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アイネクライネナハトムジーク~小さな夜の音楽~ 斉藤和義と伊坂幸太郎による劇的じゃない「小さな夜」の強い絆の物語

※2019年10月3日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。

映画『アイネクライネナハトムジーク』のエンドロールで斉藤和義が歌う「小さな夜」を初めて聞いた。本編では冒頭からこだまたいちが演じる斉藤さんというストリートミュージシャンがややスローテンポなギター弾き語りで「小さな夜」を披露しているのだが、私は斉藤和義バージョンが特に気に入った。
元々、彼が歌う「歩いて帰ろう」や「歌うたいのバラッド」が大好きだから、それで「小さな夜」も好きになったのだろうと勝手に自己分析していたけれど、それは少し違った。

後日『アイネクライネナハトムジーク』のサントラCDを購入し、聞いてみた。「小さな夜」のインストゥルメンタルも収録されていた。それを聞いてこの曲が気になった理由がはっきり分かった。特にAメロのコード進行が大好きなL’Arc~en~Cielの「Pieces」のコード進行に似ているからだと気付いた。アコースティックインストバージョンだからこそ気付けた。映画のエンドロールで「小さな夜」に妙に心惹かれた理由がはっきり分かってすっきりした瞬間だった。

映画の内容ももちろん良かった。良いのだろうと思う。ネタバレにならない程度に内容を話すと、なかなか出会いがない複数の男女が小さな巡り合わせで出会い、いつの間にか付き合っていて、結婚するという数組のカップルの話が群像劇で繰り広げられている。その内容を主観的に見てしまうと、独り身の私はそんな展開あるわけないよな、特に女たちはあざといななんて毒舌を吐きたくなるから、少しは主観を控えるけれど、独り身としてはやや共感し難い内容だった。
例えば、主人公の職場の先輩とその奥さんの出会いは財布を拾ってあげたことがきっかけだけれど、実はその財布はわざと落としたとか、ヒロインが主人公のプロポーズに即答しないシーンも、待たせても嫌われない、つまり愛されていて待ってもらえる自信があるからこそ、じらすことができるわけで、そういう女のあざとさが私には到底真似できないから共感はできなかった。そう言えば、以前婚活のセミナーで出会うために物を落とした方がいいと教えられたことがあったけれど、こういうことかと納得はした。

この映画は原作者である伊坂幸太郎の短編小説を元に斉藤和義が音楽を書き下ろしているため、「小さな夜」の歌詞もまるで映画の台詞のようだ。

<どこにでもあるような ちっぽけなこの夜 見慣れたソファに猫は丸まって 
エアコンの風 うなる冷蔵庫 ドラマを見てる彼女>

という最初の部分からして、私にとってはどこにでもあるとは思えない、奇跡としか思えない同棲生活が垣間見られて、歌詞だけを読んでしまうと、虚しさを覚えるのだけれど、メロディが心地良くて、何度も聞いてしまっている。情景を思い浮かべると羨ましくてつらいだけなのに、何度でも聞きたくなる。斉藤和義のキャッチ―で美しいメロディは罪だと思った。

<先週彼女に言われた不意の一言 「ねぇ、なんで私たち一緒にいるんだっけ?」>

お互いに好きだからに決まってるだろと思わず突っ込みたくなるような女の言葉。長年付き合って幸せボケしているか、わざと男を試すような言葉にイライラしつつも、聞くことをやめられない。

<小さな夜 数えきれないほど 思い出せないほど 重ねてきた 小さな夜 
劇的じゃないけれど 最高じゃないけれど それが“悪くない”のに>

という繰り返されるサビ部分を聞いても、どうやら描かれている情景は一般人からすると「劇的ではない」らしい。平均以下の底辺あたりで暮らしている私からすれば、十分、劇的な展開なのだけれど。

<繋がってる誰かを 見つけたハズなのに そしてそれは今夜も疑いのないことなのに>

繋がっている誰かがいるだけで、奇跡的と思ってしまう私からすれば、これは劇的な出会いの物語としか言いようがないのに、どうやら一般的な人たちからすれば、ごく当たり前のことで劇的じゃないらしい。

そもそも主演の三浦春馬が彼女のいない冴えない男という設定の佐藤を演じている時点でそれはありえないだろと突っ込みたくなったけれど、それは置いておくにしても、多部未華子演じるヒロインの紗季と出会って、出会い直して、付き合って、10年付き合ったからプロポーズして、彼女に答えを保留されて落ち込むという設定もやや無理があるように見えたが、そういう映画の内容すべてを肯定して包み込んでくれる力が斉藤和義の音楽にはある。

『アイネクライネナハトムジーク』の原作の始まりは、実は斉藤和義のファンである伊坂幸太郎に斉藤が歌詞を依頼したのがきっかけだったという。歌詞は書けないが、小説ならと斉藤に送った伊坂の小説を元に生まれた歌が「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」というもうひとつの楽曲である。小説から作った歌というだけあって、歌詞は映画そのものだった。映画を見た後に聞いたせいか、聞き覚えのある台詞がふんだんに散りばめられていて、映画の情景が自然と思い出された。

<ベリー ベリー ストロング それが 劇的じゃなくても
ベリー ベリー ストロング 知りたい 絆っていうやつ
ベリー ベリー ストロング ああ つながってる誰かは
ベリー ベリー ストロング いま どこに いる?>

こちらの楽曲でも「劇的」がキーワードになっていて、どうやら強い絆で結ばれている誰かとは自然に出会えるようになっているらしい。というかすでに出会っているらしい。

<ベリー ベリー ストロング 会いたい あなたを見つけたい
ベリー ベリー ストロング まだ 気付いてないだけかな…
ベリー ベリー ストロング ああ つながってるあなたは
ベリー ベリー ストロング もう そばに いる?>

こう締めくくられているから。この繰り返される<ベリー ベリー ストロング>というワードも伊坂が小説の中でギャグっぽく一行書いた台詞らしい。それを斉藤が曲のタイトルにしたのだ。それこそまさに<ベリー ベリー ストロング>「強い絆」の物語だ。

私がこの映画で気になっていたことのひとつに斉藤和義と伊坂幸太郎のコラボレーション作品であるということが挙げられる。
作家に憧れる自分としては伊坂幸太郎も尊敬しているひとりの作家であり、私もいつか物書きになれたと仮定して、好きなアーティストとコラボできるなんて、まさに夢の夢のような話だと思った。それが実際に伊坂と斉藤は実現していて、これこそ、もうひとつの映画になるような話だと思った。双方ともファンであり、お互いの作品を知っていたからこそ、実現したコラボらしいが、これこそ私の最終目標だと気付いた。私もいつか物書きになって、本を作って、それを大好きなHYDEさんやバンプの藤くんに読んでもらいたい。ありえない夢だけれど、いつかコラボさせてもらえたらなんて夢見てしまった。今回、斉藤と伊坂の強い絆の話を知って、そんな夢を思い描いてしまった。
映画の本編で出会いがないとかぼやきつつ、結局はそれぞれパートナーをみつけてさくっと結婚してしまうという、がんばれば実現可能?な現実的な夢よりも、私は非現実的としか言えない好きなアーティストとコラボの方を考えてしまった。
結局は独り身とかってやさぐれている自分は恋愛とか結婚に興味がないのかもしれないと気付いた。それらに向いていないというのも理由のひとつだけれど、それよりも、物書きの方に興味があるんだとはっきり気付いた。

今さら説明すると、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とはモーツァルトの有名なクラシック曲で、ドイツ語で「小さな夜の音楽」という意味。小さな夜に映画の登場人物たちはそれぞれ大切な人たちと出会った。私はその映画を観て、自分の新たな夢と出会った。
「劇的じゃない」と斉藤和義の2つの楽曲で繰り返されたけれど、でも今ふと思った。本当は「劇的じゃない」わけではないことを言いたいのだろうと。わざと「劇的じゃない」と表現しているに過ぎなくて、映画の中で劇的じゃないシーンも十分、奇跡的だったから。底辺で生きている私の主観ではなく、客観的に見ても、劇的ではない小さな夜の積み重ねが劇的にハッピーな人生として描かれていたから。
高級レストランでプロポーズし損ねて、帰り道にプロポーズしてしまって、それに彼女は納得できず、答えを出せずにいたけれど、要領の悪い彼のやさしさに気付いて、「いいですよ」とプロポーズを受け入れる。
それは「劇的じゃない」シチュエーションのようだけれど、やっぱり「劇的」なことだと思う。誰かを受け入れたり、誰かに受け入れられるだけで、それは「劇的な」物語の始まりだと思うから。

オール仙台ロケということもあり、9月14日、全国公開よりも一足先に舞台挨拶付きの宮城公演を見た。最後に三浦春馬や多部未華子らの挨拶を聞いた。
三浦は「珍しく普通の役を演じさせてもらった。」と言っていた。たしかに彼は今まで波乱万丈な人生を送る役が多かったかもしれない。
多部は「プロポーズの答えを保留する紗季には共感できなかった。」と語っていた。自分なら10年付き合ってプロポーズされたらすぐOKしたくなると、10年も付き合ったらどちらかというと女性の方が結婚願望強くなりやすいというようなトークを繰り広げてくれた。
二人とも演じるのには苦労した部分もあるかもしれないが、無理な設定は考えないとして、演技自体はさすが実力がある二人というだけあって本当に素晴らしかった。
今泉力哉監督が伊坂幸太郎の短編集と斉藤和義の音楽という強い絆を見事に上手くまとめてくれた良質な映画だと思った。

「小さな夜」は「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」の10年後を描いた楽曲らしい。10年後、私も

<あの頃描いた未来が今なら あの日のボクは今なんて言うのだろう
「うまくやったな」かな「それでいいの?」かな どう答えるべきか>

なんて自分に問えるようにこつこつ地道に努力を重ねて、夢を実現させたい。

<小さな夜 数え切れないほど 抱えきれないほど 積み重ねた
小さな夜 劇的じゃないけれど キミのとなりなら それも“悪くない”よ 
それが“悪くない”んだよ>

秋の小さな夜、こうして自分の思いを書き綴っている。そういう夜をここ1年間積み重ねてきた。孤独な作業だけれど、自分の気持ちと向き合って、自分の言葉を手繰り寄せて、言葉がとなりにいてくれたら寂しくないし、こんな人生でも悪くないって思える。願わくは、10年後もこうして好きな音楽を聞きながら、言葉を紡ぐ人生が悪くないと思えますように。

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