バイバイなんて言えないよ
車の時計の時刻は午後2時43分。
<君が居なくても こちらは元気でいられるよ>
「Bye Bye」のサビを聞いていた矢先、窓越しにサイレンの音に気付く。今日は3月11日。追悼のサイレンだ。車の時計が3分遅れていた。運転中のため、そっと心の中で黙祷した。
3月は平常時でも別れの季節なのに、今年は特に急な別れを実感する人たちが多かったかもしれない。新型コロナウイルスの影響で、子どもたちは突然休校を余儀なくされ、特に卒業学年の児童生徒たちは友達と別れを惜しむ間もなく、あっという間に卒業を迎えることになってしまった。
9年前の東日本大震災の時と重なる。あの時も急な別れを実感する子どもたちが多かった。卒業式を間近に控えた子どもの中には被災して、友人や家族を亡くしたり、自身も犠牲になってしまう場合もあった。
非常時において、離別や喪失は人間に容赦なく、襲い掛かる。それは音楽業界においても然りだ。今回も、9年前も非常事態で開催が延期、中止となったライブ・コンサートは数え切れないほど存在する。震災時は特に被災地においてそれが顕著だったが、今回のケースは日本のみならず世界共通で切迫した状況であるから、地球全体の問題で、なかなか先行きが見通せない。地球上に住んでいる限り、逃れることはできない問題に発展してしまったのだ。特に日本においては3月の公演は延期、中止となってしまったケースが多い。
楽しみにしていたライブに行けなくなり悲しむファン、ネット配信という形でライブを開催してくれるアーティスト、ファンと直接会えないこんな時期だからこそ、楽曲作りに励んでくれているであろうアーティスト…私には何ができるだろうと考えた。
私にできることなんてたかが知れていて、こんな時でも書くことくらいしかできない。何かを書いて、何となく歯車がかみ合わず不協和音が鳴り響く世の中を応援することにした。書くことによって得たいの知れない不安やいつ終わるとも知れないストレスを和らげることができるかもしれない。現実逃避ではなく、魅力溢れる音楽の力で、豊かな想像力で過酷な現状を乗り越えることができるのではないかとひらめいた。
こんな時だからこそ、音楽の可能性を信じたい。9年前、多くの人々が音楽に救われたように。
好きな音楽を鑑賞するだけでもだいぶ心が落ち着く。震災の時も私はそうやって生活していた。好きな音楽を聞くだけで、癒されたし、勇気をもらえた。いつかまたきっと行けるであろうライブに思いを馳せて、好きなアーティストのことを考えるだけで、不安が渦巻く非常事態を乗り越えることができた。
今回は9年前と違ってただ音楽を聞いて過ごすだけでなく、音楽を聞いているうちに見えてきたストーリーを文章として残すことにした。
たまたま数ヶ月間ずっと聞き続けていたフジファブリックの楽曲とそこから派生して小沢健二の楽曲の爽やかな別れの美しさが心の琴線に触れた。減速、停滞気味の現在の世の中で生きていて、それらの楽曲から何か希望を見出せないかなと思い、書き進めることにした。
フジファブリックの元々はPUFFYに提供した曲でありセルフカバーをしている「Bye Bye」という楽曲において主人公は別れることになった彼女との未練や後悔を不思議なくらい清々しいメロディに乗せて歌っている。
<君の選んだ人は とても優しい人なんだろな 遠くに行っても そう どうか元気で>
主人公はもはや自分が彼女の心の中にいないことを悟って、未練たらたらだけど離したくない手を離してしまう。潔く彼女との別れを決心しようと努力している。
志村正彦はもどかしい恋愛の心境を見事にさらりと一編の歌詞にまとめ上げた。
冒頭に書いた通り、失恋だけでなく、死別のような状況にも見合う曲であり、奥が深い。
そしてフジファブリックの「手紙」という楽曲も爽やかな余韻を残した別れを描いている。
<さよならさえも言えずに時は過ぎるけど 夢と紡いだ音は忘れやしないよ>
<さよならだけが人生だったとしても 部屋の匂いのようにいつか慣れていく>
予期せぬ別れを経験しても、相手のことを無理に忘れようとはせず、別れたばかりの時はつらいけれど、きっと喪失感は自然と体に馴染むから大丈夫だよと山内総一郎がやさしく教えてくれている気がする。
これらを聞いた後、フジファブリックがカバーした小沢健二の楽曲「ぼくらが旅に出る理由」を聞いた。元々、小沢健二の中で好きな曲を選ぶとしたら、この楽曲を挙げるほどお気に入りの曲ではあるけれど、改めてフジファブリックのカバーを聞くと別れの歌詞が心に刺さった。
<遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ>
<ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる>
これは「Bye Bye」や「手紙」と同様に大切な人と別れて悲しいはずの歌なのに、ストリングスが豪華で明る過ぎて、これって本当に別れの歌なんだろうか?と聞いているうちに別れの寂しさを忘れさせてくれる名別れ歌だと感じる。
もう1曲、小沢健二の「さよならなんて云えないよ(美しさ)」もその傾向がある。
<嫌になるほど誰かを知ることはもう2度と無い気がしてる>
<本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れてゆくと>
相手の嫌な面まで見えるほど長い間一緒に過ごしたのに、そんな永久的に続きそうな長いと思っていた日々にも必ず終わりはあって、相手の嫌な面と向き合うのは少し面倒だなと思ったことでさえ美しい思い出に変わる。楽しかった日々も大切な相手のことも一緒に過ごせなくなれば結局いつかは忘れてしまうものである。美しさは残しておけないものであり、大切な人と過ごせる日々は夕暮れ時の刹那的な美しさに似ていてせつなさを存分に感じられる曲だ。
<美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間>「ぼくらが旅に出る理由」
4曲すべてにおいて、悲しくせつない別れのはずが、美しい瞬間は残しておけないと分かっていても、その誰かと過ごした美しい日々を思い出しつつも、過去ばかり振り返らず、未来に向かって進んでいこうとする姿勢、爽やかな別れが醸し出されている点で心地よい別れを感じさせる。
すべてまるでショート映画でも見ているかのようにストーリー性が高く、自然と情景が脳裏をよぎる。
ということで、ここからは少し長くなるけれど、「Bye Bye」を元に思いついた物語を綴ってみる。音楽からインスピレーションを得た文章だから、音楽文として定義できるのではないかなと。(※音楽文としては定義されませんでした。当然ですが、創作はNGらしいです。冒険してみたかったんです。)
※登場する人物、設定等はすべてフィクションです。
≪ 夜光虫かと思った。暗闇の中に無数の光の塊が連なって、ゆっくりうごめいている。それはだんだん大きくなって、気付いた時には止まっていた。虫なんかじゃなかった。停車間際の電車の光だった。ゆっくり動く光の塊は僕の視界にどんどん近づいてきた。蛍ほどの小さな光はやがて電球ほどの大きさに変わり、いつしか電車の光だと認識できるようになっていた。電車に乗っている女の子は泣いていた。彼女だった。汐凪(ゆな)ちゃんだ…。
それは僕がここに来てから初めて見た光景だった。ここというのは所謂あの世と呼ばれる所で、汐凪ちゃんと一緒に過ごした夏祭りのあの夜、僕は最後の花火を見終えた直後に無事成仏したのだった。
震災で亡くなったはずの僕は数ヶ月間、なぜか幽霊として生きることができた。一緒に亡くなったお姉ちゃんと一緒に幽霊生活を営んでいた。オカルト好きのお姉ちゃん曰く、何かこの世に未練があるから、私たちは成仏できないんだろうと。僕の心当たりは汐凪ちゃんだった。学習発表会の時、ステージで転んでしまった僕を彼女が助けてくれた。その後、お礼のつもりで彼女の似顔絵をプレゼントしたら、バレンタインデーに汐凪ちゃんが僕にチョコをくれた。ホワイトデーにお返しをしたかった。けれど、その少し前、3月11日に僕は死んでしまった。
幽霊になってしまったものの僕は生きている人間と変わらず体も与えられていたため、無事汐凪ちゃんとも再会できた。その頃住んでいた仮設住宅のあるY丘市の夏祭りはちょうど汐凪ちゃんの誕生日、7月27日に開催された。待ちに待った夏祭り当日、僕は彼女を誘って、一緒に出店の並ぶ神社の境内で綿あめを食べたり、花火の絶景スポットである昔のお城の跡地まで歩いたりした。途中、外灯の明かりの下で、彼女が好きなルミエールというバンドの曲を弾き語りしているお兄さんに出くわした。彼女のリクエストに応じて次々とルミエールの曲をギターで弾き、歌ってくれた。1曲だけ、知らない曲も歌ってくれた。その後、お城の跡地の階段を上っている最中、彼女は慣れない浴衣で転びそうになってしまい、僕はとっさに彼女の手を取った。手をつないで花火を見た。ホワイトデーにお返しできなかった分、彼女に誕生日プレゼントとして髪飾りをプレゼントした。そして彼女に告白し、気持ちが通じ合った途端、僕の体は消えてしまった。
せっかく彼女と両思いになれたのに、消えてしまうなんて、こんなことならいっそ片思いのまま、未練を残したままでいれば成仏することなく、ずっと彼女の側にいられたかもしれないと思った。でも僕は彼女に自分の思いを伝えたかったのだから仕方がない。あの世には来てしまったけれど、汐凪ちゃんのことをそっと見守ろうと決心した。あの時、少しはにかみながら髪飾りをつけてくれた彼女の横顔が忘れられなかった。
ここに来て気付いたことがある。どうやら好きなだけ生きている人たちの世界を見られるわけではないらしい。生きている人に思い出してもらえて、かつ自分もその人のことを考えている時間だけ、覗くことができると知った。最初に見た光景だって、汐凪ちゃんのことを考えていて、彼女も僕のことを思ってくれていたから、見られたのだ。でも彼女が泣いていても慰めることもできず、何もしてあげられない自分がふがいなく思えた。彼女のことを思えばいつだって彼女の姿を見ることができたけれど、それはつまり彼女も僕のことを忘れられず僕のことばかり考えてなかなか前を向けずに生きている彼女の姿を見ることにもつながったから、だんだん苦しくなってしまって、彼女のことを考えることを控えるようにもなっていた。僕のことを覚えていてくれてうれしいと思う反面、早く僕のことなんて忘れて幸せになってほしいと願う気持ちもあった。
彼女のことを忘れようと努力している矢先、ふと聞き覚えのある旋律が僕の耳にかすかに届いた。その旋律に誘われて辿り着いた所にはあの時のお兄さんがギターを片手にあの時と同じように歌っていた。
「どこかで会ったことあるような…」
僕の存在に気付いたお兄さんは手を止めた。
「夏祭りの夜にお兄さんの歌、聞いたことがあります。」
「あぁ、あの時のかわいらしいカップルの一人か!」
お兄さんは笑顔だったけれど、どこか寂しそうだった。
「やっぱり君も亡くなっていたんだね…」
「えっ?ということはお兄さんも、もしかしたら幽霊だったんですか?」
「まぁ、そういうことになるね。あの日は命日だったから、あそこに行けたんだよ。俺みたいな存在になるとそう簡単に生きている人たちの世界は覗けないし、あっちの世界に行けるのは命日だけって限定されるからね。」
お兄さんはピックを持ってまたギターを奏で始めた。
「それってどういうことですか?僕こっちの世界のことはまだよく知らなくて…。何か掟みたいなものでもあるんですか?」
「そうだね、まぁ掟があるらしくて、基本的に生きている世界に戻れるのは命日だけだね。それからもしも生き返りたいなら、ひとつだけ方法があるんだよ。君はまだ若いし、生き返りたいとは思わない?」
「生き返ることもできるんですか?是非教えてください!」
僕は期待に胸が弾んだ。
「正確には生まれ変わるって言った方がいいのかな。赤ん坊からやり直すことになるらしいから。方法は簡単だよ。神様から頼まれた亡くなる予定の人間の魂を運べばいいだけさ。」
「神様から告げられた人の魂を運ぶんですか…。それってどうやって…。」
「もしも本気で生き返りたいって願えばそのうち神様から告げられるよ。俺がそうだったから。でも、もしも失敗したらたいへんなことになるよ。俺みたいにね。」
お兄さんは演奏をやめて真顔で続けた。
「俺も生まれ変わりたいって思った時期があって、じゃあ神様から告げられた人の魂を運ぼうとしたわけ。けど…失敗してしまって。それでまぁ罰なのか何なのかそれ以来、自由にあっちの世界を覗くことはできなくなったよ。たとえ誰かが俺のことを思い出してくれているとしてもね。」
お兄さんはまた寂しそうに微笑んだ。
「そうなんですか…。教えてくれてありがとうございます。僕も神様に頼んでみます。失敗しないようにがんばります。」
「君ならきっと大丈夫だよ。俺の名前はカナタ。ええと君の名前は?」
「海音(かいと)って言います。カナタさん、ありがとうございます。」
「海音くんか、彼女とまた巡り合えるといいね。」
お兄さんは僕の頭をポンポンと優しく撫でてくれた。冷たいのに温かくて大きな手だった。
それからどれくらいの月日が流れただろう。往生際の悪い僕は時々彼女のことを思い出してあっちの世界を横目で眺めては、溜息をつきながら何気なく過ごしていた。でも次第に彼女が僕を思い出す機会が減ったのか、見たいと思っても見られない時間も増えた。彼女はいつでも僕がプレゼントした髪飾りをつけてくれていたけれど、ある時から髪飾りは彼女の髪から外されてしまって、その頃から僕の知らない誰かが彼女の側にいることが多くなった。その人は僕と同じ名前の貝斗(かいと)という男だった。どうやら同じ部活の先輩らしく彼女はその人のことを名前で呼ぶことはなく、ずっと「部長」と呼んでいたけれど、複雑な心境だった。よりによって同じ名前の男が彼女の側にいるなんて。僕は彼が彼女を幸せにしてくれればいいと思ったり、彼女の側から離れてほしいと願ったり、嫉妬心に苛まれて、ますますあっちの世界を見ることがつらくなった。
彼女はいつの間にか高校生になっていた。僕は死んだ時の年齢の10歳のまま。どんどん彼女との歳の差が開いて、もはや彼女は僕のことなんて忘れてしまっただろうと諦めるようにもなっていた。けれどルミエールが解散することになって、震災の年に開催できなかったライブを被災地で開催してくれることが決定し、そのライブのチケットを貝斗という男が汐凪ちゃんの分も用意してくれた。彼女はライブ当日、ひさしぶりに僕がプレゼントした髪飾りをつけてくれて、僕もルミエールのライブを間近で見ている感覚になれた。彼女と一緒に過ごすことができて幸せだった。それも彼のおかげだから、貝斗という男を憎めなくもなっていた。彼なら本当に彼女のことを幸せにしてくれるかもしれない。でも生まれ変わることができれば、たとえ歳の差があっても僕だって彼女を幸せにしてあげることができる。生まれ変わるチャンスをまだ諦めてはいなかった。
それから間もなく、また彼女の姿を見られる機会があった。彼女は僕がプレゼントしたあの似顔絵をまだ大切に壁に飾っていてくれた。彼女は貝斗という男と正式に付き合うことにしたらしい。ショックだったけれど、ちゃんと僕に報告してくれてうれしかった。いつか一緒にまた花火を見ようとも言ってくれた。その時、ルミエールのボーカルだったセツナのソロデビュー曲が彼女の部屋のラジオから流れていた。あのお兄さん、カナタさんが歌っていた旋律の曲だった…。『Bye Bye』という曲で、ルミエールがデビューする前、事故で亡くなった幻のメンバーを偲んでセツナが作った曲らしい。
お兄さんってルミエールのメンバーだったんだ。全然気付かなかった。元々ルミエールはお姉ちゃんと汐凪ちゃん経由で知ったバンドだったし、そんなに詳しくはなかったから、気付けなかった。だからあんなにルミエールの曲ばかり弾いて歌っていたのか…。
お兄さんの正体に気付いた矢先、お兄さんに教えられた通り、神様からお告げがあって、亡くなる人の名前と日時と場所を教えられた。
「音沢貝斗(おとざわかいと)、7月27日午後9時30分、Y丘駅」
その名前を聞いた瞬間、僕の頭は真っ白になった。
なんで、よりによって汐凪ちゃんの彼氏の魂を運べば生まれ変わることができるなんて。そんなのできるわけないじゃないか。どうにかして助けたい。自分が生き返るとか生まれ変わるとかそんなことはもはやどうでもいい。たとえ僕が魂を運ばなくても、彼は事故で亡くなることになっているのだろう。そして僕の代わりの誰かが彼の魂を運んでしまうことだってあり得るだろう。そんなの絶対に嫌だ。彼を死なせたくない。
僕は神様のお告げに従うフリをして、当日の夕暮れ時Y丘駅に降り立っていた。あの日と同じY丘市夏祭りの夜だった。浴衣姿の人たちで賑わっている。貝斗さんを探しつつ、駅から程近い神社の境内にも足を運んだ。汐凪ちゃんの姿も見えた気がしたけれど、僕は目をそらしてしまった。見たいようで見たくない。きっとその隣には彼がいるから。彼を探しているはずなのに、仲睦まじい二人の姿を見るのはまだ耐え難かった。これから花火大会も始まる。きっと二人はあのお城の跡地へ行くのだろう。そんなの見たくない。無意識のうちに涙がこぼれた。花火が終わった後に乗る予定の電車の事故を食い止めればいいのだろう。駅の近くで二人を待機していようと涙をぬぐった。
とぼとぼ歩いていると、駅のすぐ側でお兄さんが弾き語りをしていた。誰も足を止める人は居らず、もしかしたら僕にしか見えていないのかもしれない。
「お兄さん、『Bye Bye』、歌ってください。」
「あれ?海音くん?今日が命日だったの?こんな所で会うなんて奇遇だね。」
僕に気付いたお兄さんは驚いた様子で微笑んだ。
「命日ではなくて、その、魂を運ぶ役目を果たす日が今夜なんです。」
まるで僕の本心を知っているかのように、お兄さんは静かに『Bye Bye』を弾き始めた。
「そっか、今夜なんだね…。俺さ、もうバレてると思うけど、ルミエールがデビューする前にセツナと一緒にバンド組んでいて、もうすぐデビューって矢先に事故で死んでしまって。だから地元じゃ俺のファンとかもいたりして。俺が死んだ後、悲しんでくれた人たちはたくさん居たんだよ。その頃セツナとも少し気まずい状態だったし、だから何とかして生き返れたらなってずっと考えていて。そしたらさ、神様が俺と同じ名前の男の子の魂を運ぶように告げてきて。俺、出来なかったんだ。だってその子、ルミエールのファンの子の子どもだったから。」
「セツナがさ、まさかソロやるとは思わなかったけど、昔二人で作った曲をこうしてちゃんと形にしてくれて、うれしいよ、ほんと。」
何も言わない僕の代わりにお兄さんが饒舌に話してくれた。『Bye Bye』を歌ってくれた。
「お兄さん、きっとまた会えると思うんです。その時はまた聞かせてくださいね。」
「分かった、新曲でも用意しておくから。海音くんは俺より小さいのにすごいね。そんなに誰かを大切に思えるなんて。」
お兄さんは僕にお守り代わりにしてとピックをくれた。僕はありがとうとおじぎをして、笑顔でお兄さんに手を振った。
花火大会が終わり、駅には人が増えて来た。貝斗さんと汐凪ちゃんの姿を見つけた。どうやら電車に乗り込むのは貝斗さんだけらしい。汐凪ちゃんが手を振っている。時々、貨物列車が徐行することなく、ホームを通過したりしている。もうすぐ午後9時30分。白い杖を持った高齢の男性が誤ってホームから転落してしまった。それに気付いた貝斗さんはとっさに飛び降りて、その人を助けようとした。誰かが非常ボタンを押した。電車がそこまで迫っている。僕は貝斗さんを助けようとした。けれど、高齢の男性の方も気になった。たとえ貝斗さんを助けられても、高齢の男性が電車にひかれてしまったら、貝斗さんはつらい思いをするだろう。どうしたら二人を助けることができるんだろう。僕はきっと貝斗さん一人のことしか救えない。そんなことを考えていた瞬間、どこからともなくお兄さんがやって来て、高齢の男性を抱えてくれた。
「海音くんの手伝いに来たよ。」
電車がホームに入る前に二人とも助けることができた。もちろん周囲の人たちには僕たちの姿は見えていない。きっと貝斗さんが男性を救ったように見えただろう。良かった。二人を救うことができて。
「お兄さん、ありがとう!僕一人じゃ二人を助けることはできなかったよ。」
「昔、俺も同じように助けられたことがあるから、いつか恩返ししたいと思っていたんだ。それができて良かったよ。もしかしたら、俺も亡くなった誰かに助けられたのかもしれないと思ってね。」
騒動に気付いた汐凪ちゃんが貝斗さんの元に駆け寄って泣いている。僕の心から嫉妬心はなくなって、なんだか清々しい気持ちに変わっていた。
「貝斗さん、汐凪ちゃんのことをお願いします。汐凪ちゃん、きっと幸せになって。」
僕がそんなことを考えていると、電車の光は電球のサイズになって、蛍の光ほどの大きさになって、完全に光は消えてしまった。
その日以来、僕は生きている人たちの世界を覗けなくなった。きっと掟を破ってしまったからだろう。命日に戻ることができるかも分からない。それでもいい。汐凪ちゃんが幸せでいてくれたら。
お兄さんとも再会できていない。お兄さんは二回も生きている人を助けてしまったから、まさか消えてしまったのかな。僕ももう一度、人助けしたら、またお兄さんに会えるかな。その時は新曲を聞かせてね。ポケットにはいつもお兄さんからもらったピックを忍ばせているよ。ギターを練習して『Bye Bye』を弾いてみたいなと思っているんだ。その時は一緒に歌ってね、お兄さん。
汐凪ちゃんのおかげでルミエールを知れて、お兄さんとも出会えて、貝斗さんを救うこともできたから、僕の人生は生きていた十年間も死んだ後の数年間も悪くないって思えるよ。
青空の中に大きな入道雲がそびえ立っていて、僕は青色と白色の間でまどろんでいる感覚に包まれていた。≫
というように、私は好きな音楽を聞きながら、物語を考えるという作業をして、不安を感じる時間もないほど、充実した日々を過ごせている。
人間がウイルス騒動であたふたしていても、季節は確実に春に近づいていて、桜の枝の先端がほんのりピンク色に色づき始めている。震災の時もそうだったように、何が起きても時間は動き続けるし、移ろいゆく季節は決して止まらない。
過ぎゆく時間の中で出会いと別れは繰り返され、別れが突然であればあるほど、良かった思い出ばかり際立って、皮肉なことに美しい記憶が残る。先に述べたフジファブリックや小沢健二の楽曲から別れの美しさを教えられた。
今はまだ解決できていないウイルス騒動の渦中にいて、良い思い出なんて作れそうにもないけれど、何年か後にはきっと音楽に救われた美しい記憶が残っていると思う。
こんな時でも書き続けようと思えるのは、たくさんのアーティストがたくさんの名曲を紡いでくれるからに他ならない。好きな音楽を自分なりに解釈して言語化してまだその楽曲の魅力を知らない人たちに伝えたい。特にこんなご時世だからこそ、音楽の可能性を広げて、早く平常通りライブ、コンサートが開催されることを願いつつ、自分ができることでアーティストを応援したい。
晴れ渡った土曜日の昼下がり、そんなことを考えながら、相変わらず音楽を聞いている。
<それじゃバイバイ またバイバイ>
残念ながら中止となってしまった公演の数々に誰も「Bye Bye」なんて言えないだろう。心の中で祈った。さよならの続きを描きたいと。