第4回全国俳誌協会新人賞授賞式をゆるくレポートしたりゆるく鑑賞したり。
はろー。はじめまして。池田宏陸です。
第4回全国俳誌協会新人賞の授賞式に行きました。良い経験だったので、ちょっと文章にしてまとめようかな思って久々にnoteを書くことにしました。授賞式の直後に書いているので、荒削りな部分があったり、誤字脱字などあると思いますが、ご了承ください。あくまでも雰囲気だけ感じていただけたらと。
ちゃんとしたレポートや受賞者の作品及び講評は「俳句展望」2023号春号に掲載されるらしいので、気になる方はそちらもぜひ。
https://twitter.com/zenkokuhaishi/status/1586589939072135168
ゆるレポート
会場に入ると、机に今回の受賞作だけではなく、応募者全員の名前と三句が記された紙が配られるのですが、「これからの俳句を作る人」を本気で見出そうとして、選考委員(神野紗希さん、 鴇田智哉さん、 堀田季何さん)の皆さんが伝統俳句から前衛俳句まで、応募された作品のあらゆる可能性を否定せずに採ろうとする気概を感じました。そのためには俳句という詩型に対する深い理解が必要なので、多分わたしが想像する以上に難しいことだと思っていたりします。改めて選考委員のみなさん、ほんとうにありがとうございました。
受賞者の何人かはTwitterなどで見かけたことがあって、密かに憧れていたので、声をかけてみたいなと思いつつも、「いや、わたしなんかが話しかけてもな…」と変に卑屈になってしまい、結局あまり話しかけられませんでした。もったいないことをしたなぁ。
あと、協賛の俳句雑誌の編集部の方から声をかけていただけたりしました。名刺をいただけたんですけれど、わたしに名刺の用意がなくてすこし気まずかったです。俳人として活動する上でまさか名刺が必要になる場面に遭遇するとは思いませんでした。でも受賞者の中にはちゃんと名刺を作っている方もいらっしゃって、素敵だなと思いました。
イベントは二部制で、前半は授賞式、後半は講評+記念トークショー+質疑応答という形で行われました。前半の授賞式で賞状をもらった後、受賞者がそれぞれ軽くスピーチをする時間が与えられたのですが、全員俳人としての自覚を持っていて、それぞれの俳句に対する姿勢や考え方が垣間見えた気がしました。いまの世代の俳句に対する貪欲さが感じられるのも新人賞の一つの魅力だと思っています。かっこよかったです。
講評部分もかなり丁寧に行われた印象でした。特に「減点方式で作品を見ないようにした」「この人の作品がもっと見たいという点を重視した」という二つの点が印象的でした。一口で俳句の新人賞といってもさまざまあり、評価方法が賞によっていろいろ分かれると思いますが、その中で全国俳誌協会新人賞の選考基準は割と納得するものがありました。良いところを褒めるだけでなく、今後の句作の方向性に関するアドバイスもいただけるので、ここでも新人を伸ばそうとする意気を感じられました。
後半は「俳誌のかたち」というテーマでトークが繰り広げられました。媒体形式の情報学の話から現代における俳句雑誌と結社誌の役割といった時事の話まで、割と幅広い話題で盛り上がっていた様子でした…が、正直、わたしは自分のことをまだ「俳句をたまにやってる一般人」だと思っている節があるので、話についていけない場面もそこそこありました。いわゆる俳壇と呼ばれる世界が自分とは遠いもののように感じていましたが、わたしの目の前に俳句の世界を本気で引っ張っていこうとする人たちがいるというのは、割とすごいことではないかなと思ったりしました。
https://twitter.com/zenkokuhaishi/status/1586590207192989697
あ、あと打ち上げもありました。
ゆる鑑賞
注:ここから先はわたしの独自の鑑賞です。受賞者の作品および選考委員の講評は「俳句展望」2023号春号に掲載されるらしいので、そちらをご確認ください。
正賞 - 古田秀「大学」
空間の把握が巧い、凛とした連作でした。一句一句は落ちついている中で連作としての芯がしっかりあり、題材に実感が篭っているのが伝わって、作者の詩に対する実直な姿勢が伺えました。
特にこの句の空間の使い方が良いと思いました。「実験棟」という言葉ですでに主体のおおよその人物像が見えてきて、そこから「門」という言葉が出てきて二点間の距離をわたしは想像しました。最後に「夕立」と置くことによって、上から降る雨により空間が二次元から三次元に拡張され、さらに夕立が降り終わるまでの時間という軸が足されたような気がしました。シンプルながら少しずつ光景が広がっていく構成力の巧さに唸りました。
あと個人的には、「火」と「水」をモチーフに扱った作品であるということで、なんとなく親近感が湧きました。わたしも「水」をモチーフにいろいろ挑戦して作品を編みましたが、感覚の違いみたいなものも見えて面白かったです。
話がすこし脱れますが、新人賞の選考などで「完成されている」という表現がしばしマイナスの意味でも使われることがあるのですが、今回の選考会でもそのような議論があったようです。選考委員の言う「完成度」が具体的に何を指すのかはわたしにはまだわかりませんが、作者としてのわたしが「詩の完成」をひとつ目指すべき指標として存在しているのは確かです。しかし、「完璧な詩」が存在しない以上、読者としてのわたしには詩が「未完成」なものであってほしいと願う気持ちもどこかにあると思います。でも、すくなくともわたしは、いまは未完成のものしか表現できないから、「詩の完成」を目指すほかない。わたしは、まずはそのための新人賞だと思っています。
「詩の完成」の先に果たして何があるのか、まだわたしには知る由もありませんが、おそらく今回応募した作品の中で最も完成度が高かったのがこの連作だったと思われます。それが新人賞として、正当に評価されて正賞が送られていることに大きな意味があるとわたしは思いました。
準賞 - 田村奏天「ハンカチのはりねずみ」
落ち着いた雰囲気の「大学」と打って変わって、ペーソスが定型の枠から溢れているような連作でした。575の力を使わずに、詩に昇華させることができる強い作家性に惹かれました。
例えばこの句は、完全な自由律というよりは、定型が土台にあるからこそ活きている句だと思いました。わたしは「ふふっとなって/綿虫の/吹き溜まりまで/ならいいよ」と読みましたが、最初の「ふふっとなって」がアウフタクト(弱起)としての機能を果たしていると思いました。下の「〜ならいいよ」の着地も、「ふふっとなって」と補完しあうような関係性にあるような気がしていて、言葉の選び方が絶妙だと感じました。
田村奏天さんの俳句に対する感覚に、歌人の野村日魚子さんの短歌に対する考え方に通じるものがあると思いました。
つまり、単純に定型に対しての自由律というわけではなく、あくまでも定型がベースにあり、それに対して遅い速いという考え方があるような気がしました。それを詩として顕現させるためには当然強い定型感覚が必要になると思っていて、田村さんにはそれが備わっているんだなと感じました。次の作品をぜひ読んでみたいです…
特別賞 - 三枝ぐ「巻き戻す」
「マントル」「イカ串」「蛞蝓」「レシートの裏」など、句にする材料がとても魅力的な連作でした。明るいところからボール二つ程度離れた部分に注目して、それを独自の角度で切り込んでいくような句が多かったです。陰の描写が素敵な作品だと思いました。
吊革を見て、「あれは臓器だ」と思う感性が鋭いと思いました。確かによくみたらわたしの体の中にも、あんな形の「もの」がありそうな気がしてきます。季語は「熱帯夜」とありますが、電車の中は煌々としている。電車の外と電車の中は、もはや別の空間と言っていいのかもしれません。吊革が電車の臓器だとすると、電車はひとつの大きな体なのでしょうか。乗っているわたしは、電車に取り込まれた食べ物なのでしょうか。この一つの比喩によってわたしたちを異なる世界を想像させる強い力があると思いました。
あくまでもわたしの感覚ですが、俳句は陽よりも陰を詠む方が難しいと感じていて、それは明るいものより暗いものを描くときにわたしたちはそれを写生することに抵抗があるからだと考えています。たとえばわたしが暗いものを詠もうとすると、叙情を先行させてしまって俳句の器にそぐわない言葉の選び方をしてしまう癖があると思っています。三枝さんの句には、そういった陰の部分をしっかり観察しつつ、独特な視点できっちり詩にしているように感じました。
特別賞 - 後藤麻衣子「朝焼の声」
受賞作の中で一番生活感があって、的確な言葉の選び方をしていて安心して読める連作でした。どの句にも、こういう世界の見方があるんだ、という発見があって楽しく読めました。瑞々しい感受性を持っている作家だなと思いました。
「駅弁」は割と俳句では詠まれている題材だと思いますが、そこから「ラベル」に注目したのがさすがだと思いました。駅弁のラベルを綺麗に折るという描写のみで、旅を楽しんでいて駅弁も美味しい、といった主体の感動もありありと見えてきました。そういう温かな情景に春の訪れを感じさせる東風の季語も景色に寄り添っていて素敵だと思いました。シンプルですが、しっかり光景が立ってくる味わいのある句でした。
一読して、ああ、わたしにはできない句だな、と思いました。わたしだったら、駅弁なんて開けたらラベルなんてぐちゃぐちゃにして捨てるだろうし、ましてやそこに詩を見出そうなんて思わない。細やかなところにも詩を見出そうとする心がけと実景の強さを改めて感じさせられました。感動は受動的ではなく能動的な体験である、という言説を聞いたことがありますが、まさにそんな、日常に対して「感動しにいく」姿勢を感じた、素敵な連作でした。
鴇田智也奨励賞 - 友定洸太「客席」
とにかく表現が好きな連作でした。色々な角度から風景を捉えていて、定型でありながらも型にとらわれずに感じたままを言葉に変換しているところが面白くて、好感を持ちました。
この句は「遠い橋近い橋」の表現が活きていて、特に遠い橋 -> 近い橋のカメラワークが巧妙だと思いました。わたしたちが目でものを見るときにまず背景よりも前景にあるものを意識しますが、この句ではそれが逆になっていて、背景の橋から前景の橋へとピントが合っていきます。こうすることによって、読者が奥の橋から前の橋までズームアウトしていくような感覚を得られて、最後に暮れかねている、と着地することによって、時間経過や風景に広がりを持たせられていると思いました。
実は友定洸太さんとは受賞発表後に「傍点」という同人誌の新人賞句会で一度ご一緒させていただいたこともあるのですが、その時にもとても良い句を詠まれていました。細やかな部分を捉えていて、それを言葉に変換する確かな力がある作家だと思いました。
堀田季何奨励賞 - 小鳥遊五月「しゃぼんだまとからだ」
受賞作の中で最も爆発力を感じた作品でした。有り余るエネルギーを俳句の枠に無理やり抑え込もうとすることによって生まれる詩があると思いました。そう言った意味ではある意味一番「新人賞」らしい意欲を感じる作品だったかもしれません。
わたしはそこそこピアノが好きですが、ピアノから「磁力」を見出したことは一度もありませんでした。でも、こう言われてみたらあの黒っぽさといい、あの弦の張りといい、確かに磁力がありそうな感じにも見えなくもないような。なんとなくグランドピアノを想像しました。その発見だけでも十分詩の要素はあるのに、そこにさらに「パイナップル」を持ってくる大胆さがすごい。この句を読み終えた時、わたしの前には鮮やかなパイナップルと、漆黒のピアノと、そしてそれらを繋ぎ止める、微かに感じる磁力しかない。すべての受賞作の中で、わたしが一番”魔力”を感じたのはこの句でした。
なんとなく、第三回俳誌協会新人賞準賞の丸田洋渡さんの作品群も想起しました。
どちらのピアノの句にも虚の映像の中にある、微かな「実感」を感じさせる作り方をしていると思いました。「しゃぼんだまとからだ」も、俳句が描ける風景の可能性を広げていて、作者は将来とんでもない作品を作るポテンシャルを秘めている方ではないかと思いました。
神野紗希奨励賞 - 池田宏陸「watercolor」
はい。えっと。わたしの連作です。今読み返してみると表現が稚拙な部分があったりしますが、幸運にもこんな素敵な賞をいただくことができました。この流れで自分の作品を解説するのは恥ずかしいのでまた別の機会に書こうかなと思います。興味がある方はぜひ読んでみてください。
終わりに
新人賞は、作品に肩書きを与える以上に、その作家に対して俳句の未来を担うことを期待されていることを意味するとわたしは考えています。そう言った意味では、ここにある作品群に俳句の未来をほんの少しだけ覗けたような気がしました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでも興味を持っていただけたならぜひ、各受賞作を「俳句展望」2023号春号で読んでいただけたらなと思います。
池田宏陸