Twitter検索の「江川紹子」で見かけた記事になりますが、ほぼ間違いなく前に読んでいると思いながら、確認のつもりで読み始めたところ、上記の引用部分で、これは間違いなく読んでいない、つまり知らなかった記事の内容と思いました。
それらしい記事は前に読んでいる覚えがあって、坂本弁護士と宇都宮健児弁護士との関係性というのも前に少し見かけているような気がしましたが、結婚する前の坂本弁護士の妻が、宇都宮健児弁護士の法律事務所の事務員で、それも事務局の要だったというのは、全く知らずにいたと思います。
2019年11月3日というジャーナリストの江川紹子氏の記事ですが、これは本当の、このタイミングでのとても不思議な発見に思えます。Twitterで「江川紹子」を検索していたのも、このところTwitterアカウントでの情報発信が少なく、自身の記事の紹介も見かけていなかったからになります。
坂本弁護士一家の事件は、平成の初め頃で、当時、司法試験の合格者は年間500人台と言われ、最難関の国家試験とも言われていました。
旧司法試験になりますが、平成7年から9年頃には実際に勉強をしていた時期がありました。特別視されていたのが論文の試験になりますが、今考えても努力というだけでは合格が現実的ではなかった試験制度に思われ、その他の要素で左右されていた気がします。
1つは採点をする試験官との相性ですが、これは裁判官と弁護士の関係性にもそのまま当てはまりそうです。
警察に批判的なジャーナリストの江川紹子氏のツイートや記事は、これまでに沢山見てきましたが、これだけ具体的なのは初めて目にしたもので、警察の失態が強烈に印象づけられています。
上記の引用部分を読む限り、まさに歴史の語り部のようなジャーナリストの江川紹子氏ですが、他の検索批判では無理すぎのこじつけや軽薄浅薄さが際立つ印象となっています。
記事が複数のページに分かれていなかったのも珍しいですが、けっこうな長文でした。それも締めくくりが裁判記録で、検察庁が閲覧に応じないという不満の発露になっていました。
法廷での裁判官と被告人とのやりとりというのも、その細かさが珍しく思えましたが、退廷にも繋がっていました。教祖の被告が退廷させられたという話は知っていましたが、この経緯は初めて知ったと思います。
ジャーナリストの江川紹子氏の語り部は、実際どうかと思うところがあるのですが、比較できる事実の材料はありません。ただ、他の検察批判の内幕を見ていると、具体的な疑問点が随所に盛りだくさんでした。