3日目になって、上司ではない別の刑務官に思えてきた北陸中日新聞の記事に出ている出雲義浩刑務官
金沢刑務所前に花壇 なぜ 塀の外 明るい種を:北陸中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=757512&pid=3814443
一番最初に写真を見たとき、右側の刑務官は見覚えがあると感じました。実際、似たような背格好と顔立ちの刑務官は他にいたように思いますが、通路で見かけるだけという関係の刑務官だったような記憶です。
北陸中日新聞の写真に右とあるのが出雲義浩刑務官で、自分の手書きの控訴趣意書に署名が記録されていることから身近い関係があった刑務官と推測しました。
そんなことでずっと署名のある出雲義浩刑務官は、拘置舎2階担当の嶋弘刑務官の直属の上司の刑務官という認識が出来たことになります。
今日になって気がついたのは、嶋弘刑務官の直属の部下になるような刑務官で、副担当と聞いたことがあったような記憶です。
ただ、刑務所の工場でも担当刑務官は身近で特別な存在でしたが、副担当というのは聞いたことがなかったと思います。担当の交代の刑務官は入れ替わりでした。
いちおう副担当ということにしておきますが、体がかなり大柄で、体型が似たような制服ということも大きいですが、銀河鉄道999の車掌で、太い体型はそのままに上背を高くした感じでした。
メガネを掛けていたことも記憶にありますが、一番の特徴は話し方が能登弁で、それも珠洲市蛸島の出身と思われるしゃべり方、そっくりでした。
この珠洲市蛸島のしゃべり方、というのは昭和59年によく耳にしていたもので、金沢市場輸送の配車係だった北浜さんと、運転手をしていて、たしか免許取り消しになった「おっさま」と呼ばれる弟がいました。
ただ、当時は刑務官の見習いという雰囲気もあり、刑務官の仕事を見ながら雑用をこなしているだけで、書類に署名をすることは、まだありえないという単純な思い込みがあとに続いたように思います。
刑務官の階級やできることの違いというのも警察官と違いわかりにくさがあります。ほとんど情報がないのかもしれないですが、警察官なら一定の階級以上で逮捕状の請求ができるとか、そういう違いは割とよく見かけてきた情報です。
出雲義浩刑務官が、珠洲市や蛸島町の出身という断定はできないですが、
仮にそうだとしたら現在62歳という年齢は、平成元年1月に松波港に車で飛び込んで自殺したとされる蛸島のTSさんと、同じぐらいの年齢になります。
金沢刑務所の刑務官に能登の出身者が多いという話は聞いたことがありました。実際に能登の言葉で話す刑務官が何人書いて、ほぼ標準語で話す刑務官もいたと思いますが、金沢弁を丸出しにした刑務官は見なかったように思います。
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