*平成11年9月からの金沢刑務所の拘置所の生活で、担当の刑務官に入れられた動物園の獣の臭いがする独居房
存在しないことを確認したネット上の記録
はてなブログの記録を確認
[XTe 23-08-28 20:28:05] ~/Documents/.hatena.hirono-hideki
% grep パンダ ./* 20:28:05
[XTe 23-08-28 20:28:22] ~/Documents/.hatena.hirono-hideki
% grep 獣 ./* 20:28:22
./20060820: 西村寿行の作品は性描写も多く、テレビか週刊誌で刑務所では西村寿行の作品でさえ、検閲に引っ掛かって読むことが出来ないと紹介されていましたが、それ以前に、福井刑務所では官本にも西村寿行の作品は含まれていて、借りて読んでみると倒錯した獣姦について描写されていました。
./20070630: 現在でも理解しがたいほど、厳しい内容で、初めて読んだ頃も相当のダメージを受け、戸惑った憶えがあります。野獣とまで表現されているぐらいで、激烈な被害感情のみが伝わります。
./20090508:少年法では事件の犯人が少年の場合、実名を報道することを禁止しているが、当時、一部の報道機関が少年らの実名を報道した。実名報道した週刊文春(担当記者:勝谷誠彦、編集長:花田紀凱)は理由として、「事件があまりに凶悪であるため」、「野獣に人権はない」と説明している。この報道をきっかけに週刊文春は売上部数ナンバー1になり、犯罪の低年齢化に伴う少年法論議に火をつけた。
./20090914:野獣、モンスターのような職員が出現してしまったことも恐ろしいですが、問題点を把握しながら見て見ぬふりをしたり証拠隠滅に走ってしまう組織の体質というものにも、同等かそれ以上に恐ろしいものがあります。
./20150305:*1425535010*「野獣に人権はない」という花田紀凱氏。ある意味で一貫している。→川崎中1殺害事件でも「新潮」が顔写真を! 是か非か、少年犯罪実名報道トラブル史/神原元弁護士
./20150305:"Title : 「野獣に人権はない」という花田紀凱氏。ある意味で一貫している。→川崎中1殺害事件でも「新潮」が顔写真を! 是か非か、少年犯罪実名報道トラブル史/神原元弁護士
./20150305:<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>「野獣に人権はない」という花田紀凱氏。ある意味で一貫している。→川崎中1殺害事件でも「新潮」が顔写真を! 是か非か、少年犯罪実名報道トラブル史 <a href="http://t.co/GEf7WOXTug">http://t.co/GEf7WOXTug</a> <a href="https://twitter.com/litera_web">@litera_web</a>さんから</p>— 弁護士神原元 (@kambara7) <a href="https://twitter.com/kambara7/status/573311808129273858">2015, 3月 5</a></blockquote>
./20150305:*1425534907*「『野獣に人権はない』(花田紀凱氏)これが“少年法”を批判する人々の一番基本的な考え方になっている。」人権という考え方の、とほうもない誤解だろう。→少年犯罪実名報道トラブル史/神原元弁護士
./20150305:"Title : 「『野獣に人権はない』(花田紀凱氏)これが“少年法”を批判する人々の一番基本的な考え方になっている。」人権という考え方の、とほうもない誤解だろう。→少年犯罪実名報道トラブル史/神原元弁護士
./20150305:<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>「『野獣に人権はない』(花田紀凱氏)これが“少年法”を批判する人々の一番基本的な考え方になっている。」人権という考え方の、とほうもない誤解だろう。→少年犯罪実名報道トラブル史 <a href="http://t.co/GEf7WOXTug">http://t.co/GEf7WOXTug</a> <a href="https://twitter.com/litera_web">@litera_web</a>さんから</p>— 弁護士神原元 (@kambara7) <a href="https://twitter.com/kambara7/status/573307683551330305">2015, 3月 5</a></blockquote>
./20150309:*1425897991*この少年を弁護する弁護士が弁護士生命を賭けて「こんな野獣1日も早く死刑にしてくれ。そのために必要な協力は何でもする」と宣言して/小倉秀夫弁護士
./20150309:"Title : この少年を弁護する弁護士が弁護士生命を賭けて「こんな野獣1日も早く死刑にしてくれ。そのために必要な協力は何でもする」と宣言して/小倉秀夫弁護士
./20150309:<blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>この少年を弁護する弁護士が弁護士生命を賭けて「こんな野獣1日も早く死刑にしてくれ。そのために必要な協力は何でもする」と宣言してその通り動いてくれると良いですね。</p>— 小倉秀夫 (@Hideo_Ogura) <a href="https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/574605611628802048">2015, 3月 8</a></blockquote>
[XTe 23-08-28 20:28:31] ~/Documents/.hatena.hirono-hideki
%
2010年4月から始まるTwitterを確認
奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: H3DB_search_”パンダ”_(該当件数:101/データベース登録数:669,647) _2023-08-28_201954の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/08/h3dbsearch101669647-2023-08-28201954.html
「房」のページ内検索で該当なし。
奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: H3DB_search_”獣”_(該当件数:524/データベース登録数:669,647) _2023-08-28_202146の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/08/h3dbsearch524669647-2023-08-28202146.html
「房」のページ内検索で2件の該当だが、無関係。
奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中_2020: H3DB_search_”動物園”_(該当件数:172/データベース登録数:669,647) _2023-08-28_202207の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/08/h3dbsearch172669647-2023-08-28202207.html
1件の該当で無関係。
金沢刑務所での事実
革手錠をつけられ保護房にぶち込まれた面会の立会刑務官
自衛隊の特別な候補生という感じで、身長は高くなかったえすが、横幅が広く引き締まってがっちりしたような体型をしていました。
物静かでずいぶん優しそうにみえていましたが、入浴のときに付添になることが多い刑務官でした。落ち着いて年上にみえていましたが、かなり若い感じで、実際の年齢はわかりません。
再犯者、暴力団員、暴力団関係者が多いB級刑務所の金沢刑務所は、警備隊があり、その警備隊の刑務官が入浴に付き添うこともありましたが、警備隊の刑務官が多かったのは、運動場への連行です。
同じ刑務官でもその時で服装の違うことがありましたが、警備隊の刑務官は緑色のまるで、戦争映画や戦争ドラマに出てくる軍人のような服装をし、長い編み込みの黒い靴をはいていました。いつも軍服のような制服を着ている刑務官でもたまに他の刑務官と同じ制服のときがありました。理由は不明です。
刑務官との会話というのは基本的にほとんどなく、頼みごとがあって相談をするようなことがあっても、願箋の出し方の指導のようなものでした。
これは平成13年の金沢刑務所での受刑生活のときも同じでしたが、暴力団員の中には、離脱指導ということで、刑務官と二人で2階の食堂に行き、長い時間話をする受刑者はいましたが、少数でした。
刑務所の生活や雰囲気も現在はずいぶん変わっているものと考えますが、監獄法が廃止され、別の法律になっていることは知っています。
工場担当の刑務官は名前がわかるようになっていましたが、他の刑務官の名前を知ることはほとんどありませんでした。自分の場合、金沢刑務所の服役ではずっと3階の奥から2番目にある独居房での生活だったので、工場での生活は他の受刑者と同じでしたが、作業が終わって舎房に戻った後と、作業のない免業日の過ごし方は、他の受刑者と違っていたことになります。
工場出役をしながら独居房の受刑者は、他にもけっこういましたが、本人が希望しても許可の出ないことがあるとは聞いていました。刑務官が集団生活がふさわしくないと判断したり、いびきがはげしい受刑者が独居房に入るとは聞いていました。希望して許可された受刑者も刑務官の判断になります。
遠い記憶ですが、胸板が厚く幅の広い刑務官の体型は、あれから社会で長く生活をしていても見たことがなく、それだけ強く印象に残っています。刑務所というのは特殊な環境なので、そこに働く刑務官は、他にも個性の強い人が何人かいました。
弁護士との接見に刑務官の立会はなかったですが、面会のときは必ず刑務官の立会がありました。初めてだったのか詳しくは思い出せないですが、自衛隊員の候補生のような刑務官が立会になったのは珍しく、それもあってよく覚えています。
平成5年9月7日の面会の立会刑務官が、平成11年9月の拘置所生活で担当刑務官に
日付の特定は難しいですが、平成11年9月の21日の可能性が一番高いと考えています。金沢中警察署から金沢刑務所の拘置所に移送された日のことです。
あの自衛隊の候補生のような刑務官が2階の担当になっていましたが、初めからずっと威圧的で、常に叱りつけるような口調で話していました。
この拘置舎2階の担当刑務官は、その後、交代となるのですが、交代となって時期が覚えていません。
交代になった担当刑務官は、小柄でしたが鍛え上げられたような体型で、農作業をする昔の人という雰囲気がありました。途中採用だったのか、年齢はかなり上に見えましたが、それ以前は姿を見たことがないような刑務官でした。
刑務官は通常の業務の他に、交代で24時間の巡回をしていました。5分おきと聞いたようなこともありましたが、通路を歩き続けるのが巡回です。
刑務官に用があるときは、ボタンを押して報知機を出していました。例えば206という居房の番号があって、学校の教室の札のようになっているのですが、ボタンを押すことで札の下に目印となる目立つ色の札が落ちる仕組みだったと思います。
他の受刑者の居住区と巡回に区別があったのか不明ですが、それほど多くの刑務官の顔を巡回で見ていたという記憶はありません。刑務官の顔を見るため通路を眺めるようなことはしていなかったので、気が付かないだけだったという刑務官も多数いたのかもしれません。
交代となった担当の刑務官は、言葉が能登弁で、それも柳田村で聞くような話し方に聞こえました。奥能登に生まれ育っていないと違いはわかりづらいかもしれないですが、車で10分ほど走れば、かなり言葉が違います。世代間の違いもありますが、年々、金沢弁に近くなっているのか、年配者ではないと、それほど特徴を感じることはなくなっています。
嶋弘刑務官が拘置舎2階の担当だった頃、副担当と聞いたことがあったような気がしますが、毎日のように顔を合わせる刑務官がいました。大柄で相撲取りのような体型にも見えましたが、その刑務官の話し方は、珠洲市の蛸島の人と同じに感じられました。
嶋弘刑務官の部下のような立場で、年齢も少し下のように思えましたが、嶋弘刑務官も30歳ぐらいで、20代の可能性もあると考えていました。現在だと60歳ぐらいになりますが、当時をよく知る人物です。
平成12年に交代となった担当刑務官ですが、よく覚えているのは、最高裁への異議申立書で、便箋に書いて送るよう指示を出したのです。
最高裁の決定に対する異議申立は、近年話題になるのを見かけませんが、史上一度も認められたことがないという話は書籍などで知識がありました。
平成15年2月10日に金沢地方検察庁記録係で交付を受けた判決謄本ですが、確認すると1枚目に確定日の印がありました。
平成12年9月22日が確定日となっています。異議申立の棄却で確定するのか分かりづらい点がありますが、だいたいの時期は確認できたことになります。
動物園の獣の檻のような独居房
平成11年9月20日頃に金沢刑務所の拘置所の生活が始まり、その後どれぐらい経った頃か思い出せないですが、担当の刑務官に転房を命じられました。
転房というのは部屋替えのことです。病院で言えば病室を変わるのと同じことです。全部で何回ぐらい転房があったのか覚えていないですが、けっこうな数あったようには思います。すべて同じ担当刑務官の拘置舎2階でした。
201房と202房が自殺防止の特別な舎房で、203房から226房までは同じ独居房だったと思います。204房、206房、208房などと少し記憶に残りますが、最初の頃は218房や220房もあったような気がします。
手前の方に工場担当の机が通路にあって、椅子はなく立ったまま仕事をしているようでした。
この拘置舎2階の通路ですが、入浴のときは201房の方へ、運動のときは奥の206房の方に歩いていました。
よそ見は禁止されていますが、うるさくなさそうな刑務官の引率のときなどは、他の舎房のなかを覗きながら歩くこともありました。
浴場の方に歩いているとき、左手に見ていたという記憶の場面ですが、重度の精神病と思われる若者がいました。軽い笑ったような顔で、表情も変えず同じ姿勢を保ち続けたまま座っているのですが、斜め上の方向を見つめていました。
体の大きな若者で、体型や幼子のような表情が、動物園のパンダに似ていると感じることがありました。
自衛隊候補生のような担当が、ドアを開けて、怒鳴りつけるように注意をしている声が通路から聞こえてくることもありましたが、それでもまったく無反応のような様子でした。
座ったまま同じ姿勢で動く様子のない若者でしたが、ここまでひどいのは、未だに見たことも聞いたことがないほどです。
刑務官の注意とは舎房内の掃除でしたが、動くことはない様子で、それと入浴をするように言われていたような記憶もあります。
ほどなく自衛隊候補生のような担当刑務官に、転房を命じられたのは、その動かない明らかに重度の精神病と思われる若者がいた舎房でした。
実際の獣の臭いというのはよくわからないところもありますが、まさにこれが獣と思える臭いが舎房内に充満していました。畳などは垢の塊がラードのようにこびりついたような状態で、すぐにフル稼働で掃除を始め、逃げ場がないので、とにかく、たまらない臭いをやわらげるには、他に方法がないという考えで、掃除を続けていました。
現在も同じかどうかわからず、他に情報を見たことはないので、個人的な体験でしか語れないのですが、独居房は洗面所になっている水道の水を出すと、キュルキュルという異音が鳴り続け、これがけっこう大きな音でした。
21時の消灯後は水道の水を出さないように言われ、洗面器に水をためていたことも覚えています。
自衛隊候補生のような刑務官には、このようなひどい仕打ちも受けたのですが、怒りのようなものをぶつけ続け、それが安藤健次郎さんの思いに重なって見えることもありました。