群馬県吉井町で荷下ろしの当日12月3日の午前0時44分に金沢で給油した領収書という謎
市場急配センターでの松任市の石川製作所の仕事
9月3日、福島県白河市
9月17日、群馬県吉井町
9月25日、群馬県吉井町
9月28日積みおき、茨城県土浦市
12月2日、群馬県吉井町
疑問点
疑問に思う9月3日の福島県白河市への運行
次が、市場急配センターでの9月中の運行になります。
9月2日に神奈川県厚木市で荷下ろしし、東京の晴海埠頭からバナナを摘んできたという仕事は、被告発人安田敏と二人での運行でした。
単独では9月5日に福島県白河市の行き荷の運行となっていますが、これは金沢市場輸送で春頃にやった記憶のある運行で、これが事実であれば2回目になります。
荷下ろし先の敷地の広いゴルフ場内にあるような工場も印象的でしたが、会社名も変わっていると感じたのでよく憶えています。何度かネットで調べたこともあったかと思います。
偶然ですが、noteでExcelの書式の貼り付けが出来るとわかりました。テキストのみの貼り付けという予想だったので、ちょっと驚きの発見です。ただ、これはテキストではなく画像として貼り付けられているようです。
Shift + Command + 4の矩形選択でのスクリーンショットは前から使っていたのですが、ファイルとして保存されていました。
記憶では、国道4号線で栃木県から福島県に入って、白河市内の手前から左手の山の方に入ったことになっていたのですが、国道294号線とあります。
現在は白山市ですが、松任市の石川製作所の場所というのも記憶になく、調べて見ると水島倉庫に近い場所でした。川北町の近くですが、川北町のリンクをクリックすると、石川県能美郡と表示されました。能美郡はそのまま能美市に変わったものと思っていたので、これは意外です。
能美郡は川北町だけのようですが、意外に範囲が狭いと知りました。
金沢市場輸送で始まった石川製作所の仕事
平成3年になってから始まったようも思うのですが、青森県の八戸の自衛隊の基地に荷物を運んだのは、まだ7599号に乗務していた頃で、昭和63年になりそうに思います。
市場急配センターの業務日報では1つ品名が兵器となっていたので、多少違和感を感じながら自作の運行表では統一させたのですが、荷物は爆弾と魚雷がありました。魚雷の方が大きかったですが、木枠に囲まれていました。
現在、金沢市場輸送で群馬県吉井町に行ったという記憶はないのですが、日本工機の後に最初に行ったような記憶があり、共通したのは大きな火薬工場だったということです。
山の突き当たりにある工場だと思っていたのですが、少し先に製糸工場で有名な富岡市があるというのは意外でした。その少し先にはコンニャクで有名な下仁田町があります。
市場急配センターで群馬県吉井町の中国火薬に行ったのは、9月17日、9月25日、12月2日の3回ですが、この回数自体はだいたいあっているように思います。
平成4年になってからも行くことがあったような気がするのですが、最後に行ったとき、荷下ろしを終えた帰り際に、金沢市場輸送の堂野さんが金沢市場輸送の大型平ボディ車で荷物を運んできた場面の記憶があります。
堂野さんは、金沢市場輸送でイワシの運搬の仕事を大型の持ち込みダンプでやっていました。12月の20日過ぎ辺りから本格化するイワシのシーズンではなさそうだったので、やはり秋に近い時期かもしれません。
ただ、中国火薬で荷下ろしをした後、一度、栃木に石灰を積みに行ったことがあったような気がするのですが、この七尾の丸一運輸の石灰の仕事は、2月の下旬から始まったもので、一月ほどの間に4回、栃木に石灰を積みに行った可能性があります。
奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: H3DB_search_”中国火薬”_(該当件数:1/データベース登録数:669,647) _2023-06-04_102513の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/06/h3dbsearch1669647-2023-06-04102513.html
中国火薬ではなく、中国化薬だったようです。
2020年6月3日のツイートに、「栃木県葛生町の石灰のことも記述がありました。たぶん3回目という群馬県の中国化薬で,金沢市場輸送の堂野さんと出会ったことも書いてあり,そのあと初めて向かったのが葛生町とありました。」とあります。
最後に群馬県吉井町の中国化薬に行ったときと、その前回というのは、それほど間が開いていなかったような記憶ともなっています。たぶん国道17号線の方で時間の調整をしたいたと思うのですが、いずれも朝に、高崎観音の前を通って、中国化薬に向かったという記憶があり、印象的な光景でした。
中国化薬に運んだ荷物は大きな木枠で、フォークリフトで荷下ろしする必要があったと思うのですが、日本工機のときは手作業で荷下ろしが出来るケースだったのもしれません。
八戸の自衛隊の基地は、金沢市場輸送の大型保冷車だったことが確実で、保冷車だとフォークリフトでの積み下ろしの荷物は積み込めないことになります。
福島県白河市の日本工機に行ったのは、5月の筍の時期に近い頃で、金沢市場輸送の大型保冷車の持ち込み運転手になっていた輪島のOTが、山形市の青果市場の駐車場で、後ろに路面がないのに気がつかず、下に落ちたような話を聞いたことがありました。
山形市の青果市場というのは、同じ筍を積んで一度だけ行ったような記憶があるのですが、話を聞いた前の年になりそうです。つまり自分が山形市の青果市場に行ったのは平成2年の可能性が高いということです。
平成3年の3月か4月、輪島屋鮮冷の大型保冷車の運転手と同じ石川製作所の兵器の荷物を積んで、宮城県岩沼市辺りの自衛隊の駐屯地に行ったことがありました。
半年ほど前にGoogleマップで調べたことがあったのですが、岩沼市の周辺は自衛隊の施設が多く、福島県の宮城県に近い場所の可能性が高いように思えてきたことを憶えています。
自衛隊 福島県 - Google マップ https://www.google.com/maps/search/自衛隊+福島県/@37.9242965,140.473527,11.18z?entry=ttu
今調べると、福島県の宮城県との県境付近に自衛隊の施設というのは見当たりませんでした。
自衛隊 宮城県 - Google マップ https://www.google.com/maps/search/自衛隊+宮城県/@37.9211343,140.5815945,11z?entry=ttu
宮城県の検索でも福間県の県境付近に、自衛隊の施設は見当たらなくなっています。
石灰のまとめ記事も作成済みで、ざっと目を通しましたが、岐阜県大垣市に2回行ったようなことが書いてあるツイートが1つだけありました。
栃木もそうでしたが、石灰を積みに行った先は、いずれも独特の雰囲気があり、採石場のようでした。栃木では、昭和の時代のテレビの時代劇で、最後に悪代官が成敗されるロケ地のようにも思えました。
岐阜県大垣市に2回、石灰を積みに行った記憶はないのですが、最初に行ったときは、一人で被告発人多田敏明を同乗させていなかったような記憶はあるのですが、同時期に2回とすると、運行流れというパズルに当てはめる個々の運行というピースの数が多くなりそうです。
最初に栃木に石灰を積みに行ったのが群馬県吉井町からだとすると、存在しない2月24日の運行
栃木に石灰を積みに行ったのが3回なのか4回なのか、今ひとつはっきりしないのですが、行き荷の荷物を降ろして向かったのが、埼玉県杉戸町の国道4号線沿い、それと茨城県の水戸市の方から国道50号線で向かったことがありました。
これに最初とされ、確かにそういう気がする群馬県吉井町から向かった運行を合わせるとそれで3回になります。業務日報では2月25日に宇都宮市から向かったことになっているのですが、そういうことが一度あったような気がします。
他は全て国道50号線の佐野市の方から葛生町に向かった記憶ですが、一度だけ反対側の山の方から向かったことがあったように思います。
12月3日の午前0時44分となっている金沢で給油の領収書
私のサインがあり、3068号という車番も乗務していた大型ウィング車のものになります。
領収書には「R-8カナザワSS」とありますが、正確には石川県河北郡津幡町で、正確な場所は記憶にないですが、検問所の近くで、金沢から来ると手前側になっていたと思います。
金沢市内からはけっこう離れた場所で、金沢から給油だけに行くと、往復で馬鹿にならない時間が掛かりました。長距離の大型トラックが入るガソリンスタンドとしては、小さめに感じましたが、風呂がありました。24時間入れたように思います。
平成3年中は何度か、トラックの中で寝て、朝の決まった時間に起こしてもらうことがあったように思います。
0時44分というのは、これから運行に出る時間とは思えません。名古屋で馬鈴薯をおろして金沢に戻り、そのまま津幡のスタンドで朝まで寝ることが2,3度あったような気がしますが、名古屋から戻って津幡のスタンドに着くのは、早くても夜中の2時を過ぎていたような気がします。
この0時44分に津幡で給油をしたという12月3日ですが、名立谷浜インターで後払7950円という領収書が1枚だけあります。後払がついたものとついていないものがあって、この違いがわからないのですが、前日の12月2日の前橋インターの領収書は後払がついておらず、12050円となっています。
北陸自動車道と関越自動車道にまたがる料金は料金表での確認が出来ていないのですが、金沢東インターから乗った可能性が高そうです。
12月2日には群馬県の前橋インターに着いていたのに、3日の午前0時44分には金沢で給油をした領収書の存在
群馬県前橋市は、関越自動車道で新潟方面から来て、関東平野の入り口のような場所になります。荷物を積み込んで金沢を出発した当日の夜、日付が変わらないうちに着くというのも珍しく思うのですが、その荷物の目的地も隣の高崎市から遠くない群馬県吉井町になります。
金沢を出発した時間は不明ですが、前橋インターを降りたのは、午前0時の日付が変わる時間帯に近かったと考えるのが自然であり、仮に夜の9時に前橋インターを降りたとしても、午前0時44分に、金沢東インターから10分ぐらいはかかると思われる津幡のスタンドで給油を済ませるのは無理があり、その後、群馬県吉井町に戻って荷下ろしをしたことになります。
12月3日午前0時44分の金沢で給油の領収書の450リンターという疑問
調べたところ12月3日の午前0時44分の給油の前にある領収書が、同じ金沢となっている津幡町のスタンドで、11月24日の午前0時27分となっています。
これも領収書が2枚に分かれていますが、印字で200と180で、180の領収書は、手書きのボールペンで389リッターとあります。大型トラックは通常タンクが二つあり、別の給油機で同時に給油をするので領収書が2枚に分かれることがあると考えられます。
大型車の経由の給油タンクはどれも同じに見えましたが、金沢市場輸送の大型保冷車で300リンターが2つと聞いていました。
金沢市場輸送では東京都内への運行が多く、会社に戻って会社の給油機で自分で給油をしていたのですが、だいたい330リンターが多かったような記憶がかすかですが残っています。
市場急配センターでは都内より手前の埼玉県や群馬県の運行が多く、それだけ走行距離も短かったはずです。
11月24日から12月3日迄給油をしていなかったというのも長いですが、11月中はまだ金沢市場輸送に行って給油機で給油することが多かったような気もします。
平成4年になると金沢市場輸送の給油機に給油に行った記憶がなく、ガソリンスタンドでの領収書も多いようですが、なぜそうなったのか記憶にありません。
なお、市場急配センターの大型ウィング車もエンジンは直6のターボー車で、V8やV10の大型トラックに比べると、かなり燃費がよかったはずです。7599号はイスズのV型10気筒エンジンでした。
金沢市場輸送は平成2年頃あるいは、その1年ほど前から大型保冷車でも直6のターボー車にしていたようです。エンジンブレーキの効きが弱いので、20トン以上の積み荷となると、かなり運転に気を遣いました。