「登録有形文化財の登録抹消後、更地にして旧江戸村と一体の整備をする方針。(旧江戸村はその後移築され金沢湯涌江戸村が開設された)」という部分が、特に意外な発見に思えました。
この江戸村は、宇出津小学校の修学旅行で行った記憶がかすかにあるのですが、たぶん昭和51年になりそうです。1泊2日という記憶で、宿泊は卯辰山の金沢ヘルスセンターという記憶。
兼六園で撮影した集合写真があり、江戸村の他に記憶にあるのは、後に知った金沢市泉野付近で、プラネタリウムの見学。
この白雲楼ホテルも、小さい頃に宿泊したような記憶がかすかに残っていて、似たような記憶となっているのが、宇出津の遠島山公演の紫雲荘。
金沢の白雲楼ホテルより知名度は低そうですが、紫雲荘の写真を見た人は多いかもしれない。歴史的な事件の舞台として。
紫雲荘の記憶はわりあいはっきり残っているのですが、玄関から入った場所の記憶で、宴会場のような場所の記憶があいまいになっている。宿泊した記憶はなく、夕方の遅い時間で暗くなっているときに入った記憶。
能都中学校の頃、遠島山公園は、崖下を降りて海で泳ぐことが多く、海水浴というよりサザエ採りが目的。その頃、紫雲荘が営業していたのかわからないが、今も残る隣の建物で、売店が営業していて、かき氷などがあったという記憶。
宇出津事件は、ちょうどその頃に発生したらしいが、地元では知られておらず、図書館で調べた北國新聞縮小版の記事でも、事件は密出国になっていた。この事実を捻じ曲げたジャーナリズムから調べて確認した。
最近は、いつのまにか名前を見かけなくなっている。
Googleの検索経由になりますが、アカウントのツイートを見たのも久しぶりで、前によくツイートを見かけていた頃は、山口県の下関市と、そこでの選挙関連。