【27歳独身サラリーマン男が上司との不和、大恋愛の失恋を経て多幸感に満ち溢れた人生を手にいれるまでの全てを公開します】
誰に向けたnoteか?
20代独身男、幸せではない。仕事つまらない。土日もただ寝たり動画鑑賞をしたり、昼寝するだけ。仕事は好きではないけれど、やりたいことも特にない。時間潰しに勤しんでしまう方々(一様に否定はしませんこう言った生活!)
どんなことを提供できるnoteか?
自分もつい1年前までは辛い状況であったが、生活や考え方、お金への向き合い方を変えただけで多幸感(幸せな毎日)に溢れている人生を手に入れることができた。
その経験と得たことを知れます。
概要
このnoteは27歳サラリーマン独身男が25歳の時に味わった上司との不和、失恋を乗り越えて、多幸感を手に入れるまでの全記録を公開していきます。
辛い経験、楽しい経験、人間関係、お金のことなどを書いています。
どのような人生を歩んできたか理解いただくために生い立ちから記載しています。
ここにはあなたの今後の人生に役立つヒントがあるかな、と思います。
ポイント
―自分が何に幸せを感じるのか考える
―今つらい人はその後普通の状態に戻った時に幸せを感じやすくなっている
―やはりお金は幸せにとって重要(絶対必要ではないけど)
―自分一人の時間を確保し、大切にする
―何事も一つに依存しない(収入、友人など)
―自分には仕事に向いている面と向いていない面がある。
まずは前段の部分、自分がどんな学生生活を過ごしてきたのか生い立ちから記していきます。
生い立ち
育ったのは東京の外れの町。中流サラリーマンの家庭でした。
父は金融業界サラリーマン。収入はとてつもなく多くはないが生活するには困らない、考え方によっては裕福な?家庭に生まれました。
母親は専業主婦。趣味のコーラスや、僕の祖母にあたる母親や友人と遊ぶのが楽しみのようです。今はパートタイムで仕事をしているそうです。
父と母は仲が良く、べったりという感じではないですが、口論も本当にたまにある程度でしたし、振り返ると幸せな家庭と言って良いと思います。
自分用の部屋はありましたが、リビングや寝室でテレビを見たり、ゲームをしたりしていました。
幼稚園時代の記憶は多くはないのですが、友達と遊んだり、母親と毎週のようにモスバーガーに行ったり幸せだったと思います。また祖父母とよく遊んでいました。
友達もまぁまぁいて、人見知りすることもありませんでした。
あの時のコミュニケーション能力があれば苦労しないんだろうなーと思います。笑
小学生時代(楽しかった小学生時代)
具体的に私の人生を小学校時代から記載していきましょう。
結論から言うと、小学生の時は総じて楽しくて、とても幸せでした。
クラスでも目立つ存在で、周りのみんなを笑わせることを喜びとしていました。
友人も多く、ほぼ毎日友達の家や自宅に招いてゲームなどで遊んでいました。
学校の中休みや昼休みは外に出てカラーボール野球をしていました。
結構上手い方だったので、地元の野球チームに友達から誘われていましたね。笑
修学旅行や林間学校ではクラスで一番元気な人がいるグループに属していました。
小学校3年生の時には人生最初のモテ期が来ました。
クラスで一番可愛いとされていた女の子が僕のことを好きだと言うのです。
またハーフで可愛かった女の子も僕が好きとのことでした。笑
小学生の時の恋愛はカウントしない人がほとんどだと思いますが、僕はカウントしたい派です。笑
クラスのマドンナはハーフと付き合っていたり、ハーフの子は早々に子供を作っていたりあまり知りたくない情報もあとから得てしましましたが。笑
モテ期が来た理由を考えていたのですが、それはおそらくクラスでみんなを笑わせていたからですね。笑
小学生時代のお金については他の家庭と比べて珍しく?お小遣いは年俸制でした。
お年玉を全て自分が受け取り、そこから少しずつ欲しいものを買って0円にならないようにするのでした。
お金の勘定が大好きで、月に一回は勘定していたと思います。低学年の時は5000円くらいの手持ちでしたが、とても幸せだったと記憶しています。今では一回の飲み会で飛ぶお金。当時は1年暮らせる額。すごい価値観の変化ですね。笑
この頃の、小さいお金で満足できる価値観で今生きていたらどうなるんだろうと思いますね。笑
小学生の時は周囲と比較して頭が良かったのと、親が教育にお金をかけてくれる家庭だったので受験を決意。電車に乗って週3日から4日学習指導塾に通っていました。
塾は楽しかったですが、中には厳しい先生もいました。
プレッシャーをかけられるのですが、その先生の授業がある日はとても緊張していたのを覚えています。
一緒に学習塾に通っていた友達は緊張しないと言っていたので、今考えると人によって緊張の度合いが違うことに気がつけるのですが、その当時はなぜかよくわかりませんでした。
自分が心配性であることにはまだ気が付けず、、、ということです。
ひたすら目の前の宿題や勉強に必死になっていました。怒られないために。
しかしながら基本的に塾に行くことは好きでしたし、そもそもやらされていることに対して抵抗がなかったので、素直に勉強に取り組んでしました。
また勉強しなさいと親から言われることはありませんでした。幸せでしたね。
今ではやらされることに対しても意味を考えたり、抵抗したりすると思いますが、小学生の方が優れている能力もあるんですね。
そして中学校受験に合格することができ、そのまま私立の中高一貫校に進学。受かった時は幸せというよりは安心感で満ち溢れていました。やっと勉強づけの毎日が終わる、、6年間の学生生活を楽しもうとしていました。
小学生時代から現在まで本を読むことはずっと好きです。この頃は重松清さん、椎名誠さんなどの小説をよく読んでいましたね。親が本を買ってくれた環境は今思えばありがたかったです。
友達を遊ぶことも多く休み時間は外で鬼ごっことかカラーボール野球とか、雨の日も体を動かして遊んでいましたね。笑
少し辛かった経験もあります。小学6年生の時に、仲の良いと思っていた友達から陰口を言われている姿を目撃したのです。
臆病でチキンな僕は自分から人に強く当たることができず、そのままにしていましたが、その友達とは距離を置くようにしました。
その時の失敗?から友人との距離の取り方を学べばよかったのですが、その時は問題に対して深く考えることができていませんでした。
中高生時代(辛さを乗り越えて、楽しむことを覚えた時代)
そして中高生時代を迎えました。
中一の時にこれまで経験をあまりしていなかったスポーツをしようと新しいスポーツを部活動として選び、週に4日−5日汗を流しながら、その合間や休日勉強やゲームをする普通の学生でした。
クラスの友人にも恵まれ、基本的に楽しい毎日を過ごしていたと思います。
人見知りせず友達はとても多かったです。
クラスでも目立つ存在でありました。
ただ一つ違ったのは自分の相対的な位置です。
自分よりも頭の良い人や、スポーツのできる人が周りにたくさんいました。
それ自体に劣等感を感じることはありませんでした。
そして中学校2年生の時に壁にぶち当たります。
人間関係の悩みがクラス、部活どちらでも起きてしまったのです。
いや、、起こしてしまったのは自分です。
自分の根幹だと思うのですが、プライドが高く、べき論で動くところがあります。
それは他の人にとっては時に邪魔になる。。。
尖っていた私は周りから避けられます。
だけどその時の私はなぜ友人から避けられたのかわからない。
修学旅行の班決めでは周囲が着々とグループを作る中、余りました。
部活動では好きな人とペアを組んで練習するのですが、余りました。
これまで楽しかった学生生活が少しも楽しくなくなりました。
いじめられこそしなかったものの話をさせてもらえなかったり、なんとなくハブかれたりしていました。
メンタルが強い人だったら大丈夫なようないじり?もメンタルの弱い僕には耐えられません。学生手帳の通学日を3学期の終業日から数えていき毎日通学するごとにカウントダウンしていました。
友達がいない状況から少しでも早く中学2年生が終われば良いと思っていたのです。
この経験を通して友人と接する時の適度な距離感の保ち方、友人がいる状態のありがたさを噛み締めることができるようになりました。
ここで皮肉な学びを得ます。それはつらい状況にいた後に、その状況を克服すると以前と状況は変わっていないのに幸せを感じるようになるということです。
これは社会人4年目に経験した上司との不和、仕事の辛さでも同様の状況が起こります。(後述します)
またこの経験を通した負の部分としては友達と呼べる人以外の知り合い?には深く立ち入らないようにする性格になったこと。
考え方によってはポジティブなことかもしれませんね。笑
人生で深く関われる人なんて数が限られています。今後関わり続けない人に無駄に時間を使わないのですから。
あとこれは中高生時代限定のトラウマ?でしたが、ひとりでいることに対して極端に恐怖を感じるようになりました。誰かと一緒に学校から帰れない日はとても不安でした。
その時のトラウマは最近になってようやくなくなった気がします。自分には大切な友達がいる。幸せであると思えるようになっています。
話を進めましょう。
ではどのようにその中学二年生の状況を乗り越えたか?
クラスではひたすら目立たないようにしていました。
それまでは発言したり、友達の和に加わって積極的に話しに行くタイプでした。
しかし、省かれないように、何も言われないように友人との関わりを遮断したのです。
部活動では優しく接してくれる数少ない人と仲良くし、省かれている気持ちをそらしていました。ちなみにその友人は今でも私の親友となっています。得たものを考えるとこの時の経験はして良かったのかもしれませんね。決して2度と同じ経験をしたくはありませんが。
そんな中学2年生頃でしょうか。漫画を読むことにハマりました。
BOOKOFFに通って、100円で売られている漫画を購入しては読んでいました。累計500冊以上購入したと思います。
また小学生時代から好きだった読書の習慣も続いていました。行き帰りの電車ではいつも本か漫画を読んでいたと思います。
そう言えば中学2年生が家族でディズニーに行った最後の年でした。
しかもディズニーでノロウイルスをもらい、現在のところ人生で一番辛い闘病生活?を経験しました。闘病生活といっても下痢(しかも普通の下痢の25倍は痛いw)と嘔吐(床に3連発)との戦いでしたが。笑
人間関係もボロボロだし、病気はするしで厄年でしたね。
人生って必ずこういう何をやってもうまくいかない、悪いことしか起こらない時期ってありますよね。
負の連鎖、、、
少し話がそれましたが、そのようにしてつらい経験をして、中学3年生以降高校生を終えるまではあまり目立たず、近くの友人を大切にしながら部活動、勉強、ウイイレやパワプロのゲームに励む毎日でした。
このような日々は幸せだったかと言われると“普通”でした。幸せな時もありましたし、つらい時もありました。トータルすると普通でした。
一方で養われる立場ではあったので、金銭的な自由はなく、その点では幸せではなかったですね。
高校2年生と高校3年生ではクラス替えは行われず、同じメンバーとクラスメイトでしたが、基本的にみんなと仲良く過ごせています。中学校2年生時代の失敗不破を乗り越えて、人との距離感を学べたことや、周りの人も精神的に中学生より大人になったからかと考えています。
社会人5年目現在でも付き合いのある高校時代の友人は5名。(年1だけ会う人は除く)
1人目、中学1年生の時のクラスメイトAくんです。
Aくんはとても優しくて、怒っているところ見たことがありません。勉強熱心で大学時代、社会人になっても塾に行ったり、本をよく読んでいます。僕の話を興味深く聞いてくれます。
もう一人は高校1年生の時のクラスメイトBくん。Bくんは他の部活動でしたが、キャプテンです。温厚な人柄で、世の中の温厚さを固めて人の形にしたような良い人です。高校時代は先生にも気に入られていました。笑
CくんDくん3人で季節に1回くらいご飯に行きます。
あと二人は部活動の友人、EくんとFくん。家に行ったり飲んだりしています。
中学2年生の夏の人間関係の軽い不和を乗り越えて、他の人との距離の取り方を学んだ私は部活動に熱心に取り組んで行きます。
週4日―5日で3時過ぎから6時まで。土日は半日練習をしていました。日によっては朝練や昼練も。また長期休暇中も基本的にほぼ毎日練習。とても楽しかったです。
高校3年生の引退の大会では相手チームのエースを倒して終えることができました。
その時の自分は神がかったパフォーマンスができました。自分で言うのも変ですが。笑
近年の中では最も高い成績を残して引退することができました。
これは中高時代の最高の思い出です。
晴れやかに部活動を引退した私は次のイベント大学受験を迎えます。
結果として第一志望だった大学に落ちてしまい、すべり止めで受けた大学に進学しました。
正直後悔できるほど勉強をしていたわけではないし、自分の実力通りと言えばそうなのでそこまでの辛さはなかったですが、いきたかった学校ではなかったので、大学生活を楽しむマインドも弱かったような気がします
大学生時代
大学生を迎えます。
入ろうと思っていたサークルは活動のレベルが高くなく、自分に合っていないと感じたので、早々にサークルには入らないことを決めました。
アルバイト、友人と遊ぶことで大学生活を満喫することにしました。
大学入学早々に、プチ挫折経験をしました。
それは失恋です。笑
大学のお泊まりみたいな委員会の委員になった私は(その時は大学生デビューを目指していたのです)、委員会で知り合った女の子と仲良くなります。
よく電話をしたり遊んだりしていました。
相手が一人暮らしをしていたのですが、(僕一人)家に呼ばれたこともあります。
完全に好きなっていて、いつもその人のことを考えていました。
恋に恋している状態でした。
2度目くらいに家に行った帰りに行けると思って告白しましたが振られてしまいました。
あとから知ったのですが、クラスメイトの一人がその時に僕のことを好きだったらしいです。それにも関わらず好きな子ができた話やデートする話をその人にしていて。笑
ひどい人ですね。
一応学業についても書いておきます。笑
自分はそれまでの人生で勉強に対して何か特別に興味を持つことがなかったので、
大学でも同じ状況と思っていました。
そしてその通りのことが起きるのです。何にも興味がわかない。
講義を受けて少し面白い、楽しいと思ってもその場限り。
課題が与えられるからこなし、テストがあるから勉強していました。
まさに単位のために勉強をしていました。
結局その状況は大学4年間を通して変わりませんでした。
幅広く興味はあるが、深くいくことはないという価値観?性格?はもう変わりませんね。
また、大学一年生の時に個別指導型の塾講師アルバイトを始めました。
しゃべることが好きな僕は生徒と話しをしているうちにお金がもらえる
素敵なことだと思いました。
お金の面で言うとまとまった時間入れるわけではない(夏期講習などの特別な期間を除いて、2コマ=3000円ちょい)ので、給料も普通の月だと3万円ちょい、頑張った月でも8万円くらいだったと記憶しています。
自分でお金を稼ぐと言う経験が初めてだったので嬉しかったですね。塾講師自体もむいていたと思いましたし、6時9時の3時間話すだけで3000円もらえるなんてラッキー!と思っていました。笑
もともと飲み会がすごく好きと言うわけでもなく、インドアでも楽しく過ごせる性格だったため大学時代の他の人と比べても稼いでいなかったですね。ただ元来のケチがあったので貯金はできていました。それでも10万円くらいでしたけど。笑
塾講師でお金を得るだけでなく、雑談の能力をスーパー磨くことができたと思います。笑
個別指導型の塾と言っても、進学塾ではなく、学校の勉強についていくことができない学生向けの補習塾でした。ですので、基本的に生徒は勉強のやる気がありませんでした。中にはできる子や勉強に対して前向きな生徒もいましたが8、9割はやる気がない生徒でしたね。
なので、生徒に楽しく塾に来てもらうために雑談やフレンドリーさを意識しました。
男の子には部活動の話や暇な時に何をしているのか、女の子には部活動の話や仲の良い友達の話、ジャニーズアイドルの話をすることで距離を詰めていました。
生徒にとっても大学生と話す機会は貴重なのでお酒を飲んだ話とか、友達と遊んだ話をしていました。
自分で言うのもあれですがそこそこに人気講師だったと思います。笑
また、塾のアルバイト仲間には刺激的な大学生の先輩が3名いました。もともと仲の良い3人のグループに私も入れてもらうことができて、よく遊ばせてもらっていました。
3人の先輩は現在L I N EやFacebookで連絡が取れず何かあったのではないかととても心配していますが。。。それぞれ連絡が取れなくなり始めた時期は異なるので省かれているわけではないと思うのですが。。。笑
大学1年生から始めたバイトですが結果的に4年生の冬まで続けました。
仲の良い後輩も3人ほどできました。
また約3ヶ月間(大学2年生の夏)の期間だけ、自宅近くのチェーンレストランでアルバイトをしました。僕の人生においてはとても順位は低いですが、小さい挫折経験ではあります。笑
まずホールスタッフとして採用されたのですが、うまく接客ができませんでした。
緊張して自然な振る舞いができず、、向いていないということで、キッチンに入りましたが、ここでも仕事の覚えが悪かったです。また、社員の人から目を付けられ、その人に仕事内容を聞いてもまともに答えてもらえなかったです。
今も書きながら腹が立ってきました。笑
社員にとっておそらく大学生の私は眩しく、疎ましい存在だったのでしょう。
そして少なからず私の態度にも原因はあったと思います。
深夜も働けたため収入という点では良かったのですが、環境も悪いし、疲れもたまるし、人間関係はうまくいかなかったのでやめることにしました。
バイトを辞めることを伝える時に、怒られるかと思って電話しましたが、
「わかりました」の一言。私は戦力になっていなかったし、その点で疎ましく思われていたのでしょう。
相変わらず塾講師としては楽しく先生をしていましたし、ここで以下のことを学びました。
自分(人)には仕事に向いている面と向いていない面がある。
職場の環境、特に人間関係が充実した仕事のためにも大切である。
友人についても記載しなくてはいけませんね。
語学のクラスメイトととても仲良くなり、飲み会、お出かけ、旅行、学祭などイベントを一通りみんなでやりました。
中高生時代の人間関係の悩みの反動で、クラスメイトに友人がいる状態がありがたく、とても幸せに満ち溢れていたと思います。
一人暮らししている友人の家に泊まりに行ってお酒を飲むのがとても楽しかったです。
今思うと学生時代は体力がありました。。酒に酔っても翌日体も動いていたし頭が回転していた気がします。
社会人5年目の今はもうだめですね、、笑
そのクラスの友人の中から大切な彼女ができました。
大学2年生春以降の当時の彼女は失恋していて辛そうにしていました。
2人で話したり買い物に出かけるようになって、次第に距離が縮まっていきました。
9月初旬にディズニーデートをしました。
楽しくて仕方がなかった記憶があります。
今はもうなくなってしまいましたが、スタージェットと言うアトラクションがありました。
二人乗りで前と後ろになり、空中を一周ぐるぐる回るのですがその時に前と後ろになったさいに、もう好きが止まりませんでした。
約1週間後、一緒に行った漫画喫茶でキスをしました。
若気の至りですね。
キスしたのに何も言わないなんて嫌だったので、2日後に公園で告白。人生初の彼女となるのです。今となっては恥ずかしいですが、川辺でキスをして、「すごく好き」とか言っていました。
可愛いし、性格も良い彼女だったので本当に好きでしたし、浮気も一度もしたことがありません。バイトとバイト先の友人と遊ぶ時以外はとにかくずっと一緒にいました。平均すると週4日―5日くらいいたと思います。というのも彼女が一人暮らしをしていて半同棲をしていたからです。
親には内緒にしていましたが、週4日、5日友達の家に泊まるのはすごいですよね。笑
恋愛の話は社会人編でも続くので後述していきます。
あとは旅行に高校時代の友人(Kくん、Wくん)とよく行きました。
国内への貧乏旅行です。
青春18切符というJ Rであれば1日約2000円で乗り放題という夢のようなチケットです。あとは泊まる宿は漫画喫茶だったり、マックで100円分購入してそこに泊まったりカラオケに泊まったり。。今は体力的に難しいですが、それらを駆使しして以下の旅行に行きました。
九州周遊ツアー
関西の世界遺産をめぐるツアー
しまなみ街道サイクリングツアー
秋田旅行(アルバイト先の先輩が就職)×2
東北三大祭りツアー
大阪神戸ツアー
趣味は散歩、ゲオでD V Dを借りてみること、サイクリング、読書でした。
ゲオDVDは旧作であれば100円で借りることができたため、
友人と適度に遊びつつ、バイトを楽しみつつ、時々旅行に行きつつ、学業は適度にこなしつつ過ぎていった3年間。
そして大学生生活の一大イベントである就職活動を迎えます。
もともと心配性で安定志向なひろノートは公務員=安定という価値観があり、
公務員試験の勉強をしていました。
ただ東京都庁の説明会に行った時に、いる人の雰囲気ややっていることに魅力を感じず、勉強をやめました。
そして民間企業に勤めることを決意。
就職活動を始めるのです。
軸としては安定している企業。
そして人が良いこと。これはレストランのアルバイトのプチ挫折経験が活きていますね。笑
自分のやりたいことや得意なことなどは考えず、また、大企業=安定という価値観で企業を選び受けていました。
父親の影響もあって金融業界と他に目に止まった面白そうな企業の説明会に行っていました。
そして目に止まった企業があり、その会社に勤めているO B O Gの話を聞くと人がとても良いと感じたのでそこを第一志望として就職活動を進めていました。
今思うと全く就活に力を入れていなかった、具体的には面接対策をがんばったりしなかったり、自己分析を深く行わなかったり、会社にあまり足を運ばなかったり。。。
大学自体が就職活動に熱心ではなかったし、大学の友人も海外留学に行ったりフリーでいくと決めた人もいたので自分もそこまで熱を入れられなかったのかな。。。
環境のせいにしてはいけないですね。
しかしながら私は幸運だったのです。
第一希望の会社に受かったのです。
4月10日ごろ内定の電話をいただきました。
その時はすごく喜びました。これで一生安定に生きていける。一生懸命仕事を頑張ろう。と思っていました。彼女も就職活動に成功し、二人で一生いれそうと確信したのを覚えています。
就職活動を終えることができたので大学生活の最後の1年間は遊んで過ごすことにしました。
国内旅行、バイト、友人と飲み会、彼女との半同棲生活、卒業論文。。
これらをバランスよく行っていて、特別に充実!というわけではなかったかと思いますが、
自由な身分として人生を楽しく過ごしていました。
大学1年生の夏休みのある1日。特別なことはしていないのに記憶に残っている1日があります。
朝10時ごろ家を出て、近所の川沿いをずっと歩いて行ったのです。
そして疲れても歩いていき、12kmぐらい散歩したところで電車の駅に着いたので自宅まで帰ることにしました。
その時の散歩はなぜか今でもよく覚えています。
私は散歩が大好きなんだと思います。
日常生活の喧騒から離れて、自然や住宅、今後人生で絡まないような人たちとすれ違う、、
好きな音楽を聞いたり周りの音を聞きながら歩いているとあっという間に時間が経ちます。
大学4年生の夏休みの最後の日は塾講師のアルバイト先の後輩と地元から都心まで夜通し歩くと言う謎の企画を行いました。その時もめちゃくちゃ疲れたけどいい記憶に残っています。深夜のガスト、なぜか缶チューハイを飲みながら歩いた、その時後輩と話したこと、色々詳細に覚えています。
色々なこと?を経験した大学生時代ですが、時は川の流れのように一つの
方向に流れて、戻ることはありません。
そして惜しまれつつ大学を卒業。就職をしました。
社会人時代
社会人一年目ドキドキでスタートしました。
これまたプチ挫折経験なのですが、研修中は辛かったです。
何が辛いかと言うと会社の同期と過ごさなくてはいけず、全員とは仲良く?できなかったためです。
高校生ぶりの苦手な人と一緒にいなくてはいけない空間。
しかも高校時代よりも深く関わらなくてはいけない。。。
やはり私は他のうまくやっている人たちと違って、少しでも苦手そうな人は徹底的に避けてしまうのです。よく言うと素直なのですが悪く言うと下手くそ。この性質はもう変えられないのでこの性格と付き合ってやっていくしかないですね。
グループワークがとても辛かったです。
意見のぶつかりを気にして、強く意見を言えず。。意見を言わないと、意見を言えと強くいわれ。。。
ここで生きていくしかないと思っていた私は、辛く感じながらあと40年間もここでこんな感じなんだ、と絶望した記憶があります。
苦しかった研修から3ヶ月後、本配属になり課のメンバーと仕事をすることになりました。
課に配属されてからはとても幸せに過ごすことができました。
それは同じ課の人たちにとても恵まれたためです。
特に私の指導をしてくれる先輩(メンター)がとても親身に教えてくれました。
仕事がなんたるやかをわからなかった私に懇切丁寧に教えてくれて、ミスをしてもカバーしてくれるし理想の指導員!という感じでした。
しかし恵まれた環境にいると、そうでなくなった時にとても辛く感じます。
一年目の状況が標準になってしまったため、それ以降の二年目から四年目は基本的につらい状況が多かったように思います。
社会人1年目のお金事情についても書かなくてはいけませんね。
月の手取り収入は約20万円ちょっと。
夏のボーナスは10万円程度、冬のボーナスは50万円ちょっとでした。
基本的に月収は全て使い切り、ボーナスは全額貯金というスタンスでした。
元来のケチは一人暮らしを始めたこと(自分の生活にお金を使うことで、支出への抵抗が減った)やある程度まとまった貯金ができたこともあり、少し直った気がします。
社会人1年目の時は中小企業診断士の勉強を開始しました。
将来に対する漠然とした不安から資格を得ておきたいと言う短絡的な考えでした。
結局途中で挫折していまいましたが。。
また自己啓発書や仕事術に関する本をよく読んでいました。
社会人2年目になり、明確な指導者がいなくなり、独り立ちを求められました。
ウサギさんマインドな僕は不安でしたが、自分の裁量が増えるのは楽しかったです。
しかしながら仕事内容は私にあまりあっていませんでした。
向き不向きがあることに対してわかっておらず、、、
社会人1年目の時は指導員に張り付いてやっていましたが、一人でやるとなると難しくなかなかうまく成果を出せていないことに気づくのです。
変にプライドは高いので、悔しい思いが立ち込めていました。
また私の人生で重要な出来事となる失恋の話をしたいと思います。
大学2年生の時に付き合い始めた彼女と社会人2年目の後半に別れました。
失恋をしたきっかけは、恋人と“友人”になってしまったことだと思っています。
お互いがお互いを思いやっていたのですが、二人とも寂しがりやと言うことや、友人よりも恋人といる時間を優先する性質を持っていたため、二人でずーっと一緒にいました。
恋のドキドキはいつしかなくなっていき、友人になりました。そのこと自体は二人で話し合っていて、結婚するのであれば友人のようになるのが理想ということを共通の認識として持っていました。
しかしながら自分としてはまだまだドキドキしていたいという思いがどこかしらにあったのだと思います。
前述の通り仕事が全く楽しくなく、辞めたいと思っていました。その時はなぜそんなことを考えていたのだろうとも思うのですが、リタイアして株やF Xであてたり、関西に言って塾講師を始めると考えていたりしました。そのことも全て彼女に話していたのですが、
彼女の中でおそらく一生を過ごしてく相手として不適格にうつったのでしょう。もちろん人としては好きでいてもらったと思うのですが、将来性を加味すると×だったのでしょう。
別れは自分から切り出しました。一旦距離を置こうと。明確な別れではないですが、土日にグダグダ集まって何もしないと言うことは時間がもったいないのでやめようと思ったため距離を置こうと伝えました。
彼女自身も色々思っていたのかO Kが出て、連絡を毎日取るのをやめました。
最初はもちろん寂しかったですがスッキリしているところもありました。
物語にあるような想像を絶する辛い失恋だったり、悲恋だったり、浮気されていた、とか浮気していたとか、大喧嘩したとかそう言った大それた物ではなかったのですが、自分の中では初めての彼女でしたし、4年半も付き合っていたので大失恋と言って良いと思います。
今でもたまに思い出しますが戻りたいと言われるかと言うとそう言うことはありません。
失恋したこともあり、生活を充実させようとしていた僕は運転免許証の取得をするために、
ドライブビングスクールに通い始めました。
また、本をそれまで以上によく読むようになりました。
社会人3年目の時は失恋したことも関係して仕事に没頭しようと思い、自分から手をあげてプロジェクトに参加しました。社会人3年目にしては珍しくプロジェクトリーダーを拝命しました。
このプロジェクトリーダーもレストランバイト並みのプチ挫折経験です。
スキル不足や自分より経験が長い先輩のリーダーということもあり色々指摘を頂き、辛かった。笑
課長クラスの人が管轄のプロジェクトだったのですが、その人にも怒られました。社会人になって初めて怒られるという経験をしました。
私がリーダーでしたがプロジェクトを推し進める人はほとんどが先輩(合計10名弱のうち9名)でしたので、お願いをするにも大変でした。
最初は全部自分で背負い込んで頑張っていましたが、そのうちにもっとメンバーに任せた方が良いと言われ、任せました。
リーダーの辛さを経験できたのはとても良かったです。
この時は辛かったと思うのですが、社会人4年目の状況と比べると全然辛くないので、今の記憶上は「よくがんばったな」、「ちょっと大変だったな」くらいです。
ここでのポイントはつらい記憶はよりつらい記憶により更新されるということ。
あってはいけない考え方ですが、今何かつらいことがあれば、より辛いことでかき消すという方法も人によっては有効かもしれませんね。(嘘です)
極端な例で考えていくと例えば仕事の人間関係で悩んでいる人がいるとします。
その人が大病を患って長期間入院しないといけなくなりました。
その時に仕事の人間関係の悩みは無くなりますよね?少なくとも減りますよね。なぜなら一番大きな悩みが命に関わる問題になるからです。
命さえあれば幸せと考えられるようになったのはこのように考えることができたためです。
社会人3年目の途中には一発あててやろうとF Xの勉強も始めました。
口座を開き、10万円を投入しましたが、一晩で2000円強損したのをきっかけにやめてしまいました。笑
あとはオンラインカジノにも手を出しました。結果的に20−30万円くらいがなぜか口座からなくなっていて(本当になぜか分からないのです。笑)
怪しい物には手を出さないようにしようと誓いました。
またここでの学びとしてはとにかく初めて見ることが大切だと思いました、。
F Xは理論や手法を学んでスタートしましたが、いざ実践してみるとそのようなケースに当てはまることが少なく、それよりも前に、自分にあっていなかったです。
もし証券口座を初めから作って1万円くらいで始めていたらすぐに気付いていたでしょう。自分がF Xに向いていないということが。笑
スモールでも良いのでとにかく始めてみる、失敗した時の自分の感情に素直になって続けるかやめるかを決める。
他にもブログを始めることも画策しました。こちらも長い間続かず途中でやめてしまいました。
ここで告白すると、元彼女とは定期的にあっていました。
しかし明確に好きが戻ったと言うわけでもなかったですし、臆病な性質が出てしまいただ会って話すだけの日々が続いていました。こう言う自分の優柔不断な部分はやはりあまり好きではないですね。。
他にも会社の同期や先輩、別のコミュニティーの人と遊んだり、デートしたりしていましたが、元彼女と関係が中途半端な状況だったので好きになりかけても付き合うと言う感じにはならなかったです。
もう少し早く、元彼女と会わないと決められていればよかったのですが。。
もう遅いですね。笑
そして社会人4年目に訪れた絶望について書いてきます。
正直まだ傷が癒えていないので書くのも辛い部分があるのですが、皆さんのためになればと思い、書かせていただきます。
社会人4年目当時は3年目の辛かった経験、今となっては少し辛かったな、という程度でしたが、影響していたので、とにかく大きなプロジェクトではなく目の前の業務を頑張ろうとしていました。
目標も低めに設定し、言い方はよくないですが、適当に手を抜いてやろうと思いました。
しかし会社、というよりも部署の業務状況の関係から多くの業務を任せられてしまうことになるのです。
仕事内容自体は興味ない物でしたし、すごく嫌な気分になったのを覚えています。
また同じチームを形成する人間関係もうまく行っていませんでした。(これがメンタル不調の最大の要因と思っています)
3−4人で1つのチーム、チームが2、3個集まって課を形成しているのですが、
同じチームの人とうまくやることができていませんでした。
6、7歳上のチームリーダーは仕事を同じチームの人に基本的に任せて、早く帰りたい人でした。根は全く悪い人ではないですが、私とは合わなかったです。
ここは強く言っておきたいのですが本当悪い人ではないのです。
ただ私と合わないだけです。
一度苦手意識を持ってしまうと壁を作ってしまう私は、あまり話をしなくなりました。
コミュニケーションが不足している=仕事で大切な報連相がなくなり、気付けるミスも気づけず。。。。どんどん悪い方向に行っているのを感じました。
また1つ下の後輩もものすごく良い人だったのですが、この人も私と合いませんでした。
少し感情的なところがあり、起こり気味だとパソコンを強く打ち付けながら仕事をするのです。私はとても繊細なので、そう言った人が近くにいると仕事が手につかなくなってしまうのです。
自分がH S Pと言うことに気がつくのです。
ご存じない方も多いかと思うのでH S Pについて説明すると、
H S P= Highly Sensitive Person、簡単に言うとすごい敏感な人ということです。
話でしか聞いたことのないウツ、うつ、鬱。
自分は経験をしたので今はどのようなものかなんとなく理解することができます。
自分は朝型の人間なので夜は全く頭が働きません。すごく感情的になりやすいし、コミュニケーションもうまくいかないことが多い。
なので、翌朝やろうと中途半端に仕事を残して帰ることがほとんどでした。
夜になると投げやりにもなってしまって。。。
そして夜の10時ごろ会社出て、家に帰宅が11時前。
コンビニの弁当をかきこんで、12時ごろに寝ようとします。
しかしながら夜は全く眠れない。
ようやく寝られても途中で起きてしまいます。
12時に寝ても2時、3時で目が覚めてしまう。。また寝ても5時、6時で起きてしまう。。。
朝起きて目を覚ますためにシャワーに入るのですが、思考がグルグルして辛くて「わっ!」ってよく叫んでいました。
あまり好きではないお酒を寝る直前に流し込んだり、タバコも吸ったりしました。
土日には一人でゆっくりできると思い、会社のP Cを持ち帰ってやろうと思うのですが、
やったことはほとんどありませんでした。
P Cを開くことに対して抵抗が大きすぎて、辛すぎて開けることができなくなっていました。
せっかく一人でゆっくり仕事を進められる土日なのに、仕事が辛くて進めることができずさらに後ろめたくなっていく。。完全に悪循環になっていました。
仕事には手をつけられなかった土日ですが、基本的には寝て過ごすか、散歩をしていました。
また先述の友人関係は相変わらず良好だったので、すごく愚痴を吐いていました。
高校時代の友人と会って仕事辞めたいと連呼していました。
考えていたこととしては仕事辞めたいに加え組織で働くのは向いていない、このまま一生仕事を続けるにあたって組織に頼った働き方はできないと思い経済的に自由になりたいという思いが強くなります。
私たちが生きている時代は資本主義の時代。資本が大切なのです。
その中でも金融資本=お金。これがあれば生活とある程度の安全が確保されます。
買いたいものも買うことができるし、男性であれば女性からモテやすい。
話が少し逸れてしまいましたが、つらい状況は2ヶ月ほど続きます。
あまり言いたくはなかった、プライドが許さなかったがさすがの自分もまずいと思い課長に相談しました。
伝えたことは以下のこと。
○チームのリーダーとうまく行っていません
○仕事がつらいです。
○助けてください
すると課長もメンタル不調期を経験していたらしく、すぐに業務調整をしてくれました。
産業医とも面談をしました。
チームのリーダーとの関係は相変わらずで、睡眠障害は変わりませんでしたが、
業務負荷が減ったことで少しずつ楽になっていきます。
3月には異動を告知され、4月には別の課に異動することができました。
業務の引き継ぎで6月くらいまで接することになってしまうのですが、もう接することはなく清々しております。
改めて社会人時代のお金についても書いていきます。
年間100万円程度は貯めることができています。
そして社会人2年目の途中で衝撃の告白。僕の祖母が生前贈与をしてくれるというのです。
遺産を相続するのには相続税がかかりますが、生前贈与をする=祖父母が亡くなる前に遺産を少しずつ孫に分与することで相続税がかからないようにしてくれるというのです。
具体的な金額で言うと、年間100万円を10年間、合計1000万円をくれると言うのです。
社会人5年目の現在840万円ほどの貯金があります。
(自分で貯めたお金=550万円程度、生前贈与=300万円)
これは心の安定、幸福感に大きく影響しています。
また社会人5年目で出会ったこととしてミニマリズムがあります。
しぶさんの「手ぶらで生きる」を読むことでミニマリストっていいなって思いました。
もともと生活費をかけないようにしようと思っていた考えとミニマリズムがマッチしたのですね。
身の回りのものをどんどん捨てていきました。
また必要になったら買えばいい。まずは身の回りの絶対必要と言えないものは捨ててみようと言うことでじゃんじゃん捨てました。(とにかくやってみる)
本棚、本、間接照明、服、靴。。。
よく収納術ってあるのですけど、あれって「いかに多くのものを効率的に収納するか」
がテーマだと思うのですがそもそもものをなくしてしまえば、収納術も不要ですよね。・
ものを減らすメリットは数知れず。
服については捨てるとともに、全て同じ服を使うことにしました。
基本的に全部ユニクロの商品です。
なぜユニクロの商品にしたかと言うと、
○ダサくない、むしろ洗練されていてかっこいいアイテムが多い
○どこでも買える
○安い
の3点が良いと思ったからです。
同じ服を切るメリットは服を考える・決める時間をなくせること。
またブランド品ではないのでお財布に優しいこと。
部屋の物も最小限にしたので、掃除をする手間が減りました。ベットとソファと小さいニトリの本棚一つしかありません。
床が広々で清々しいです。笑
そして物だけでなく、人間関係も断捨離しました。
断捨離したと言っても友人を減らしたわけではありません。
会社での飲み会は自分が主体的に参加できる物以外は参加しない。
幾ら仲の良い友人でも会うのは大体月に1回まで
土日のうち片方は必ず1日空ける
などとルールを作ったのです。
他の人と違って僕は友人にとても恵まれていると思っています。
(すみません他の人の友人関係わからないので、少なくとも自分は恵まれていると感じられるということです。)
僕はわがままな人間だと思っていますので、わがままな人間が嫌い。
一方で僕の周りの人は寛容で、わがままからは程遠い人ばかりです。
寛容で器が広く、人の話をきいてくれる。聡明で笑いのセンスがあるなどなど。
高校時代、バイト先、会社の同僚、先輩、趣味がきっかけで知り合った人などなど。。笑
ライフステージが変わったり、職場が変わったりで付き合う頻度が減ったり、会わなくなる時もあると思いますが、本気で一生関わっていきたい人ばかりです。私の周りの人は。
こう言った人のことが大好きなのですが、自分が成長するのは一人の時間。
好きすぎて断るのも少し辛かったですが、ずっと一緒にいるよりも時々会って深く話す方が関係維持にとっても良好であることがわかりました。少しの寂しさを我慢するだけで自分の時間(+その人とご飯食べるなどしてかかるお金)、幸福感を手に入れることがわかりました。
幸いこう言った特殊な?自分の特性を理解してくれている人ばかりなので少し断ったくらいで誘うのをやめるような人ではありません。
ルールを設けて合わない時間をみなさん設定してみてはどうでしょうか。
惰性での人付き合いが一番よくないですよね。
少し断ったくらいで煙たがられたり、色々言ってくる人はぶっちゃけ今切っていいと思います。尊重されてないですからね。
一生付き合いたい人だけでいいんですよ。友人は。笑
あとは筋トレも本格的に始めました。
週に2回から3回程度主に部屋でウェイトトレーニングをしています。
元はモテたい欲望で始めたのですが、筋トレ中に出る快楽物質ハマってしまいました。すっかりモテたい欲望はどこかへいき、今は筋トレをすること自体が目的になっています。
落ち込んだ気分も筋トレをすると吹き飛びます。このご時世、肉体的に痛めつけられることはまずありません。やられるのは他の人からの言葉だけですから、体さえ発達していれば生物的にやられてしまうことはありません。
騙されたと思って初めてみてください筋トレおすすめです!笑
始めたくても始められていない人は自分に言い訳しているだけですからね!笑
道具なくても僅かなスペースがあれば自重トレーニングはできますから。時間も15分あればできますし。笑
ウザい口調ですみません、別の話にします。
お金ではずっと幸せに過ごしている私。社会人2、3年目から関心を持っていて投資や株の本をよく読んでいましたが、なかなか実行に移せず。。。
ようやく2020年1月ついに投資をはじめました。
株式投資に関してまだまだホヤホヤの1年生。
投資を始めることで
○経済に関心が向く
○無駄遣いをしなくなる
という良い点があると実感しています。
株式投資にはいろいろなスタンスがあります。売買のスパンや上がる株を狙うのか、下がる株を狙うのか、成長する株を狙うのか割安な株を狙うのか。
その中で私は高配当株と米国株に絞って株主生活をスタートしました。
少し株の話を続けてしまいます。
高配当株:株を保持していることで会社から配当金をいただけるが、その配当金を多くいただける株です。
高いところでは保持している株の4%以上をいただけるので、例えば100万円分株を保持していれば毎年4万円もらうことができるのです。
銀行口座に預けているだけではほとんど増えないから素晴らしいですよね。
もちろん株が下落するリスク、可能性もありますが買った株を売らない限りは損確定してはいないので大丈夫です!笑
経済的にある程度自由になっていきた関係で、今は課長や上司に言いたいように言っています。
たとえ評価されなくてもいつでも辞められる。2、3ヶ月仕事をお休みしてまた就職活動すれば良いと思えています。
嫌われても生きていける。
この職場でなくても生きていける
一つの場に依存しないことが精神の安定につながっています。
また、今までの私の人生を読んでいただいた方にはわかるように、私はすごく悩みがちでメンタルが強い人間ではありません。ただ社会人になってから学んだ問題解決の手法でその悩みをなくす、少なくとも軽くすることはできるのではないかと記事を執筆中です。
もちろん友人と遊ぶことでリフレッシュになるので、全く遊ばないということはありません。先述した大切な友人との時間は確保しています。
普段の生活の充実が幸せだと思います。
幸せというのは“なる”物ではないと思います。
現在の幸せな状況にいかに気付くことができるか。
ない物ではなくあるものに目を向けましょう。
最低限命があるだけ儲けものです。世の中にはいきたくても生きられてない人がたくさんいます。
他の人の状況と比べるのも申し訳ないですが日本に生まれきただけでも儲け物だと思います。発展途上国や後進国の飢餓やインフラの整っていなさ、戦争状態、治安の悪さ、、、
日本はこれら国の状況と比べるとかなり良い状態ですよね。
今後について
社会人5年目のところでも記載しておりますが今後は以下のように生きていきたいと思います。
本業は働く時間を効率化
仕事を多くふられたら断る。
株式投資は全財産の60−70%程度にする(勉強を続ける)
友人とは引き続き良好な関係を継続するが、遊びすぎない(週1回まで)
土日のうち、どちらかの日は完全フリーにする
幸せな自分の状態を認識し続ける
まとめとポイントおさらい
ここまで私の人生について詳述していきました。
まとると
トータルすると楽しかった小学生時代
人間関係で挫折した中学生時代
それを乗り越え楽しむことができた高校生時代
怠惰に過ごしつつもそれになりに楽しかった大学時代
人生で一番と呼べる挫折を経験しつつも復活して幸せを手に入れた社会人時代
こうして27年間の人生を振り返ると自分は一つの物事に熱中した時期がないです。
これは今後も続くと思うのですが、常に気が散っていて、良い方に言うと興味が広いです。
突き抜けることはなさそうですが広い興味をポジティブに捉えていきたいと思います。
最後に
私の人生はいかがでしたでしょうか。
このnoteを読んでくださったみなさんも、それぞれみなさんの人生がありますよね。
ぜひみなさんも自分の人生を振り返ることで、学びを得て、今後の人生に生かしていただければと思います。
そして今回このnoteをきっかけに自分の人生を振り返りました。
結論総じて幸せだと思いました。
そんな幸せな人生を歩ませてもらっているのにも関わらず、一時的な不調?環境が原因で、死にたい気分になってしまうのはとても怖いですね。
正直今私は幸せな状態にありますが、いつそれが崩れるかわかりません。
つらい時もあれば幸せな時があります。それが人生だと悟ることができました。
次につらい時がきた場合には自分に“この後また幸せを感じられる人生になるよ!”と声をかけてあげたいです。
それはこのnoteを読んでくださった皆さんに対しても同じ。
ぜひ今後の人生の一助として素晴らしい物と思える、少なくとも悪くないな、自分の人生。と思えるようになってほしいです。以上です。
どうもありがとうございました。