動悸から自分の現在地を思い知る
こんばんは。
もう理想の寝る時間を当に過ぎているけれど、今日は書きたいなと思う体験がありスマホでポチポチ。
今日の差分
「今日の出来事は自分にとってどんな意味があったのか?経験前後の自分のちがいは一体何か?」
ー経験と気づき
今日は午後から仕事の作業をしていました。ヒアリングを兼ねてお話の場でお聞きした大義を1枚のグラフィック(イラスト、インフォグラフィックのような)にする作業です。
この手のお仕事は慣れてはおらず、どれくらいでできるか時間が読めない、なんなら今日あと二つくらい終わらせたい作業がある中でそわそわと着手しました。
構図を考えるにあたり、あまりアイデアが出なかったのでpintarestでヒントを得ようと検索しました。以前から知っているイラストレーターさんの作品が目に止まり、改めて素敵だな、すごいなと思いながらスクロールしていました。
そんな時間を数分過ごしていたら徐々に動悸が強まっていく。確かにそわそわはしていたけれど、かなり強くて戸惑います。
内面を観察してみるとプロフェッショナルに第一線を走っていらっしゃるイラストレーターさんと比較しているのかな、と思いました。
頭ではわかっているんです。比較しようが焦ろうがどんと構えようがアウトプットは今の等身大以上にも以下にもならないこと。時間は変わらないことも。なんなら、構えないほうが良いもので出やすいことも。
それなのに動悸は続くばかり。今日は作り手目線で素敵なものを見たことで圧倒される感覚にありました。
この出来事から、自分が気づいている思考以上に、まだ身体にびたーっとくっついている感覚があることを改めて思い知らされました。
・自分が120%出すことを期待している。
・受け取り手の次に進む力につながるものを生み出したい。
・よくないものを自らの手でだしたくない。
・自分に失望したくない。
・緊張感を与えないとサボるところがある。
・失敗、残念がられることがこわい。
・当たり前に良いものを生み出す存在だと見られたい。認められたい。
このあたりかなと捉えています。
同時に、誰かの仕事を通じてこんなふうに反応することははじめてかもしれません。このイラストレーターさんのような体現がひとつの理想像なのかもな、と思いました。
この癖はずっとあるものだけど、今日はまざまざと身体の反応に、動悸に自分の現在地を思い知らされてびっくりしました。
おかげさまで仕事は仕上がりました。今の等身大だな、と改めて思います。作業時間は理想の倍くらいでした。
割とグラフィックの作成や仕上げ作業では動悸が起きがちです。他の作業も頭から切り離せず、追い込まれてある感じもあります。同時に、正解を探しにいくというか、自分の伸び伸びした表現よりも受け取りやすさを押さえに行っている感じもしています。
伸び伸びできる手段としてグラフィックを選んだのだけど、また迷子になって難しいものです。気にいる伸び伸びパターンも模索あるのみ。いろいろ数をやってみてたどり着く気がしています。
等身大では色々間に合わないので7割でOKを練習している時期、十分やってるよと自分に声をかけ続ける時期なのかなと思っています。
ではまた明日。