座学を何十時間もカフェで教えてもらった。
専門学校で講師を務めるまた別の講師の方に、メンズメイクをこれもまた何十時間も教え込んでもらった。
オスとしての弱さを克服するため、本気で身体を変えていくべきパーソナルトレーナーの方にボディメイクを教え込んでもらうことになった。
全ては顧客の人生を変えるために。
外見という事に全てに向き合った。
そうしてamiさんの元で学び修行し、1年が経った。
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メンズファッション。
男性の外見構築。
これらに全てロジックでの再現性が持て、外見においては全知全能だと思えるほどに自信がついた。
自分はこれから何のために生きるのか
色んな挫折を越えて、今こうして自分は男性の人生を変えるスタイリストとして、仕事が出来ている。
そんな中で、これからの人生を
何のために生きるのか。
どう在りたいか。
ということを常に考える。
そんな中で自分の中に出てきた答えがある。
外見に悩む男性が 自分の物語の主人公として人生を歩むこと
これを本気で叶えたいと思っている。
多くの外見に悩む男性と話していて感じることがある。
みんな、自分の人生を生きていない。
主人公としてではなく、誰かの人生の中に存在する脇役として生きてしまっている。
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ブルーロックという漫画の1つの描写だが、人はみんな、人それぞれの物語に生きる主人公なはずだ。
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自分は
「日本のダサい男性を救うスタイリストとしてのストーリーに生きる主人公」
であるという設定と使命を自分に課している。
ずっと、誰かの人生に登場する脇役としてでしか、生きてこれなかった過去が自分にはある。
でも自分には今、こんなにも誰かの人生を変えられる力がある。
過去のどん底時代は一度も笑顔になれなかった自分だけど、今は過去の自分のような男性を笑顔に出来る仕事がある。
人には、人それぞれの物語がある。
外見に悩む男性が、魂に火を灯して、自分から人生を切り拓いていく事ができる
これこそが、自分のサービスを通して提供したい全てだという答えを、今の自分は持っている。
バカみたいに長い自己紹介を読んで下さり、本当にありがとうございました。
何かに悩みを抱えるあなたが、自分の在り方を通して何かのキッカケになってもらえたら嬉しいです。
外見を変える事で、人生は変わる。
自分はそれを本気で人生を通して体感してきて、本気で想い続けています。
メンズパーソナルスタイリスト HIROYUKI
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