第七回円錐新鋭作品をゆるく鑑賞する
はろー。はじめまして。池田宏陸です。
第七回円錐新鋭作品賞が発表されました。今回は79作品の応募があったそうで、読んでみると「新鋭」という名に恥じない、あたらしい俳句の在り方を問う作品がたくさんありました。そこで、今回円錐新鋭作品賞の応募作のなかで、わたしが気になった作品をゆるく鑑賞してみようかなと思います。(以下敬称略で書きます。)
花車賞(澤好摩推薦作品) -土屋幸代「泥に立つ」
新鋭作品、といっても、何も鋭く尖った作品だけが評価されるわけではなく、平明で純然な詩もしっかりと評価してもらえる賞でもあると考えています。この作品では特に、有季定型の器の支えうる詩を感じました。詩を成立させるために、全体的に言葉の選び方が洗練されていて、端正な印象を受けました。
やはり引用句の、「氷る」という現象の本質を見事に突いた句で、モノを直接描かずに鮮やかに表現できていることに感動しました。この句は澤好摩の推薦句に選ばれていましたが、一物の句を成立させるためには、言葉に対する揺るぎない信頼があるという前提はもちろん、ひたすら丁寧に観察を重ねる他はないと考えています。着実な作風、と一言で表すと簡単に聞こえてしまいますが、これが俳句の究極のかたちのひとつである、とも思っています。他にも、「棒杭のごとく佇つ人初日の出」「この下に骨壷がある墓洗ふ」などの句のように、真正面から季語と対峙することで静かな感動を呼び起こす作者の姿勢に惹かれました。
白桃賞(山田耕司推薦作品) - 吉冨快斗「遮断機壊してまわる」
7・7の韻律で統一された中山奈々「七七日」や多行形式の句で構成されているたかなしあきら「窓がひとつだけ開いてゐて」など、俳句=有季定型以外の実験的なかたちも同等に評価されているのが、円錐新鋭作品賞の大きな特徴のひとつだと思っています。一方で、ひとことで実験的といっても、そのかたちを詩に昇華させるには自分なりの表現世界をつくりあげる地道な作業を要します。新鋭賞ということでその作品が完成系であることを望まれてなくても、そのあたらしさに未来があるかどうか、という点において、この作品は十分その要件は満たしていると感じました。
具体的には、この作品では音数ではなくて字数(18字)で自らを縛っており、連作としての字面も鮮烈でした。厳格な韻律を放棄し、散文的な理解を拒む俳句としての在り方を見せられた気がしました。たとえば引用句の「星間無線」という言葉のもつイメージの純度、「きみ真白い」の助詞の省略、「口遊む」の着地など、字数の枠によって詩があたらしく発生しているのが面白く感じました。わたしはこうした試みに既成の枠の破壊/再生のイメージを持っているのですが、単に定型詩の新たな角度として読むのもたのしい気がしました。
あと個人的には引用句の白、「遮断機壊してまわるきみに緑の痣をやる」の緑、「フロー図を書きながら真赤な日思い出す」の赤、など、色のモチーフ(というより、色彩のつかいかた?)にも独特の感触があっておもしろかったです。
澤好摩推薦第二席 - 青木ともじ「湯を沸かす」
季語とフレーズの斡旋が心地よい句が多い印象の作品群でした。これはわたしの個人的な印象で上手く伝わるかわかりませんが、「鍵穴の奥に固さや虫時雨」や「水深の数字かすれしプールかな」などの、まじめに描写している句と、「毛布はや犬にとられてゐる父よ」「吾の来るを案山子を出して待つてをり」などの(俳諧味とはまた違った感覚の)くすぐったい句のふたつがあって連作として心地よいバランスになっているかな、と思いました。わたしは個人的にはくすぐったい句が好きですが、変に狙いすぎちゃうと冷めてしまう気がして、見た目に反してつくるのが難しいなと思っているので、こういう試みを成功させてしまう作者の言葉の感覚を素直に尊敬しています。
たとえば引用句を澤好摩は「淑気満つ」の季語の選択の「一種の奇襲効果」を認めていましたが、わたしはむしろ「おでこ」という言葉に惹かれました。「おでこ」ではなく「額」などと言い換えてしまうことも可能だと思いますが、この平明な言葉をつかうことによって、むしろ季語を鮮明にさせる働きがあると感じました。この感覚をわたしは「くすぐったい」と思っているんですが…つたわるといいな。
山田耕司推薦第二席 - 藤田俊「口腔」
この作品では、散文的な意味を拒んで抜群の鮮度を誇る句がいくつもありました。こういう俳句のスタイルがわたしはとても好きなんですけど、わたしには絶対できない表現方法で、密かに憧れています。例えば引用句の「歯ブラシ」と「昼の蛇」に何の意味的な関連性はない、でも不思議と共鳴する。俳句の速度でしかなしえない詩のかたちを、この作品から見出しました。
なんとなく、第四回俳誌協会新人賞堀田季何奨励賞の小鳥遊五月の作品群も想起しました。
他にも「亀鳴いて辞令を渡す・渡される」の瞬間移動のような視点の変換、「遠火事を多肉植物越しに見る」の中七の存在感、「台風一過手で覆わずにするあくび」の「覆わず」という否定形など、詩の構築が多種多様で面白く読めました。
今泉康弘推薦第二席- 細村星一郎「喝采」
細村星一郎の作品がもともと好きなので、あたらしい俳句が読めて嬉しいです。つねにあたらしい表現方法を俳句に落とし込もうとする開拓者としての印象が強く、とくにカラーコードやセミコロンなどの記号性に着目して表現を組み立てていく試みがおもしろいなと思っていました。わたしの中ではすでに完成されている作家性をもっている人だと思っています。
本作でも、季語や韻律というものに支配されず、「ただそこに在るもの」としての手触りのある作品世界が繰り広げられている感覚でした。
特に上記の句がわたしに刺さりました。「モノリス」という静的な物体から「胸」という動物の象徴や「咲く」という植物としての生、というイメージの広げ方を「夏野」という季語で繋ぎ止める。十七音の器を常に凌駕していく世界のつくりかたが羨ましいな、と思いました。森美術館の『六本木クロッシング2022展:往来オーライ!』にて、猪瀬直哉が自然を背景にモノリスを主体とした作品群を展示されていたのを見たのですが、その時のことを追体験した一句でした。
澤好摩推薦第三席 - 杉澤さやか「香の物」
特別な材料や表現方法はなくても、地味な発見をことばや季語の選び方によって実直な生活感が伝わって好感が持てました。たとえば引用句の人形の描写は素直ながらも人形の質感を的確に捉えていて、季語「春の雨」もさりげないですが、しっかりと余韻があって効いていると思いました。このような作り方は、情景と適切に言葉にする力があってこそだと思います。他にも「一滴のラー油ひろごる寒さかな」も、ほんとうにただ一滴のラー油が広がるだけの景ですが、それを「寒い」と捉える作者の感覚が素敵だなと感じました。小さな詩の種を見つけ出し、細かく観察し、必要最小限の言葉で詩を顕現させる、俳句のじんわりとした良さがこの作品から溢れていると思いました。
山田耕司推薦第三席 - あさふろ「点滅」
視点に工夫が施されていて、独特な感触を持っている作品だと思いました。引用句で、山田耕司の評でもある通り、昼寝のあとの混濁している脳を、身体感覚そのままに詠み切っている潔さに惹かれました。散文的には納得できなくても、俳句の省略、スピードによって説得力のある表現になっていると感じました。他にも「ひしひしとひかりを語る椿餅」「海光や黒蟻の背の透きとほる」「風花や柱の心地して老ゆる」などの視点の独特さや屈折感のある言葉遣いが面白いと感じました。
今泉康弘推薦第三席 - とみた環「まぼろせる」
個人的わたしのイチオシ作品です。
文字的には定型からは大きくは逸脱しませんが、俳句を中黒によって韻律をコントロールを試みている作品群でした。たとえば引用句から中黒を抜いてそのまま読み下すと「仰角の/あやうき月の/裸人像」と575のリズムで読めますが、中黒によって強制的にわれわれは「仰角のあやうき月/の裸人像」と、11と6に分けて読ませる効果があります。韻律を強制的に破壊・再構築させる意図が面白く感じました。他にも「戦況や ・ 今朝のラジオと焦げのパン」など、切れ字よりも大きな分断・役割を中黒に託しているように見えます。
あと、あまり関係はありませんが、この作品群から、アオマツブログのナカグロ論について、そして宝川踊『SAFETY』の歌を想起させるものがありました。
わたしも定型詩における中黒の効果について考えたことはありましたが、本作のように徹底して「韻律のコントロールされる」ことに読者に強制的に意識を割かせるために中黒を積極的に使う試みははじめてみました。そういった意味で、この作品がわたしがこの賞の中で最も支配的な連作なのかな、と感じました。
他に気になった句
「海の日や背を向き合ひて服を脱ぐ」が澤好摩の推薦句として採られていましたが、わたしはこちらの句の方が気になりました。化石についていくつか句はあるはずですが、このような捉え方はあたらしいと思いました。化石という太古の生物の遺したかたちが、人間によって「歩きだす」かたちに展示されていて、それが本当に歩きだすようではないか、という臨場感を与えているのがやはり「風薫る」の働きだと感じました。
山田耕司の推薦句に選ばれていて、選評に「理系の発想と俳句のハイブリッドを目指している感性として以前から注目していた作者」とあって、うわ、気になるな…となった作品でした。理数的なテーマによって世界の真理を詩的に掬い取る、という作風はとても憧れがあって、わたしが尊敬する山田尚子監督の表現スタイルに似たようなものがあると(勝手に)感じました。こういう作品はどんどん読んでみたいです。
雪女は季語のなかでもとりわけファンタジー感のつよいものでいろいろな句の作り方がかんがえられますが、その描写として「湖の色」が絶妙で素敵な表現だとおもいました。湖をまず思い浮かべて、そのあとシームレスに雪女を想像させるという流れがきれいにできているなあ、と最初は思っていたのですが、よく考えたらわたしたちも「湖の色」を本当は知らないんじゃないか、ということをふと思いました。その不確かさも、雪女の効果なのかな、とおもいました。
澤好摩が「妙な読後感」と評しましたが、たしかに独特な魔力を感じる句でした。龍淵に潜みて、という空想から、ドアが閉まります、という現実の(都会的な)景が一瞬で繋がれて、俳句的な速さが活かされていると思いました。ドアが閉まって、秋が終わる。
七月、って不思議な月で、六月のはつなつのあかるいイメージや、八月の独特の熱量がないので、意外と実感しにくい季語だなあと感じていたのですが、この句ではジャムの底という素材でたしかに七月の季感を演出していて、「残れる」「透けて」という絶妙な措辞もふくめてなかなか味わい深い句だなと思いました。他の句も読んでみたいなと思いました。
「ここからは各駅停車いわし雲」も、素直で好きでした。澤好摩が「ことばの虐待めいた句ばかり読まされると、伝統的俳句的であろうと何だろうとこういうほんのりした句に癒される」と評していました。たしかに、こういう風に言葉を無理させない俳句の価値を改めて実感しました。ことばを大切にしていないから、平気でことばを殺してしまう、という意味ではわたしの句とかそうなりがちだな、と反省してます…
カタカナの「キノコ」、「脳」、「お揃ひ」でMOTHER 2だと確信(?)しました。この不思議な景を一句に落とし込む不条理な面白さに惹かれました。
終わりに
新鋭賞というだけあって、俳句というものに対する考え方が多様で、それぞれの作品の個性が認められていて面白かったです。わたしがまだ自分がどのような句をつくりたいか定まっていないので、これらの作品からまた俳句について学んでいけたらいいな、と思いました。よろしくお願いいたします。
池田宏陸