アルカプ勢から見たキュアぱず。あるいは狂った大友の喜劇の結末。
3月26日、キュアぱずのサービス終了が告知された。
「やっとか」
私はそう思った。「やっと」だ。遅すぎたくらいだ。
とりあえず周りの様子を見る限り、反応は様々だ。悲しむ人もいる。喜ぶ人もいる。
私は後者だ。私は3年前、「アルカプ勢から見たキュアぱず」というタイトルで初期キュアぱずの惨憺たる様子を書き殴り続けた。
あの頃の私はあのゲーム未満に対して呪詛のような感情を抱いていた。そしてその濁り切った怨念は今でも私の感情の一部分を占めている。
そして今、私は再びこうして文章を書き殴っている。
無理やり言葉と言う形にするのならば「キュアぱず終了を美談にしたくない。」と言う想いだ。
アレを楽しんでいた人がいたのなら本当に申し訳ない。私はサービス開始初期から始め、2018年の5月頃に折れた人間なので、私が言ってる事に「何を今さら時代遅れの話を」と思われる方がいると思う。本当に申し訳ない。
私はアレがサービス終了を迎えたのは当然だと思う。
アレは産まれた時から死んでいた。壊れた玩具がプリキュアという包装紙で包まれていただけだった。
それを無理やり生かして、動かして、ただそれが3年続いただけなのだ。
アレを生かした原動力……つまるところ、プリキュアへの人気、プリキュアへの愛は素晴らしいと思う。それを私は何も貶すことができない。それはプリキュアが長い年月で培ってきた信頼の証だ。
けれど、それは決して、アレが素晴らしいゲームであり、惜しまれる作品だったという事ではない。
私は惜しまない。絶対に、アレが終わる事を絶対に惜しまない。
しかし、それは結局のところ、その感情を私一人が死ぬまで抱えていればいいだけの話だ。
「キュアぱずありがとう」と感謝する人々がいるのなら、私の様な負の怨念はそれを抱えて心を殺そう。
そう思って黙って死んでいくつもりだった。いい歳をして幼女向けアニメに夢中になってる世間からの爪弾き物が、プリキュアの界隈でも日陰者になるだけ。
私にはヘドロの塊にしか見えない物でも、少なくとも光がある場所があるのなら、わざわざ呪詛をぶちまける必要なんてない。
そう思っていたのに!
話は簡単だ。6月3日、キュアぱずが終了して2日経ったこの日!
キュアぱずのベースとなった中国のソシャゲが発見された!
その名は『天天宝石大战』
その知らせを見た時、そしてこの画像を見つけた時の私の感情はとても言葉では言えない。頭の中で封じ込めた記憶……あの1年以上苦しんだ悪夢の日々が、1秒にも満たない時間で一気にフラッシュバックした。
『キュアぱずにはプリキュアを愛する人はいなかった。』
そう、私はグラブルのプリキュアコラボの感想を書いた時にそう言った。
『イベントの時、おすすめカラーが大体コピペなんだけど!』
そう、私は『アルカプ勢から見たキュアぱず』シリーズを書いていた時、おすすめカラーが完全コピペだったことに気付いてそう言った。そもそもこれ自体がコピーだったのか。
『このゲームのAPKソース内に「ペットシステム」「星座システム」「かんたんモード」っていう、わけのわからないものが残されてるのは……』
これは私が作ったキュアぱずのニコニコ大百科に書かれていたコメントだ。画像を見る限り天天宝石大战にはペットらしきキャラがいる。
『敬語が使えないつぼみ』『キュアぱずのシナリオ担当は敬語、丁寧語の使い方が下手。』
ああそうだ。私はハトプリのキャラ崩壊にキレてランボーの嘘字幕作ったんだ。スマプリの時も「え?れいかちゃんこんな事言うの?」に怯えて泣きそうになりながら必死でシナリオチェックしてこう言ったのだ。
そもそも中国のゲームのコピーなんだからな、下請けも中国企業の可能性高いよな。
『スマホユーザーの鉄板アプリ、Simeji。うぇーい。毎日宣伝見てるから覚えてしまった』
ああ、なるほど。Simejiは中華系企業のアプリだものな。
『しかも肝心のゲームパートは海外量産ソシャゲーにお邪魔要素が入っているだけ』
これは……最初だ。本当に最初の頃だ。プリキュア仲間の言葉だ。何で、何で今まで忘れていたんだ。
『プリキュアとの出会いを無かった事にするような事したくなかった』
これは誰だ?誰の言葉だ?これは、私の言葉だ。リセマラしないのか?と聞かれた時の私の返事だ。
本当に私の言葉なのか?
今、私は、あんなものがあったことを、あんなものにプリキュアがいたことを、3年前のあの日々を全て消してしまいたいのに?
大声を出して笑った。胃が激しく痛んだ。涙が止まらなかった。
何てよくできた喜劇なのだろう。
3年越しの綺麗な伏線回収。神様と言うシナリオライターは天才だと思う。手を叩いて喝采を贈りたい。主演が私でなければ。
そう、正直な所もうどうでもいい。
アレをおかしくなるまで憎んで呪って恨んで、それでもプリキュアがいるから愛そうと思っても愛せなくて。
そんな私は結局プリキュアを愛してはいないのではないかと悩んで、アレに感謝する人達を理解できなくて、何故私はあちら側にいないのかと苦しんで、「キュアぱずありがとう」と言う言葉に気が狂いそうになって、封じ込めていた呪詛の箱が開きそうになるのを必死で抑えて、ようやくサービス終了の日を迎えて。
そんな事はもう全てどうでもいい。
もうどうでもいい。
そもそも、この記事を書き始めたのは3月26日なのだ。
書き上げず、捨ててしまうつもりだった記事だ。
では何故今、私がこうして続きを書いているのか?
別に大した理由はない、私はこの顛末が非常によくできた笑える喜劇だと思った。だから続きを書いた。ただそれだけだ。
3年前、どうしようもなくて書き始めた「アルカプ勢から見たキュアぱず」という記事のシリーズが、こんな形で全ての疑問と伏線を回収し、綺麗にまとまる。その中で右往左往するどうしようもなく馬鹿な男の姿は笑えると思う。私は腹を抱えて笑った。
という訳でこの記事はここで幕を下ろしたい。
いや、私は皆さんには笑顔でいて欲しいのだ。非常に笑える話だったでしょう?
おそらく一部の大友と私の間には深い溝……私はプリキュアを愛していて、けれども絶対にキュアぱずを許さないという……があるとは思うが、多分そんな溝を容易に乗り越えるくらいの喜劇だと思う。
という訳で頭の悪い、愚かな1人の大友の喜劇はここで終わり。皆さんの明日の笑顔の源となれば幸い。
笑えよ。
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