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「多恵が結んだリボン~タロウとハナコの運命~」〈17〉
多恵(タエ)ばあちゃんが亡くなった時、俺は何をしていたのかと言うと、ライブの真っ最中だった。全国ツアーの終盤で、このツアーが終わったら会いに行こうと思っていた。けれど間に合わなかった…。
俺の名前を特に気に入ってくれていて、「多朗(タロウ)、多朗」ってばあちゃんはかわいがってくれた。幼い頃はそれがうれしかったけれど、自分の名前が「タロウ」なんて恥ずかしいと思い始めた小学生の頃からは、多恵ばあちゃんから「タロウ」と呼ばれることがなんとなく恥ずかしくなって、ばあちゃんとは少しずつ距離を置くようになってしまった。
中学生になってバンド活動を始めると同時に俺は「多朗」から「叶羽(トワ)」に生まれ変わった。バンドを始めて「トワ」という名前になったことをばあちゃんにも教えたけれど、「叶羽」という名前は結局、覚えてはもらえなかった。「多朗の方が多朗らしくてばあちゃんは好きだけどね」なんて寂しそうに笑ってた。
俺が20歳くらいの時に、認知症を発症したばあちゃんは、症状が進行すると老人ホームに入所した。亡くなる間際まで、唯一覚えてくれていたのが、「多朗」という俺の名前だったらしい。プロデビューを果たしたバンド活動が忙しくて、俺はろくに会いに行くこともしなかったのに、最後まで俺の名前を覚えていたなんて、会いに行かなくて悪かったなと、亡くなった知らせを聞いた瞬間、悲しみよりも罪悪感を覚えた。
ツアーも一段落した頃、多恵ばあちゃんが住んでいた街にある墓地へ向かった。そこにはばあちゃんも眠っていた。
「多恵ばあちゃん、遅れてごめん。俺…多朗って名前好きじゃなかったんだ。なのにばあちゃんは最後まで俺の名前を覚えていてくれたんだってね。ありがとう、ごめんね…。」
そんなことを呟きながら「花海(ハナミ)家」のお墓の前で手を合わせていると、
「タロウ!」
という名前を呼ぶ声が聞こえたものだから、俺は思わず
「はい!」
と返事をしてしまった。振り向くと、俺のすぐ後ろには一匹の犬がちょこんと座っていた。
「すみません、うちのタロウ、勝手に駆け出してしまって…。」
20代前半くらいの飼い主らしき女性が慌ててリードを持った。その犬もタロウという名前らしい。何となく恥ずかしくなって、うつむいていると、
「あれ?もしかして…ヨルアカの叶羽さんじゃないですか?私、ヨルアカの大ファンなんです!」
なんてさっそく気付かれてしまった。一応変装したつもりだったんだけどな…。
「そうです、叶羽です。いつも応援してくれてありがとう。」
気付かれたなら仕方ない。笑顔を振りまいて挨拶した。
「お墓参り…ですか?」
「うん、やっとツアーが終わったから、親族のお墓にね…。」
ヨルアカのメンバーは誰も本名を公表していないため、さり気なく濁した。
「私も、お墓参りに来たんです。最近亡くなった利用者さんのお墓がこの墓地だって聞いたものですから。」
「利用者さん?」
「はい、私、老人ホームで働いているんです。その方は私が担当を任された初めての利用者さんだったので、亡くなった時は本当にショックでした…。」
「へぇ…そうなんだ…。」
そう言って、彼女は俺のばあちゃんのお墓の前で手を合わせた。
「多恵さん、この子がうちのタロウです。会いたいって言ってくれてたのに、結局、間に合わなくてごめんなさい…。」
彼女は涙を浮かべて、そんな妙なことを呟いていた。
「タロウ…犬に会いたがっていたの?その人。」
「はい、お孫さんの名前が多朗という名前らしくて、いつもタロウ、タロウって言ってたんです。私、その人…多恵さんからタロウという名前をもらって、飼い始めた犬にタロウと名前をつけたんです。」
「へぇーその利用者さんから名づけてもらたったんだ、この子。」
俺は人懐っこいその犬の頭を撫でながら、興味津々で彼女の話を聞いていた。
「私…自分の名前が嫌いだったんです。花菜子…ハナコって古風な名前でなんとなく恥ずかしくて。カナコだったらまだ良かったのにってずっと思ってて。」
本名を公表していない俺の本心を知る由もないのに、彼女は名前にコンプレックスを抱いていた俺と同じようなことを話し出したものだから、驚いてしまった。
「ハナコちゃんって言うんだ。かわいい名前だと思うけど、俺も…キミの気持ち分かるよ。」
「叶羽さんは名前かっこいいじゃないですか。本名だってきっと素敵な名前なんだろうなって。私みたいに平凡な名前じゃなくて…。」
同じ気持ちの彼女になら教えてもいいかなと俺はばあちゃんのお墓の前で、ファンの一人にこっそり本名を告げることにした。
「花菜子ちゃん、最後まで、俺のばあちゃんの面倒を見てくれてありがとう。俺がその…孫の多朗です。」
「うそ…信じられない。多恵さんのお孫さんがヨルアカの叶羽だったなんて…。叶羽さんって多朗という本名だったんですね…。」
彼女はまたリードを離してしまいそうなほど、驚いている様子だった。
「これは内緒にしてね。ばあちゃんを支えてくれたキミにだけ話したいと思ったんだ。」
「もちろん秘密にします。多恵さん…テレビでヨルアカを見た時、叶羽さんを見て、タロウだって言ったんですよ。認知症がだいぶ進んでいたので、叶羽さんとお孫さんを勘違いしているのかなって思ってました。お孫さんが叶羽さんに似てるのかなと思ってました…。」
「ばあちゃん、俺のこと、テレビで見てくれてたんだ。」
ヨルアカのテレビ出演はそれほど多い方ではなかったから、ばあちゃんは俺がテレビに出ていることは気付いていないだろうと思っていた。
「えぇ、多恵さん、テレビに興味示すタイプじゃなかったんですが、ヨルアカが出てる音楽番組だけは真剣に画面を見ていたんですよ。うれしそうに。」
「そうなんだ、知らなかったから、そういう話、聞けてうれしいよ。教えてくれてありがとう。」
「とんでもないです。私は、本当に多恵さんに励まされて、新人ヘルパーとして働くことができたので…。多恵さんから教えられたことは多いんです。初めて担当させてもらったのが多恵さんで良かったって思ってて…。叶羽さんが素敵なように、多恵さんも素敵な方でした。周りを幸せにしてくれるというか…。名前の通り、多くの恵みを与えてくれる方でした。」
「俺はともかく、ばあちゃんは良い人だったよ。孫なのに、あまりやさしくできなかったことが今となっては後悔してて…。」
「叶羽さんも本当に素敵です。多恵さん…私の名前のことを褒めてくれたんですよ。ハナコって素敵な名前だって…。覚えやすくて、ボケてる私でもすぐに覚えられるし、忘れないからって。忘れないって言ってもらえてうれしかったです。初めて、ハナコって名前で良かったなって思えて…。ほんとに最後までタロウという名前と私の名前だけは言い続けてくれました。」
「そうなんだーハナコちゃんにばあちゃんが恵みを与えられたのなら、俺もうれしいよ。」
「私…多恵さんからも、それから多朗さん…からも幸せをもらって生きてます。本当にいつもありがとうございます。ヨルアカ、ずっと応援してます。もし良かったら、サインいただけませんか?」
お互い色紙なんて持ち歩いていなかった。かろうじてペンは持っていたので、彼女はここにサインしてほしいとスマホカバーを差し出した。
俺は少し迷って、こう書いた。
「ヨルノアカリ 多朗」と…。
「本名でサインするのはきっとこれが最初で最後。世界に一つだけのサインだよ。」
「うぁーありがとうございます!叶羽さんの貴重なサイン、大切にします。」
はしゃぐ彼女の横で、タロウもわんわんとうれしそうに吠えていた。
ばあちゃんが、花菜子ちゃんと会わせてくれたのかな…。多恵ばあちゃん、やさしい人に面倒見てもらっていたんだね。俺の知らないばあちゃんを、たくさん知ってる彼女からもっとばあちゃんの話を聞きたいって思ったよ。またお墓参りに来るから、その時はまた彼女とそれからタロウに会わせてね。
今さら…多朗って名前が誇らしく思えてきたよ。気付くまで時間かかってごめんね。これからは本名も大切にして生きていくよ。
これは俺が29歳の頃、花菜子との馴れ初めの物語…。
★『ヨルノアカリ物語』主な登場人物 (※名前が決定している人物のみ)
★「春夏秋冬」、「雪月花」、「花鳥風月」、「雪星香」4部作・全20話、「ヨルノアカリ物語」です。すべて1話ごとに完結している連作群像劇です。読み切り連作です。
若者なら誰でも密かに隠し持っている自分の弱点、欠点、短所など負の部分を、日常的に誰かと関わることによって克服できるかもしれない淡い希望の物語です。
派手ではない単調で退屈な日常、うまくいかず、やるせない日常を過ごしていても、ちょっとしたことがきっかけで、人生にほんのり明かりが灯るかもしれない瞬間があることを伝えたくて描きました。
ひとつのバンドを巡って、悩み、コンプレックス等を抱えた人物同士が出会い、結び付き、それぞれの人生が少しだけ良い方向に変わるかもしれない物語です。
★「ハナコが教えてくれた生き様~ある獣医師との出会い~」〈19〉
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