『カタカムナ』 -第10句 (その2)
宇宙の誕生については、その壮大さゆえに、私たちの想像をはるかに超えるものがあります。
宇宙の誕生の瞬間は、ビッグバン からスタートしたと言われており、これは137億年前(138億年前)と言われてます。
そう思われるかもしれませんが、この数字は単なる推測ではなく、数学的計算から、137億年前と、ほぼ正確に割り出されてるのです。
例えば、ものすごく巨大な『スプリンクラーの水の軌道』を『外側』の一部しか動画に撮影できなかったとしても、水の軌道を「逆再生」させれば、全ての水の粒は、ある一点に収束しますよね?
想像してみてください。ものすごく巨大なスプリンクラーが、宇宙空間に水を撒き散らすように、星々が膨張していの最中の様子を。
我々からはそのスプリンクラーの一部しか見えませんが、現在もまだ、『スプリンクラーの水の軌道』のように、『遠くへ向けて飛び出している最中』なのです。
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1922年、この理論の可能性を信じたロシアの数学者であるフリードマンが、〝地球から観測可能な宇宙全体の星の動き〟を元に、アインシュタインの一般相対性理論を応用した方程式を使って計算してみた。
すると?
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ここまではOK?
今回の記事は、これまでと比べて非常に壮大で、私が今まで取り扱ってきた「神様」のテーマの中でも、最も大規模なスケール感を誇っています。
ここまで、ついてこれてますか?
次は、宇宙の広さ のたとえ話に進みます。
宇宙は、想像以上に広かった
小学生の頃は、自分の小学校の学区内と、車で連れて行かれる近所が、自分から見える世界の全てでした。
やがて、家にある、地域の地図(市内全域地図)を読める年齢になって、自分の知ってた世界は、地域のほんの一部だった ことに愕然とする。
『市内全域の地図』を見た、小さい頃の感想
しかし、その『市内全域の地図』もまた、『県内全域の地図』から見ると、ほんの一部であり、自分の住む県もまた、『日本国全体』から見ると、ほんのひとかけら……。
北海道はともかく、それ以外の区域は全て、「ザコ」扱いという『日本国全体』の巨大さ!!
この国は、なんて巨大なんだ! どこまでも地が続く!!
……と思ったら、その後『世界地図』を見て、唖然とする。
なんなんですか! これは!!
世界全体のスケールの大きさは、子どもの想像力をはるかに超える。
世界は、とてつもなく広かった!!
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しかし、そんな『地球』という星も、『太陽』と比べると、ほんの小さなパチンコ球。
その巨大な太陽も、『ベテルギウス巨大恒星』と比べると、ザコ扱い。
そして、『ベテルギウス巨大恒星』も、銀河系の中では砂粒の一部で、その『銀河系』よりも、お隣の『アンドロメダ星雲』の方がさらに1.5倍以上も大きく……
(そして、銀河団、宇宙全体と続く……)
宇宙に想いをはせれば、子どもの頃と同じ驚きを、今の自分も味わうことができる。
宇宙のスケールの大きさは、大人の想像力をもはるかに超えていた。
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ここまでが、『天地創造』の説明の前 です。
そもそも、キリスト教の『アダムとイブ』のお話も、日本神話の『イザナギ&イザナミ』のお話も、恐竜時代のことを想定外にした話 になってるんですよね。
世の中の神話は、『神と人間』の立場しか想定しておらず、『恐竜時代』のことが想定外になっている。
あれ? 地球ができてから現在までの間に、なにかが抜けてない?
神が、人間のために天地を作ったのならば、人類の有史以前の46億年がサクッと無視されているのはおかしい。
恐竜時代だけでも1億8000万年以上 続いたあの時代はどうなる?
(ちなみに人類の有史は、シュメール文明を起点と考えても、せいぜい4000〜5000年程度。まだ、恐竜時代の3万6000分の1 でしかない)
では、日本神話の『天地創造』は本当は何を表していたのか?
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『日本神話』の構成は、分析すると明確に4つの年代に分かれています。
この中の、A&Bブロックは、本来は何億年も昔の『人類誕生以前』のお話なのです。
縄文時代とか、弥生時代などではなかった。さらに昔。
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ただし、『古事記』の中で出てくる『国生み神話』や『国譲り神話』などは、本来あった神話(神様が直接語った話)を、権力者側が、自分たちの都合に合わせて中身を書き換えています。
こんな感じになっています。
『古事記』の中の記述は、詳細に分析してみると、言われているような『日本神話』の口伝伝承の書き留め ではなく、
神の指名を受け、日本の統治を任された大王様(神武天皇)が国造りを始めたときの様子が書かれています。
ただし、〝神の指名を受け、日本の統治を任された〟というのは本当。
自分たちで勝手に名乗ったのではなく、神の使命を受けた、正当な権力者だったのは本当。
なので、原形となる『神のご神託』の方は、本来は パンゲア大陸 の話だった。
しかし、それから時代が経つうちに、『神話を正しい形で引き継ぐ』よりも、パロディー化して『神話を権力に取り入れる』ことが優先され、
原形となる『本物の神話』をもじって、天皇家の伝説としての『古事記』のカタチになった。
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ただ、元の原型となる神話の完全体は、どこまで復元できるか?
それについては、数ヶ月にわたって何度も、天に問い合わせをかけているものの、このテーマに関しては、今のところ答えは分からず。
惜しいところまでは来ているものの、まだ謎のままのところも残る。
なので、いったん諦めて、現時点で分かってるところまで公開することにしました。
(そういうわけで、古事記の分析も途中でいったん保留になってる)
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ちなみに、ここからは雑記。
昔の時代ほど、なぜ人と神は近かったのか?
たとえば、家の外に出さない『血統書つきの御猫様』をイメージしてください。
窓際でリラックスして、おなか丸出しで寝る『血統書つきの御猫様』と、野山で狩をしながら常に死と隣り合わせで生きる『野生の猫』は、同じ猫でありながら、危機察知能力や、勘の鋭さが全然違います。
同じように、太古の時代は、夕暮れとともに真っ暗になる時代。
街灯ありません。提灯すらまだ登場前の時代。
夜になると、電気のないド田舎や、山の中と同じく、何も見えなくなります。
日暮れとともに、ササッと家に帰りつけなければ、あっという間(わずか数十分)で前も後ろも真っ暗。家にたどり着けずに迷子になったり、野生動物に襲われる危険性もある。
また、今と違って神の罰も本気で恐れられていましたよ。
雷、地震、火山噴火などの派手な自然現象は、毎回 神の怒り とされていた時代。
今のように、「神はいるかいないか?」どころの話ではなかったのです。
毎日が、生きるか死ぬか? だったので、何かあったらすぐに神頼みをしないとやっていけなかったのが、昔の時代でした。
(日照り対策も、祈祷師による神への祈りで、雨乞いを祈ったし、神の怒りに対しても、やはり神官や巫女などが鎮魂の祈りで鎮めにいってたぐらい。全部祈り!!)
だから、当時の人は、普通の人でも霊能力というか、気の察知能力は現代人より結構高かったのです。
・ 虫の知らせ
・ 悪い予感
という言葉がありますが、あれを察知できる能力があった。
さすがに、神様と直接メッセージのやり取りができるシャーマンとなると、希少でしたが、『祈祷師』や『占い師』のレベルなら、どの集落にもいた。
そんな感じで、神様は生活の一部であり、カンナガラの精神は、信仰心から来たというより、どちらかというと、日本の地に生まれたときから 皆の前に神様が常にいる感覚 だったというのが正しい。
で、「神様に常に見られているから、悪いコトしちゃいけないよ!」とモラルの高い国民になった。
政府の圧政で、無理矢理押さえつけるのではなく、自主的にモラルが高くなったのが、この国の国民なのです。
そんなわけで、雑記になるとスラスラ書けるし、受信もできるんだけど、この世の最初には何があったのか? という問いは答えが止まってしまうので、アクセスしちゃいけない領域 ってのがあるのかもしれない。
あるいは、まだ発表の時ではないのか……
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