映画感想 マイ・ブロークン・マリコ

 今回は平庫ワカの漫画を実写化した映画「マイ・ブロークン・マリコ」の感想を書こうと思う。

 あらすじ

 永野芽郁演じる主人公のシイノトモヨはブラック企業に勤めるOLである。そんなトモヨがラーメンを食べながら見ていたニュースで、昔からの親友マリコの自殺を知ることとなる。マリコは昔から父親の虐待に苦しんでおり、トモヨは助けられなかった事を悔やんでいた。せめて遺骨だけでも助け出そうと考えたトモヨは、カバンに包丁を忍ばせ、差し違える覚悟でマリコの実家に乗り込むのだった。そして、遺骨を手にベランダから逃走したトモヨは、マリコが生前行きたがっていた岬に向かうのだったー

感想

 先ずこの映画で1番面白いと感じたのは、トモヨとマリコの性格だ。主人公のシイノトモヨは中学の頃からタバコを吸っていたり、ブラック企業の上司を完全に無視したり、突然実家に遺骨を奪いに行ったりと、なかなか破天荒な性格をしている。それに負けじと、親友のマリコも狂っている。マリコはその家庭環境のせいだろうか、かなりメンヘラ気質であり、トモヨの前でおもむろにリストカットをしてみたり、ロクデモナイ彼氏が家に入ってくるのを必死に止めようとするトモヨを傍目にニコニコしている。 
  
 この物語は、遺骨を持って旅に出たトモヨが、マリコとの思い出を思い出しながら目的地に向かっていくと言うストーリーとなっているのだが、その旅のかなり序盤に、トモヨはひったくりに遭ってしまい、マリコからの手紙や財布など、遺骨以外の所持品を奪われてしまう。この奪われた手紙というのは、かなり重要なアイテムなのではないかと思う。手紙を通して蘇ってくるマリコとの思い出は、綺麗なものばかりである。しかし、実際はそうではない。手紙をなくしたことによって、マリコのメンヘラ気質で鬱陶しい性格なども思い出していくのだ。

 この映画の終盤で、窪田正孝演じる、旅の途中で出会った釣り人が「もういない人に会うには、自分が生きているしかない」と言うセリフを残す。これがこの映画のテーマだと私は思う。
トモヨは物語の途中、親友のマリコが自分に何も残さず勝手に先に旅立ったことを許せず、マリコの遺骨を側に置いて飛び降り自殺をしようとする。確かに私たちは、あの世と言うのもを漠然と信じており、自分も死ねば死んだ人に会えると考えてしまう節がある。しかし、そんなものは不確かである。亡くなった人が蘇る瞬間、亡くなった人に唯一会える場所というのは、自分の記憶の中だけなのである。
 この映画では、なぜマリコが自殺したのか、マリコはトモヨに対して実際どのように想っていたのかは明かされない。そしてそれは現実でも同様である。私たち生きている者がその人との記憶とどう向き合うかが大切である。この映画はそんな死との向き合い方を考えさせられる映画だった。

 最後に

 少々重い話になってしまったが最後に、この映画自体、重いテーマをしっかりと扱いつつも、かなり疾走感があり見やすくなっている。主人公トモヨの「不謹慎じゃね?」とも思うような行動も相まってそこまで重い雰囲気になる事はなく、ボケーっと見るのにもいいだろう。特にひったくり犯をマリコの遺骨でぶん殴るシーンなんかが最高にロックだった。

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