納税顔
大学生を見ると、大人にも子供でもない微妙な顔だちとPOPEYEからそのまま切り抜いたような服装にやや小っ恥ずかしい感情になる。
私は老け顔だし年中Tシャツでうろうろしてるアラサーなので、こんなおっさんに、彼らは微塵も興味がないのは十も承知だが、街で目に入ると心の奥らへんがアンニュイな気持ちに駆られる。
彼らの話の相場は決まっている「授業がだるい」「サークルの女が云々」「バイトが5連勤でキツイ」などなど。私も数年前まで大学生だったし、話の内容も上のそれと変わりはなかった。
そしてかつて同じ性質をもってたというところからそれは同族嫌悪に似た感情であるかもしれない。
しかし今は彼らとは大違うところがある。
納税である
私がよく同年代の友人へ力説するが、人間は納税している顔と、納税していない顔が存在すると私は考える。
まず目。納税に対する憎悪と無力さ、ストレス社会への耐性と覚悟が決まっている。いや、キマってる目をしてる。
次に声。社会の歯車に組み込まれ、納税の義務を背負った(背負わされた)大人は基本声の倍音が低いところにある。
最後にオーラ。誰かのために働く、働かざるを得ないという負のオーラを孔雀の求愛の如く背中に大きく広げている。
数年前の大学生だった頃の私の写真と、今の写真を見比べるとやはり違って見える。目が、目が納税を心から恨んでいる目をしている。
会社員を辞め、初めての確定申告。還付金は子供のお年玉程度しか戻らず、住民税、社会保険料と職を失ったばかりの私に二重の苦しみを与えあまつさえ東池袋にデカデカと鎮座している豊島区役所を何度爆破しようかと思ったか。
人生とは納税との闘いであり、この物語は死ぬまで続くエンドレスストーリーである。
しかし私たち大人は税金なんかに負けてられないのである。
恋人、子供、親、色んな人を社会のセーフティネットで守るため、我々大人は今日も税金のため働く。覚悟だ。覚悟。納税をするという覚悟が目に、顔に、声に我々大人は現れているのである。
わかったら早くスタバの席を譲ってくれ大学生よ。