ほっこりする話だといいな
私はずっとシンガポールに住んでいた
私の家にはエミリというフィリピンの
メイドさんがいた ヘルパーさんです
名前はエミリ当時20歳だったかな
私が彼女を気に入りフィリピンからきてもらった
彼女は可愛いまだまだ若い女の子だった
彼女に日本食のお料理を教えた
お掃除はエミリの方がプロだ
毎日 献身的に私に対して働いてくれた
エミリはマニラでネイリストをしていた
らしく頼んでもないのに
ママやってあげるといつも爪の手入れを
してくれた
私は毎朝お天気が良く暖かい前面が窓の空間
で過ごしていた
そして朝から日差しを浴びながら歌を歌うのが
習慣だった エミリがいつもその姿を嬉しそうに
聴いてくれた
ネイルをしてくれるご褒美は私のドラえもんの歌
ある日私が鼻唄で
ドラえもんの歌を歌っていたら
お掃除中のタオルケットを抱きしめて
私の方に駆け寄りママ!
その歌素晴らしい!
と叫んだ
彼女は日本語はわからないがドラえもんは
知っていた様でドラえもんの歌よ
と彼女に伝えた
彼女はいつもママドラえもんの歌
歌ってと
私は声楽を練習していたのだか何故か
ベッドに座りながらドラえもんの
歌をいつもゆっくり優しく歌ってあげた
いつもその光景が頭に浮かぶ
彼女は元気だろうか
幼い子から貧乏だったのだろう
しかし世間の何ものにも汚れたものにさらされてない
大地が根付く様な大きな純粋な瞳をしていた
純粋な笑顔を私に向けてくれた
彼女の笑顔を見ながら本当の幸せとはといつも
考えていた
一緒に過ごしていた2年間
彼女は甲斐甲斐しく私の世話をしてくれた
そして私は彼女にいろいろな事を教え与えた
彼女は15歳で結婚していた
子供も一人いた
彼女は息子の大学までの学費を稼ぐために
2年間私の元へやってきたのだ
シンガポールドルは東南アジアでは価値が
かなり高い
2年間働くだけで息子を大学にまで出せるのだ
最初驚いた たったの2年間で
凄い貨幣価値の差だ
彼女がうちに来た頃は本当にその辺の山から
降りてきたようなお箸も使わないのは
当たり前で手でものを食べる
最初 死ぬ程ビックリした
お箸の使い方から教えた
そして気がついたらメイクから洋服まで
素敵なレディに変身していた
本を買い与え勉強もさせた
2年間で彼女を変えてあげた
彼女はどんどん大人のレディになっていった
エミリ! フィリピン帰ったらモテすぎるよ
といつも私が話していた
そしてあっという間に彼女との2年間が過ぎた
今でも一番覚えているのは彼女とのお別れ
の時空港に飛び出す彼女の足は
息子や旦那さんへの思いに馳せていた
空港で私の元を去る彼女は自信に満ちて
レディの教養をもち何より息子の学費
を全て確保して家族の元に帰る強い母の姿に
なっていた
スーツケースにたくさんのまだ小さな息子の
おもちゃや絵本を積み込み
素晴らしい笑顔で私にお礼を言い彼女は
家族の元へと帰っていった
シンガポールではヘルパー制度は当たり前で
賛否両論あるが
少なくとも私とエミリにとってはとても
有効であり有意義な時間だった
うちに来た時は彼女の息子はまだ1歳
きっと彼女がいなかった事は
あまり思い出す事はないだろう
日本に帰国した今もたまにエミリを思い出す
もう27歳ぐらいかな
空港でお別れした時の
あの最高な彼女の後ろ姿をみて
私は感無量で少し良い事をしてあげた気がした
彼女は最後
後ろを振り返り恥ずかしげもなく
ママありがとう!と大声で日本語で叫んだ
素晴らしい笑顔と
希望に満ちた大きな瞳を私に向けて去っていった
立派なレディになり彼女は旦那さんに愛され
息子を育てていくだろう
今でもたまに元気かなと思いだすのだな
Hiromisan