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リベラル寡頭制
今日のおすすめの一冊は、エマニュエル・トッド氏の『西洋の敗北』(文芸春秋)です。ブログの題名も本書と同じ「西洋の敗北」という題で書きました。
本書の中に「リベラル寡頭制(かとうせい)」という興味深い文章がありました。
ウクライナを介して、ロシアの専制体制と対立し、メディアや大学で、あるいは選挙時に自由民主主義と称されている政治システムについて考えてみる。
「民主主義」に加えられる「自由な(リベラル)」という形容詞は、「多数決」の暴力を和らげる「少数派の保護」を示している。
ロシアでは、投票があり、人々が政府を支持しているが、少数派は口を封じられるといった不備がある。私はそんなロシアに対して「民主主義」という表現を維持しつつ、「自由な(リベラル)」という形容詞を「権威主義的」に置き換える。
西洋については、多数決による代表制が機能していない以上、「民主主義」という言葉は使えない。他方、「自由な(リベラル)」という言葉を使い続けることには 誰も反対しないだろう。
というのも、今日の西洋では「少数派の保護」は一種の強迫観念にまでなっているからだ。抑圧されている少数派として、黒人や同性愛者がすぐに思い浮かぶが、実は「最も保護されている少数派」は、全人口の1%、0.1%、あるいは0.01%を占めている超富裕層である。
ロシアでは、同性愛者は保護されていないが、オリガルヒも保護されていない。こうした観点から、西洋で「自由(リベラル)民主主義」と呼ばれてきたものは、「リベラル寡頭制」と位置づけ直される。
すると、この戦争のイデオロギー的意味も変わってくる。西洋の主流派の言説では、この戦争は、「西洋の自由(リベラル)民主主義」と「ロシアの専制体制」の対立だとされたが、「西洋のリベラル寡頭制」と「ロシアの権威主義的民主主義」の戦いに変わるのだ。
◆寡頭制とは、少数の人が国政の実権を握り、支配する政治体制のことを言う。
◆また、ロシアのオリガルヒとは、ロシアの民主化を通じて急速に富を蓄積した大富裕層(新興財閥)をいう。しかし、現在ロシアにおいては、多くのオリガルヒが不可解な死を遂げている。つまり、ロシアではオリガルヒは保護されていないということだ。
◆また、本書では「宗教ゼロ状態」という言葉が出てくる。宗教ゼロ状態とは、西洋において、社会生活、道徳、集団行動などを形成してきた宗教の価値観が、まったく意味をなさなくなる状態のことをいう。
人類学者は、キリスト教的婚姻の消滅の「正式な日付」を、「みんなのための結婚法」(フランスの同姓婚法)が制定された日としている。この日を境に「宗教ゼロ」が始まったといえる、と。
◆「少数派の保護」や「民主主義」「リベラル」、という概念を今一度冷静に考えてみたい。
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