戦わずして勝つこと
今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『こころの遊歩道』弘園社です。その中から、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」という題でブログを書きました。
田村耕太郎氏は孫子の兵法の「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」についてこう語っています。(頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法/朝日新聞出版社)より
「限られた資源を無駄使いするな」というメッセージは経営戦略そのものだ。「アホ」というと、ある程度心当たりがあるだろう。要は、むやみやたらとあなたの足を引っ張る人だ。会議でなぜかあなたの発言だけにいちゃもんをつけたり、チームメイトなのに明らかに敵意を見せつけて協力的な態度をとらなかったり、明らかにこちらの意見のほうが正しいのに、権力を振りかざしてそれをつぶそうとしたり…。
そんなとき、悔しさで仕事が手に着かなかった経験はないか?なぜ自分ばかり厳しく当たるのだろうと、くよくよしたことはないか?はらわたが煮えくり返り、家に帰ってもなかなか怒りがおさまらなかったことはないか?しかし、間違っても「やり返してやろう」などと思っていないことを祈る。悔しい過去にこだわり、未来を犠牲にするか、それとも、成功するための真理に集中するのか。過去を引きずるより、もう終わったことにしたほうが傷は浅いのに、悔しさを晴らそうと、さらに過去に時間とエネルギーを投資してしまう。
日本社会では冷静にやるべき議論が成立せず、議論は個人の人格攻撃と捉えられがちなので、失うものが時間やエネルギーですまなくなることもある。成功者は無駄に戦わない。戦うべき時と相手を選ぶ。アホと戦う無駄を知り尽くしているから成功するのだともいえる。戦うべき相手は人間関係で「くよくよ悩む自分」「腹を立てる自分」だと思ってほしい。
そして、神経をすり減らさないための第一のポイントは、自分にもっと関心を持つことだ。そもそも、日本人は他人に関心がありすぎる。お互いが他人に関心を持っていて相互監視社会のように感じるときさえある。他人ばかり気にしていたら自分と向き合う時間がなくなってしまう。これからは、自分が本当に何がしたいのか?そのために何が必要なのか?そっちに専念したほうがいい。それがわかれば、他者のことを気にする暇なんてないことがわかる。
人は誰かに、認めてもらいたくて仕方のない生き物です。つまり、「承認欲求」です。それは、自己重要感を満たす欲求でもあります。誰かに非難されたり、バカにされたり、怒られたり、無視されたりすると、その自己重要感が粉々になってしまいます。一番ひどい状態は、存在を否定されることです。「バカヤロー、辞めちまえ!」とか「死ね!」とか「帰れ!二度と顔を見せるな!」というような、人格否定や存在否定につながる言葉や態度です。それが嵩じると、暴力に訴えるということになります。
そしてその状況が続き、自分の気持ちがすり減ってきて、限界に達すると、突如相手を攻撃をする、という反転に転じることもあります。たまった負のパワーを、負のパワーで返すことです。しかし、負のパワーで仕返しすると、必ず嫌悪感が残ります。たとえば、ずっと我慢していたのに、いよいよ我慢できなくなり、怒鳴り返す、というようなことです。怒鳴れば、嫌な気持ちが残ります。
そこで必要なのが、「頭に来てもアホとは戦うな」という言葉。戦えば、その人と同じレベルになってしまいます。つまり、孫子の言う「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」です。人生は戦わずに勝つことが上の上の策です。
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