Googleの検索でトップに出てきた記事です。5日前という表示をみましたが、記事には「08月12日 20時05分」とあります。
ちょうど同じ頃、図書館の新聞で記事を見かけていましたが、同じ内容の記事という記憶はありません。控訴をしないという記事があって訴訟が集結し、それからけっこう経ってからの記事だったので、とても珍しく感じていました。
図書館の新聞ではよく見かけていたニュースですが、地元紙の北陸中日新聞と北國新聞が中心だったとも思われます。自発的なGoogle検索でネットの記事も見ましたが、他に関連した話題を見かけることは一切なく、不思議にも思えていました。
上記の引用部分に「遺族側の弁護士によりますと」「同席した弁護士によりますと」とありますが、弁護士の名前がないことに不自然さを感じ、報道の意図が、含まれているとも感じられます。
動画ニュースのようですが、静止画に「市・弁護士」とあり、これも異様な雰囲気があって、731部隊のイメージとの重なりを感じます。
富山県は幼少期の関わりやイメージが残っているのですが、富山県に最初に行ったのは昭和58年以降になるかと思いますが、電波の関係で富山湾の対岸になる富山放送と北日本放送がテレビ視聴の中心で、テレビCMも金太郎温泉や宇奈月温泉をよく見ていた記憶があります。
この続きは記録として残すため、WordPressの記事として作成します。富山と弁護士の歴史と未来がテーマになります。
いったん投稿しましたが、伊藤健について書いていないことに気が付き、記述を再開します。
どうも滑川市の教員過労死と、伊藤健弁護士の関連はなさそうです。よくある過労自殺とも勘違いしかけていたかもしれないですが、自殺ではない過労死と確認しました。
過労死と過労自殺がイメージとしてごっちゃになっていますが、このような問題で決まったように登場するのが、松丸正弁護士と川人博弁護士になります。