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*「良心に誓って誠実に鑑定することを誓います。」という被告発人山口成良金沢大学教授の宣誓書


証拠資料

平成5年日付不明 鑑定人尋問調書(第四回公判調書と一体) 山口成良 金沢大学教授 名古屋高裁金沢支部 甲第二三号証


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証拠説明

余り記憶にない平成5年2月25日の第四回公判

 平成5年7月20日が第五回公判になっていることを証拠資料117で確認しました。

 同じく第三回公判が平成5年1月19日であることは証拠資料112で確認しました。

  • 112_H05-01-19_平成05年01月19日 第三回公判調書(手続) 名古屋高等裁判所金沢支部第二部 被告発人小島裕史裁判長 甲第一五号証_1-4 https://note.com/hirono2020kk/n/nc55a98809751

 被告発人山口成良金沢大学教授による精神鑑定は、金沢大学附属病院精神科の閉鎖病棟に入院して平成5年3月1日から同月31日まで行われました。

 直前の公判から短い日数で精神鑑定が始まったことはほぼ記憶通りなのですが、そこで被告発人山口成良金沢大学教授の姿を見たという記憶はありません。

 それとは別に、公判で被告発人小島裕史裁判長ら3人の裁判官が、裁判官席の後ろにあるドアから別室に入り、しばらくしてから出てきて、被告発人小島裕史裁判長がおもむろに精神鑑定の実施を決定すると宣告する一幕がありました。

 これはとても強く印象に残っている場面ですが、夕方に近い時間で外が暗くなっているように感じられました。

 金沢地方裁判所と名古屋高裁金沢支部どちらの法廷も同じでしたが、法廷は裁判所正面側が裁判官席で、右側には学校の廊下と同じぐらいの通路があり、法廷と通路の間、通路と外の間がどちらもガラス張りで、午前中は法廷内に陽光が差し込むこともあったという記憶です。

 Googleマップで確認しましたが、法廷の窓側は、やはり西向きとなるようです。

 以前、金沢に住んでいる頃は不思議と感じなかったのですが、金沢市の周辺は海沿いが西で、夕日が海に沈んでいきますが、その西の方向からものすごいまぶしさを感じることがあります。

 能登半島の宇出津では山の方に夕日が沈むので、その違いを近年強く感じたためかもしれません。

 法廷の右手の窓は、外に現在は金沢城公園となっている小高い森があるので、西日はそれで遮られ、逆に暗さを感じていたのかもしれません。

 細かいことにこだわるようですが、被告発人小島裕史裁判長の異様さが、その風景の中に際立っていたと、今も強烈に記憶にあります。

 また、第五回公判の平成5年7月20日ですが、私の記憶では早い時間の公判で、小島裕史裁判長の机の前にも陽光が差し込んだような明るさがあり、その机の上に、分厚い上申書の束を置いていました。

 被告発人小島裕史裁判長はをそれを、自分の体から離れた場所に置き、被告人の席からはより目立つようにしていたとも思える不自然さで、軽く下を向きながら被告人を哀れんでいるような表情にもみえました。

 そこに被告発人木梨松嗣弁護士が、白衣の医師を伴い、少し遅れて法廷内に入ってきたのです。被告発人木梨松嗣弁護士は、遅れたわびのような言葉を被告発人小島裕史裁判長に掛け、被告発人小島裕史裁判長もそれに応じて、反応を見せていましたが、満足そうな表情で、それまでの法廷とは違い、実にリラックスしたムードを醸していました。

 昨日8月23日の何時頃か覚えていないですが、平成5年7月20日の第五回公判調書の記載に目を通しました。前にも読んでいましたが、今回は受け止め方がまるで違い、自分が魔法からとけたような状態になっていることを感じました。

 被告発人長谷川紘之弁護士や被告発人木梨松嗣弁護士の甲号証や一件記録とは別に、控訴審の公判期日の呼出状のようなものがあり、その写真も記録保存しているはずなのですが、Macbookでは見つかりませんでした。

 そこに公判期日の時間指定があるはずで、時間が変更されたことはまずなかったと考えられます。

 10年ほど前であれば、小島裕史裁判長が別室に入っていく前の法廷の状況も記憶にあったとも考えられるのですが、今考えると重要性の自覚が不十分で、他のことに目が向きすぎていたようです。別の言い方をすると、優先度を低めに見ていたということです。

 精神鑑定の採用を決めて、その直後に鑑定人である被告発人山口成良金沢大学教授が法廷に姿をみせ、宣誓をするということは普通に考えてまずあり得ないと思います。

 実際に2月25日の第四回公判で被告発人山口成良金沢大学教授が法廷で宣誓をしていたとすれば、精神鑑定の採用を決めた公判は、前回の第三回公判で1月19日になります。

 その第三回公判調書には、被告人尋問の記録が残っています。被告人尋問の後に、精神鑑定の採用が決定されたという可能性も完全にないとはいえない記憶になっていますが、決定があったとすれば、公判調書に記載があるものと考えられます。

 そもそもすべての公判調書に目を通していますが、精神鑑定の採用決定があったという記載は、見た覚えがありません。

  • 112_H05-01-19_平成05年01月19日 第三回公判調書(手続) 名古屋高等裁判所金沢支部第二部 被告発人小島裕史裁判長 甲第一五号証_1-4|再審請求と刑事告発の証拠方法公開サイト\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/nc55a98809751

 上記の記事の画像で発見がありましたが、画像にファイル名の記載がありませんでした。編集でファイル名をつけておきます。

/Users/a66/Dropbox/Mac/Documents/kk2023part2/kk2023jpg/112_H05-01-19_平成05年01月19日 第三回公判調書(手続) 名古屋高等裁判所金沢支部第二部 被告発人小島裕史裁判長 甲第一五号証/112_H05-01-19_平成05年01月19日 第三回公判調書(手続) 名古屋高等裁判所金沢支部第二部 被告発人小島裕史裁判長 甲第一五号証-3.jpg

 上記がファイル名のフルパスになります。実際にアップデートしたときのパソコン環境がわかりませんが、ファイル自体は同じです。

 この「112_H05-01-19_平成05年01月19日 第三回公判調書(手続) 名古屋高等裁判所金沢支部第二部 被告発人小島裕史裁判長 甲第一五号証-3.jpg」に、「本件公判期日を平成5年2月25日午前10時30分と指定する。平成5年1月21日 裁判長裁判官」と記載があります。

 署名はなく判子だけですが、小島と読めそうな判子の印です。

小島裕史裁判長が精神鑑定を決定した公判の様子

 現在の記憶で確実と断定することはできませんが、午後の夕方に近い時間の公判として記憶にあります。

 被告発人小島裕史裁判長が精神鑑定の採用を決定するのにどれぐらいの時間、別室にいたのか、これも正確な記憶はなく、過去の書面の記述等に期待するほかありませんが、2,3分、長くて5分ぐらいかと思います。

 かなり物々しい様子で被告発人小島裕史裁判長は他の陪席の裁判官2人を引き連れ、別室に入っていきました。裁判官席の後ろにあって、引き戸ではなく、回転するからくり屋敷の出入り口のようなイメージがあります。

 被告発人小島裕史裁判長はかなり大柄で、オリンピック競技に出場する柔道の重量級の選手のような雰囲気がありました。それが裾の長い黒い法被を翻して、別室に入っていく様子は、ドラマや映画でもあり得ない演出に見えたのが脳裏に焼き付いた光景となっています。

 当時は社会的な経験不足もあり、深く考えなかったですが、かなり過剰な演出が正当性を裏付けるために盛り込まれていたようです。

 緩急でいえば精神鑑定を決定した公判は急で威厳をみせていましたが、対照的な7月20日の第五回公判は、緩さというか雅やかゆとりで、寛容さも印象づけていたと思います。

 この第五回公判は、安藤健次郎さん夫妻の姿も傍聴席にありました。姿がなかったのは第六回公判となる平成5年9月7日の判決公判です。

 判決公判は、傍聴席の様子が記憶にないのですが、安藤健次郎さんのことを強く意識して、傍聴席を見渡し、それに集中するあまりに他のことが頭に入らなかったものと考えられます。

 そもそも金沢地方裁判所の一審では、一度も傍聴席に姿は見せていません。ネットの記事やツイートとしても何度か記述したと思う事実ですが、それを全く無視して放置してきたのも弁護士頭のすごいところだと思います。

  被告発人小島裕史裁判長が精神鑑定を決定した公判で、被告発人大網健二と友人だった富来のT男、そしてM男の三人の姿があったと思います。

精神鑑定を決定した公判で傍聴席にいた被告発人大網健二ら友人3人

 公判の傍聴席で現在でも鮮明に記憶に残るのは富来のT男だけです。富来というのは石川県羽咋郡富来町ですが、現在は羽咋郡志賀町で、その富来町の出身ということから「富来のT男」としています。男というのは下の名前の漢字二文字でその二文字目になります。M男も同じです。

 傍聴席で富来のT男が目立ったのは、椅子に座って体を大きく斜めに傾け、足を組み合わせていました。ちょうど「\」というかたちですが、一つの席に座りながら左右に3席分を占有したような格好で、さらに右腕で頬杖をつくかっこうでした。

 確認のために頬杖の意味を調べましたが、違っているようです。手を当てるのは頬ではなく、頭の後ろの首の辺りです。なにか別の呼び方がありそうですが、検索で見つけることが出来ませんでした。

 法廷の傍聴席はがらがらだったと思いますが、一番後ろの席の真ん中より少し窓側の席で、左右に人のいない空間が広がり、さすがにこれはというほど目立っていました。

 意図的にやっていたのかと思えるぐらいですが、この公判の2,3日程前に、この3人が金沢刑務所の拘置所に面会に来ていました。正確には、たぶん面会室は金沢刑務所の受刑者も拘置所の収容者も同じだと思いますが、金沢刑務所の受刑中に面会は一度もなかったと思うので、正確なことはわかりません。

 面会室は数があって全体の広さもあったので、拘置所の未決と受刑者で、面会室が別になっているとは考えにくいと思います。

 面会は一度に3人までになっていたと思いますが、被告発人大網健二と富来のT男とM男の3人の姿は、目に焼き付くほどはっきりと記憶にあります。

 事前に連絡はなくいきなりの面会だったように思います。被告発人大網健二から手紙で面会に来るという事前の連絡があったことは他にも記憶が残っていないですが、切手の差し入れなど頼み事を手紙ですることはありました。

 富来のT男は、金沢西警察署にも一度、一人で面会に来たことがあり、驚くほど沢山で種類の多いお菓子を差し入れ、タバコも1カートンは一緒に差し入れてくれたと思います。




作成中


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