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人生の晩年にこそ真価が問われる

今日のおすすめの一冊は、森信三師の『森信三運命をひらく365の金言』(致知出版社)です。その中から「若い人に学ぶ」という題でブログを書きました。

本書の中に「人生の晩年にこそ真価が問われる」という心に響く文章がありました。

われわれは、人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに心を引きしめて、人生の晩年の修養に努めねばならぬであろう。

そしてそれは、もはや一家の生計を支える主責任の地位から解放せられている以上、自分さえそのつもりになれば、さまで困難ではないはずである。

かくして人生の晩年にさしかかったならば、われわれは人間としての生き方の上についても、最後の仕上げと取り組む心がけが必要と思うのである。

特に、人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならぬ。

◆多くの人は、定年をゴールとしている。しかし、定年がゴールとなった途端、その後の人生が余生という、腑(ふ)の抜けた余りの人生になってしまう。

森信三師は「人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。そして齢をとるほどそれが凄まじくならねばなるまい」という。齢をとればとるほど、「面倒くさい」という気持を切り捨て、若い頃の倍も三倍も勉強する、読書するということ。

歳をとったらのんびり暮らす、というのが大方の考え方だ。つまり、「上がり」の人生だ。「一丁上がり」の終わった人生ということ。人生というマラソンでいうなら、ゴールが見えてきたのに、そこで気を抜き、歩き出したり、一休みしてしまう、ということでもある。

《人を看(み)るには  只(た)だ後の 半截(はんせつ)を看よ》(菜根譚)

人を見るには、後半生を見ろ、人の値打ちは後半生で決まる、ということ。 「終わりよければすべてよし」という言葉があるが、だからこそ、晩年が特に大事なのだ。 晩年は、自分が今まで生きてきた結果があらわれるからだ。 

どんなに若い頃優秀であっても、晩年になってしょぼくれてしまっては寂しい人生となる。 逆に若い頃、失敗の連続で冴(さ)えない人生であっても、晩年になって、社会に役立ち、人から必要とされ、幸せなら、「いい人生だった」ということになる。

「人生の晩年にこそ真価が問われる」という言葉を胸に刻みたい。

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