2024年10月号鷹俳句逍遥 補遺+あとがき
こんにちは。2024年7月から12月にかけて、鷹俳句逍遥を担当しています。池田宏陸です。よろしくお願いします。このコーナーで取り上げたい句や書きたいことがいっぱいあるのですが、一ページでは全てを書くことはできなかったので、noteでも鷹俳句逍遥を公開することにしました。
また、こちらは鷹編集部、高柳編集長、小川主宰に転載を許可をいただいております。ありがとうございました。
(本誌掲載分は公開日より一ヶ月のみの限定公開とし、補遺・あとがきの部分だけ無料公開として残ります。)
鷹俳句逍遥(補遺)
「しんしん」と「積もりて」を雪以外の言葉に対して使われているところを初めて見たかもしれない。献花の様子を思い起こすと、確かに「しんしん」がぴったりだと感じる。「しんしん」によって、春の終わりにひとつひとつ加えられていく花が雪に異化されていくようにも見えてくる。「しんしん」という使い古された詩語が生まれたての言葉のように使われているところが魅力的な句だ。
さっきの句は「しんしん」だが、この句は「まろまろ」だ。マリンバは木製の音板をもつ鍵盤打楽器だが、その音色はたしかに柔らかい。「まろまろ」と言ったところが良い。「まろまろ」の良さを言葉で説明するより、実際に声に出して読んでみる方が伝わるだろう。以下の句と読み比べてその違いを味わってみてほしい。
〈まろやか〉より〈まろまろ〉と言う方が、ら行の感覚を通じて春の倦怠感を帯びた体をより体験できたのではないだろうか。
他にも今月のリズムの句をいくつか紹介したい。
この句はわかりやすくリズムの句だ。手相をみられて長寿長寿と繰り返されては、逆に怪しいまである。とはいえ、〈蝶の昼〉なのだから、長寿であると信じた方がきっと楽しい句だ。〈ちょう〉の音が繰り返されることの軽さを利用した一句だ。内容の面白さを韻律によって一句に仕上げている良い例だと思う。
水の底の春落葉の様子を捉えて描写した一句だ。水の中の静かな流れを思わせる。これもリズムで読んで活きる句だと思う。これも以下の句と読み比べてみると差がわかる。
こちらも、〈ころがりゆくよ〉とすることで、リズムと母音の軽やかさによって、水の底を転がる速さがより鮮明に見えるのではないだろうか。
これも〈どぼどぼ〉が良い表現だ。〈お〉による母音韻や〈どぼどぼ〉の濁音によって、ポットのお湯を捨てる時の音だけでなく、お湯特有の重量感が確かに捉えられている。最後の〈暮春〉の〈ぼ〉の音によってポットの湯の最後の一滴が出てくるところまで見えてきそうだ。
俳句をテキストとして目の前に現れると、どうしても言葉の意味や内容で捉えがちだ。声に出して韻律を意識して読むことで、俳句の本来の姿が現れることを忘れずにいたい。
中七、〈全て思ひ出〉。この中七を書くに至るまでの覚悟を私は知り得ない。夫との思い出を具体的に書くことも、それに対して大きな情感を詠んだりもしない。ただ樒の花に託されているのみである。そこから読み手として色々想像することはできる。仏事や神事に用いられる花であることから、もしかしたら樒の花は馴染みのある花なのかもしれない。樒の中にある〈密〉の字も、夫を自らの記憶に封じているようにも捉えられるのかもしれない。あるいはシンプルに樒の花の淡黄色や独特な匂いを想像するのが良いかもしれない。
色々想像してみても、読み手が一句から引き出せる情報には限界がある。季語〈樒咲く〉から完璧に〈夫のこと全て思ひ出〉を読み解くことはできない。〈樒咲く〉に込められたものを無理やり暴かずにしたいと思う。その読みの余地こそが、読者に踏み込めない作者のみの不可侵の領域であると思う。俳句の読みは、その情報の少なさ故に主観に依るものが大きい。だけれども、読者には読むことはできない、作者のみの領域があるということを意識したい。読みの境界線(バウンダリー)をしっかり保つことで、作品の在り方を尊重したい。
ほかに気になった俳句
あとがき
今回は「リズム」にフォーカスして補遺部分を書いた。私もこの三つの要素の中で「リズム」に一番興味を持っていたが、なかなか自分の作品や自分の評にこれらの要素を意識して書いてこなかったから、今回初歩的ながらしっかり「リズム」を取り入れて書くことができて満足した。テキストを声に出して読むことが軽視されているように感じる。音楽的な一句に出会う喜びが少しでも分かち合えたらな、と思う。
定型詩の音楽性みたいなものについて自分なりにまとめたものがあるので、是非こちらも読んでいただければ。
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